第二章:土蔵の蛇
お通が言うには。
その寮は、寺島村の奥。昼でも狐や狸が出そうな、寂しい場所であった。
奉公して半月ほど経った頃、寮番の夫婦に、奇妙な役目を言い付けられた。
「土蔵の中へ、三度の食事を運べ」と。
「土蔵の中? 誰ぞ、座敷牢にでも入っているのか」
半七が問うと、平兵衛はかぶりを振った。
「それが、違うんで。……土蔵の中には、大きな『蛇』が祀ってあるんだそうで」
「蛇、だと?」
「それに、食物を供えろ、と。それには、男の肌を知らない生娘でなければならぬ、と。それでお通が選ばれたんで」
お通も、根は田舎育ち。蛇や蛙を、江戸の者ほどは怖がらない。
「神様として祀られているのだから、何もしない」と言い聞かされ、役目を引き受けた。
その土蔵は、昼でも真っ暗であったという。
「扉の錠をはずし、入口に膳を供えたら、決して振り返らず、すぐに出てこい」
寮番にそう命じられ、お通は言われた通りにしていた。
半刻(約一時間)もして見に行くと、膳の物は、綺麗になくなっている。
「ほう。食うのか、蛇が」
「へい。……そうして、何事もなく過ぎておりやした。それが、四月の二十日のこと。昼の膳を運ぶのが、少し遅れてしまいまして。急いで土蔵の扉を開け、錠を外す音が奥へ響いたんでしょう」
土蔵の二階へかかる梯子が、みしり、みしりと鳴り、何かが降りてくる気配がした。
(蛇だ)
お通は膳を置き、慌てて逃げようとした。
が、怖いもの見たさに、扉の陰に隠れ、そっと中を覗いた。
「その日は、いい天気でして。真っ昼間ですから、土蔵の中も、いつもよりは薄明るく見えたそうで」
梯子を降りてきたのは……。
蛇ではなかった。
一人の、若い女であった。
幽霊のように痩せ、白い肌をした女が、黙って膳に手をかけた。
お通が覗いているのに気づいたのか、女はふっと顔を上げ、細い声で「もし」と呼んだ。
お通はぞっとして、息を殺していると、女は、痩せた白い手をあげて、お通を招いたという。
「お通は、もう堪らなくなり、扉を閉めて一目散に逃げ帰った。大蛇が口をきくはずがねえ、きっと幽霊だと。……だが、親分。幽霊が、飯を喰うもんでしょうか」
「喰わねえな」
「へい。お通もそう思った。……で、また天気のいい日に、そっと覗いてみたと」
すると。
土蔵の薄暗い隅から、今度こそ、大きな蛇が――およそ一丈(約三メートル)はあろうかという薄青い蛇が、にゅるりと這い出してくる。
お通が「ぎょっ」と立ちすくむと、また、梯子がみしりと鳴り、あの幽霊のような女が降りてきた。
「お通は、またもや逃げ帰った。……つまり、あの土蔵には、蛇と幽霊が一緒に棲んでいる、と」
半七は、黙って聞いている。
「それでも、お通はまだ辛抱するつもりだったようですが。たびたび土蔵を覗いたことが寮番夫婦に知れ、『おまえも縛って土蔵へ放り込むぞ』と脅かされたそうで」
それで、いよいよ怖くなり、逃げ出そうとしたが、見張られて叶わぬ。
「どうやら、店の者らしい男が来た隙に、例の手紙を託した……と、まあ、こういう次第で」
平兵衛は、すっかり話し疲れたように、溜息をついた。
「三年という証文がござんす。桂庵に掛け合っても、面倒なことになるでしょう。どうしたもんでしょうか、親分」
半七は、薄く目をつむり、火鉢の灰を眺めていたが、やがて静かに頷いた。
「ようござんす。こいつは、お通さん一人のことじゃねえ。あっしの方でも、ちと調べにゃあならん匂いがする。……まあ、あっしに任せてくだせえ。桂庵は、相模屋でしたな」
「へい。外神田の相模屋で」
「お徳さんには、心配するな、と。二、三日のうちに、何とかしやす」
平兵衛は、何度も頭を下げて帰っていった。




