scene5
――5――
――先生と練習を始めて一週間。ついに身体測定と演技テストが始まる。
思えばこの一週間、実に有意義だった。わたしは極力先生の言われたとおりに演技をした。だって、指示された内容の範疇で極限までクオリティをあげるのも、けっこう楽しかったから。
最近は、毎日が楽しい。“知る”ことの恩恵は強烈で、なんだか視界が広がったような気分だった。世界の見え方は、わたしの気の持ちよう一つで決まる。本当に良い経験だ。
それに、収穫もあった。
何日目かの放課後、先生が職員会議の日に恵鈴ちゃんと会話をする機会に恵まれたのだけれど――
『妹に、つぐみちゃんのお話しをしたか、ですか?』
『えりんちゃん、けいごじゃなくて良いよ?』
『はぅぁっ! ふぅ、危うくちめいしょーでした、じゃなくて、だった、ね?』
『ふふ、えりんちゃんっておもしろいね』
『オタクに優しいギャル……でもなくて! し、してるよ、つぐみちゃんがかわいいって』
『そうなんだ。じゃあ、嫉妬かなぁ?』
『うーん、たしかにお姉ちゃんっ子だけれど……それより、思い込みがはげしいんだよね』
『おもいこみ?』
『うん。信じたらガンコって言うか……信用してる人に吹き込まれたら、信じちゃうような』
『ふーん、そうなんだ? おしえてくれてありがとう、えりんちゃん』
『ぐふっ……ごそんがん……』
『???』
小川麻鈴ちゃんがわたしに悪口を言ってきたときに持っていたカンペ。あの出所は、少なくとも、恵鈴ちゃんじゃない。そして、ネットで調べたりなにも知らない人にアドバイスを貰ったりした、というには、わたしの現状を知りすぎている。
誰かが、わたしを貶めるために行動している、と考えて良いだろう。真宵に調べて貰うことも考えたのだけれど――。
(今度は、『人に頼りたくない』なんてきれい事は言えないよ。だってわたしは、自分で“知りたがって”しまっているんだもん。自分で調べて、そのあとで、真宵に答え合わせをして貰おう!)
謎を解く。
怪を紐解く。
恐怖を解剖する。
演技と同じだ。なにものかを解き明かすことは、こんなにも“たのしい”。
(だから、負けないよ)
心が躍る。いまなら、なんでもできそうな気がした。
身体測定といっても、項目は様々だ。
わたしは風邪でお休みしていたから家で行ったが、身長や体重、あと聴覚や視力検査なんかは四月上旬から下旬にかけて終えていて、今日は午前中に姿勢や骨格、指の曲がり方とか身体の柔らかさとか……演技での身体の動かし方に関わるような項目を見る。
そのまま午前中の内に体力テストまで終わらせてしまい、昼休憩を挟んで、午後からはみっちり演技テストだ。ハードな気もするけれど、そこは私立小学校。アスレチックトレーナーの方やスポーツ医学の専門医師、柔道整復師さんなんかも呼んで、徹底的に監修して組み上げたらしい。
わたしの身長は現在一一六センチ。女子平均のちょうど真ん中だ。体重は二〇キロで、やっぱり平均くらい。今は良いけれど、大きくなったらきれいな筋肉をつけて重量を増やしたい。やっぱり、キレのある動きには筋力が必要だからね。
小学校一年生は、列の並び方やなんかも指導される。けれどさすが私立校というか、あんまり一般的な家庭の児童がいなくて、みんなちゃんと列に並んでいた。
基本的な身体測定を終わらせたわたしたちは、次の測定のために保健室から体育館へ移動。クラスに友達が一人もいなくても、競技には関係ない。やるからには、常にベストタイムを意識したいよね!
――握力。
右手と左手、どちらも九キロ。握力計を持つのが大変だった。うーん、悪霊をやるんだったら六〇は欲しいかも!
