第六章:向島の尻光り
二人は堤を下り、蜆の看板をかけた小料理屋を見つけた。
奥の小座敷に通され、まずは酒の燗を頼む。
突き出しは、蜆の剥き身と葱のぬた。酢味噌が、走って火照った体に染み渡る。
「日が暮れたってえのに、蚊いぶしも持ってきやがらねえ。気の利かねえべらぼうだ!」
むしゃくしゃしている幸次郎が、手を叩いて蚊を追いながら呶鳴る。
女中が慌てて蚊いぶしを運んできた。
「相済みません。店で、お化けの話を聴いていたもんですから」
「お化け? そりゃおめえの親類の話か」
「よせよ、幸さん」半七は笑って制した。「ねえさん、そのお化けがどうしたんだ」
「あら、御冗談を。たった今、うちの旦那が堤で見てきたんです。……河童のようなものが」
「河童だと!」幸次郎が座り直した。
半七は主人を呼んだ。四十五、六の男が、閾越しに手をついた。\
「おまえさん、堤で変なものを見たそうじゃねえか」
「へえ。わたくしもぞっとしまして。相手がお武家様でしたからようござんしたが……」
主人の話は、こうだ。
業平の方まで使いに行き、その帰り。水戸様(水戸藩下屋敷)の屋敷前から、この店へもう少しという辺り。
堤の上は薄暗くなっていた。
主人の少し先を、一人のお武家が歩いていた。
そのまた少し先に、菅笠をかぶった小僧が歩いている。
黒っぽい単衣の裳をだらしなく引き摺り、跣足でびちょびちょと。
「おい、小僧!」
お武家は、少し酔っている様子だった。
「なぜそんなだらしのない恰好だ。着物の裳をぐいとまくって、威勢よく歩け!」
小僧は黙って歩いている。
お武家は焦れったくなったのか、つかつかと寄って行き、
「こうして歩くんだ!」
と、小僧の着物の裳を、後ろからまくってやった。
「その途端、でございます」主人は声をひそめた。
「小僧のお尻の両側に、銀のような二つの眼玉が、ぴかりと!」
主人は「ぎょっ」として立ちすくんだ。
すると、お武家は「ははあ、河童め」と笑い、その小僧の襟首を掴んで、えいと堤下へ放り出してしまった。
「どっちの堤下だ」
「川寄りの方でございます」
「なるほど。不思議なこともあるもんだ」
半七は勘定を払い、幸次郎と店を飛び出した。
「親分、そいつは……」
「間違いねえ。河童の長吉だ」
両国の河童の芸当。鍋墨で塗った尻の左右に、金紙や銀紙を丸く貼り付け、それを「眼玉」と称し、四つん這いで観客に尻を向ける。
酔った武士と、臆病な亭主は、薄暗がりでそれに度肝を抜かれたのだ。
「尻が光った」というのが、何より本物の化け物でない証拠だ。
二人は、主人が示した辺りの堤下、隅田川の岸へ降りた。
岸と杭との間に、黒いものが挟まっている。
幸次郎が引きずり上げると、果たして河童の長吉であった。
武士に手ひどく投げられたはずみで、杭か樹の根かで脾腹を強打したらしい。
片足を水に浸し、息が絶えていた。
「まだ生きてる!」
半七は長吉を担がせ、元の料理屋へ引き返した。




