第三章:霊岸島の米問屋
昼飯を済ませると、半七は三河町の家を出た。
まずは、外神田の「相模屋」へ。
桂庵の主人も、神田の半七の顔は知っている。帳場へ通され、出入り帳を調べさせると、件の奉公先はすぐに見つかった。
向島・寺島村の寮。
主は、霊岸島の米問屋「三島屋」であった。
「三島屋……」
半七の記憶に、その名が引っかかった。
この頃、諸式高直(物価高騰)のために、江戸ではたびたび「打毀し」が起きていた。
現に、この五月にも、下谷・神田の米屋が荒らされたばかりだ。
その折、かの三島屋は、商売柄とはいえ、一軒で白米二千俵という莫大な「救い米」の寄付を申し出て、世間を驚かせた。
霊岸島といえば、江戸中の米相場を左右する大問屋が軒を連ねる場所である。
「あの三島屋の寮に、蛇と幽霊、か」
面白くなってきた、と半七は思った。
家に戻り、子分の松吉、通称「ひょろ松」を呼んだ。
「松。ちと、霊岸島へ飛んでくれ。三島屋の様子を洗ってこい。あそこの家に、年頃の娘はいねえか」
「三島屋の娘ですかい」
ひょろりとした長身の松吉は、すぐに答えた。
「そりゃあ、『おきわ』さんのこった。近所でも評判の小町娘で。……ですが、親分、あのおきわさんなら、三年めえに駆け落ちしちまいやしたぜ」
「駆け落ち?」
「へい。店の若い衆と。今でも、行方知れずだそうで」
「相手の名は」
「良次郎とか。確か、宿は浅草の今戸だったはずです」
「よし。その良次郎のことも含めて、三島屋の内情を洗ってこい。おきわに、兄弟はいるのか、とかな」
松吉が飛んでいく。
半七は、どうにも頭が重い。湯に浸り、風邪薬を飲んで、日が高いうちから衾をかぶって汗をかいた。
夜の五ツ(午後八時)。松吉が戻ってきた。
「親分。調べてきやした。おきわさんは、一人娘。駆け落ちした良次郎は、浅草今戸の生まれで二十二。……なんでも、三島屋の後家さんのお気に入りだったとか」
「ほう。後家のお気に入り、か。で、おきわと良次郎は、どこへ行った」
「それが、さっぱり。今戸の実家にも、とんと戻っちゃいねえそうで」
「……そうか」
少し、見当が外れた。
だが、半七は床の中で、松吉の報告をさらに細かく聞き出し、何かに思い当たったらしい。
「よし。大抵わかった。ご苦労」
あくる朝。汗をかいたおかげで、半七の頭はだいぶ軽くなっていた。
空は陰ってはいるが、雨は上がっている。
朝飯の箸を置くと、半七はまず、町内の生薬屋へ寄った。お徳を呼び出し、「妹の手紙を届けてきた男」の人相風体を詳しく聞く。
その足で、浅草今戸へ向かった。
今戸といえば、今戸焼の安い土器を作る窯が並ぶ、裏寂れた職人町である。
じめじめとした狭い露地の奥、良次郎の実家を探し当てると、五十がらみの女(母親)と、十四、五の小娘(お山)が、俯いて何か内職の手仕事をしていた。裏店のわりには、小綺麗に片付いている。
「ごめんよ。ちと、訊くがね。ここの良次郎さんは、今どちらに?」
母らしい女が、針の手を止めて顔を上げた。
「おまえさんは、どちら様で?」
「霊岸島から、使いに来たもんだ」
半七は、かまをかけた。
「霊岸島……。三島屋のお店から、ですかい」
女は、じっと半七の顔を見ていたが、やがて框から片足をおろし、いきなり半七の袖を掴んだ。
「そりゃあ、こっちが訊きたいんだ! 伜は、良次郎はどこにいるんです! 店で、どこへ隠したんです!」
逆ねじを食らい、半七はわざと驚いてみせた。
「お、おかみさん。飛んでもねえことを。こっちで知らねえから……」
「嘘をおつきでない! お嬢さんと駆け落ちしたなんぞ、真っ赤な嘘だ! あの子が、そんな不埒なことをするもんかね。ここのお山と、もう一、二年すりゃ一緒になる約束だったんだ。あんな親孝行な伜が、あっしらを放って消えるもんか!」
女は、気違いのような剣幕だ。
「店が隠してるんだ。証拠だって、あるんだから!」
女は奥の仏壇の抽斗から、一通の手紙を持ち出してきた。
半七が受け取って読む。
――よんどころない訳があり、三年の間、姿を隠す。三年経てば必ず帰る。世間ではお嬢さんと駆け落ちしたと言うかもしれぬが、それにも訳がある。御主人の為、親の為にすることだから、悪く思ってくれるな――
「これに、三十両もの大金を付けて、そっと届けてよこしたんだ!」
女は、泣き崩れた。
「『御主人の為に』とあるじゃねえか。きっと、店のためにどこかへ隠れていれば、御褒美をやるという約束なんだろう。……金なんぞ要らねえ。あの子の無事な顔が見たいんだ!」
思いもよらぬ愁嘆場に、半七は、被っていた仮面を脱いだ。
「おかみさん。もう、正直に言う。あっしは霊岸島の使いじゃねえ。神田の御用聞き、半七というもんだ」
女の涙が、ぴたりと止まった。
「おめえさんの話で、筋は読めた。……案ずるな。良次郎は、あっしがきっと連れ戻してやる。二、三日、おとなしく待ってな」