――上体起こし。
身体を動かすのは得意だから、平均よりも大きく上回って三〇回! 平均は三十秒で十回くらい、なんだとか。
――反復横跳び。
二十秒間で何回飛べるか。軸移動が楽しくなって四〇回。頭の位置を変えないように意識しなければ、もうちょっといけたかも! 途中、測定の先生が何度も目を擦って確認していた。ちょっとブレちゃってたかな? 反省反省。
――立ち幅跳び。
ぴょんっと跳んで一五〇センチ。コツを掴んだからもっといけそう。来年は、倍を目指そう! そう決意していると、わたしの中で鶫が親指を持ち上げた。
――ソフトボール投げ。
投げるという動作はけっこう難しい。ソフトボールの柔らかさに困惑している内に、記録は六メートル。平均ぴったりらしいので、くやしい。
――二十メートルシャトルラン。
Uターンが得意なこともあって、二〇回! 測定の方は目薬を差していたのだけれど……ドライアイなのかな。心配だ。
そして、最後は五十メートル走だ。鶫の時代と違って、グラウンドは全面人工芝で覆われている。緑がまぶしい芝の上で、クラス毎かつ男女別に分かれて、ランダムに組まれたチームで走る。わたしのクラスの女子は十人なので、五人組で二回だ。競争の形で行うのは、この頃から競争心を養うためとか、集団行動の練習とか、私立ならではのこだわりがあるらしい。
わたしのチームは、偶然、周囲の席の子で固まった。わたしのレーンは一番左端。右から順に、青みがかったボブヘアの女の子、勝ち気そうな瀬名瀬奈さん。次に目が細くて顔が丸い、柔らかい笑顔がかわいい子で、和田桃さん。レーン中央は、ぽやぽやした茶のウェーブヘアの女の子で、田村優さん。
(そして……)
マゼンダのようにピンク混じりの赤髪は、彼女がドイツ系のクォーターである所以らしい。毛先にゆくに連れて、柔らかくうねった髪と、気の強そうなつり目の女の子。
ここ最近、ずっとわたしの様子を気にしている様子のクラスメートで、合同演芸会では悪役令嬢役として見事な演技をした、姉川ららさんだ。
「そらほしさん」
「えーと、あねかわさん?」
「きょうぎが終わったら、お話ししたいことがありますの」
「……うん」
緊張した面持ち。
震える、声、
「いいよ」
返事をして、同時に、スタートのホイッスルが鳴る。姉川さんは少しうろたえてからスタートして出遅れてしまったが、わたしの反射神経はそんなことじゃ揺るがない。するりと抜け出すようにスタートを切って先頭に躍り出る。
足の動かし方。手の振り方。頭の位置。重心。感覚で掴める全てと鶫の経験値が、わたしを簡単に最高速度へ押し上げた。演技に比べて、身体を動かすということは、あまりに簡単すぎる。
風を切ってゴールテープを切って直ぐ、風の音に振り返る。驚愕する和田さんたちとはまた別に、足をもつれさせる姉川さん。わたしは嫌な予感がして、教員の制止を振り切って飛び出した。身体は前に、弾丸のように、ほんの僅かな距離を駆け抜けて。
「きゃぁっ」
「あぶない!」
転びそうになった姉川さんを、抱き留める。
正面から迎え入れ、衝撃を殺すためにくるりと半回転。姉川さんの左手をわたしの右手で支え、わたしの左手は姉川さんの背中へ。わたしは片膝をつき、姉川さんは地面とすれすれのところで仰向けに横になっていた。
(なんだか、偶然、ダンスの『ディップ』みたいな姿勢になっちゃったな)
助けられて良かった。わたしは息を吐いて、姉川さんを下ろそうとして。
「どうして」
と、そう、尋ねられた。
「あぶなかったから?」
「私、そらほしさんにヒドイことしたわ」
「ひどいこと?」
「ペアみたいなエンギなのに、れんしゅうにさそわなかったり、おべんとうも、いっしょに食べなかったりした! なのに、どうしてたすけてくれたの? ううん、教室でもそう。なぜ、おこったりしないの?」
途切れ途切れで、それでも、一生懸命言葉にしてくれる姉川さん。そっか、ずっと気にしてくれていたんだね。だから、ずっとわたしを見ていたんだね。
鶫の記憶の中で、八重歯の少女が笑顔を見せる。歩み寄るということは、待ってるだけじゃだめだし、突撃するだけでもダメなんだ。互いに近寄って、初めて、手を取り合えるんだね。
「しないよ。だってわたし、あねかわさんと――おともだちになりたいから!」
「っ――そらほし、さん。私も、私もっ……私も! そらほしさんと、おともだちになりたいわ!」
立ち上がって、向き合う。姉川さん――ららちゃんは、目にいっぱいの涙を浮かべていた。
「いじわるして、ごめんなさい」
「うん、いいよ。ららちゃん」
「っ、ぐすっ、あり、がとう、つぐみちゃん!!」
抱き留めたららちゃんの体温は、湯たんぽみたいに暖かくて、わたしはその熱を閉じ込めるように抱きしめる。
そして――周囲から、わっと驚くような歓声と拍手が響いた。
「尊い」
「え、フラッシュモブはどこ??」
「こんなのタダで見て良いのか?」
「アイツ……なんでッ」
「最高」
「やったな、つぐみ」
「天を仰げば」
「むぅ、つぐみのむねは私のものなのに」
「つ、つぐみちゃんのものだと思うよ、りんちゃん」
「はぁー、すごーい、尊すぎるよ今年の一年生!」
「ぎゅぅ」
わたしとららちゃんは、互いにゆっくり離れる。ららちゃんの瞳に映るわたしは、ららちゃんの顔と同じように真っ赤になっていた。
そうだよね、グラウンドだもんね。ただね、凛ちゃん。わたしの胸はわたしのものだからね……?
――/――
(なんて、茶番。微笑ましいといえばそうでしょうけれど、これもあなたの作戦ですか? 表面上は取り繕って、評価を得ようと? ふん、竜胆の教師は、権力には屈しないわ)
一紗は動きやすい小豆色のジャージに着替えると、体育館で他の教師達と設営に当たっていた。午前中の身体測定の間に、午後の授業に関わる教師は手早く昼食を摂り、設営に回る。一紗はちょうど所用で体育館から出て、グラウンドの寸劇を目撃してから、準備に戻っていた。
体育館を片付け、パーティションを並べ、パーティションの前に長机一つとパイプ椅子を一つ。一度に同時に演技テストを行う必要がある、教師陣にとっても大変な行事の一つだった。
「ふぅ、なんとか終わりましたね、悧巧院先生」
「ええ、鍵村先生」
黒のセミロングを束ねて肩口から垂らした女性。三年E組の担任教師、鍵村英子は、ピンクのジャージを身に纏い、大きく背伸びをしていた。
「悧巧院先生のクラスは欠員なし、ですか?」
「はい。鍵村先生のクラスは、確か……」
「天海君がお休みですね。天海鴎雅君。彼、良い子なんですけどね。ちょーっと間が悪いというかなんというか、テスト前に体調を崩しがちで。不幸中の幸いですが、一緒にA組の椋華ちゃんもお休みしてしまったから、パートナー予定の子同士でペアが組めたので良かったんですけれどね~」
英子は「いやぁ、たいへんでした」と朗らかに笑う。彼女の担当するクラスの子供、天海鴎雅は、少々運が悪いことで有名だった。一紗は自身よりも色んな意味で包容力のある英子から目を逸らしつつ、「そうですか」と素っ気なく頷く。
この演技テストは、六年生と一年生、二年生と四年生、三年生と五年生で組んで行われる。鴎雅は裏方志望のクラスだが、竜胆学園では裏方志望であっても演者志望であっても、才能の開花を見逃さないために様々な経験をさせるのが、通例であった。
「悧巧院先生は、児童とペアですかー?」
「ええ」
「ふふふ、私、向かいのペースで児童とペアで演技するんです。見てますねー」
「面白いモノではありませんよ」
「またまたー」
英子の独特なペースに巻き込まれながら、一紗は疲れた表情で眼鏡を直す。
午後の演技テストは、もう、目前まで迫っていた。




