scene4
――4――
悧巧院一紗。
一九九三年一二月生まれ。現在、二十七歳。
写真で見る悧巧院先生は、わたしの悪夢よりもずっと若く、利発な顔立ちだった。
登校の中の車内で、わたしは真宵が集めてくれた資料を読んでいた。小春さんも、一緒に読んで情報を覚えていってくれている。「今後のためにも」らしい。
「えーと――」
竜胆学園附属高校から編入。大学部に在学中から舞台で活躍する。主な舞台は鏑木コンツェルン主催の現代訳:シェイクスピアシリーズ。
所属は子役事務所のBlueRoseから、高校に上がると同時に鏑木コンツェルン傘下のWhiteBookProductionに移籍。大学部卒業後、竜胆学園の教員に就任し、数々の子役向け脚本を書き上げた才女。
気ままな猫よりも従順な犬が好きで、自宅では豆柴を二頭飼っている。名前はそれぞれ茶色がきなこ、黒色があんこ。あまり言うことは聞いてくれず、庭先で顔をなめ回されている写真が添付されている。好きなお酒はビール。休日はヨガをしながら映画鑑賞。恋人はいない。学生時代にできた彼氏には三日でフラれている。
(この情報、必要??? でも、昨日今日の資料じゃない。きっと、わたしが知りたがるのを見越して用意してくれていたんだ)
彼女の指導する役者は、息の合った一枚絵のように美しい舞台になることが多い。突出した役者は輩出されにくいが、他所で劣る評価を下された役者も指導後には一定の評価を受けている。
均すことに長けていて、自宅も常に整理整頓されている。一方で不要と判断したが後々必要になると購入することもあり、余計な出費が嵩むこともある。飼い犬のアルバムを誤って捨てた際はノーメークでゴミ捨て場に走り、転んで怪我をする場面も――。
「つぐみ様、その、この情報もお求めに……?」
「もとめてないよ!!」
「そ、そうですよね、失礼しました」
疑り深い性格とプロファイリングされる一方で、信頼を向けた相手に対する情報の精査が甘い場面も見られる。とくに、可愛がっている妹からの嘘は九割方信じる傾向にあり、ハロウィンの際には、全ての家庭でカボチャのくりぬきからジャックオーランタンの制作をするのがトレンド、と、信じ込まされている。
「なんだか、先生って、けっこう」
細長い眼鏡。
つり目がちな目元。
びしっと着こなしたスーツ。
「つぐみ様、到着いたしましたよ」
「ぁ。ありがとうございます、こはるさん!」
「はい。いってらっしゃいませ」
「――いってきます!」
わたしのイメージの中の先生は、ずっとずっと怖い人だった。
でも、“ほんとうの”先生は、いったいどんな人なんだろう。
(まだ、机上の空論だ。でも、きっと)
飛び込むように教室に入って、自分の席に着地する。周囲の目がこちらに向けられて、わたしは初めて、自身に向けられる感情の“種類”に気を配ることができた。
恨み辛みの視線は一つ。小川――恵鈴ちゃんの妹の、麻鈴ちゃんのものだ。彼女のことは“まだ”知らない。これから知れば良い。そう思うと、気が楽かも。
それから八割は困惑で、嫌悪感はあんまり感じない。恐怖一色みたいなことも想定していたのだけれど……切っ掛けさえあれば友達になれそうなのは嬉しい。とはいえ、鶫みたいに恐れられないのもちょっと不満かも。
あとは、興味の視線。
一瞥だけして、それから時々わたしを伺うのが王子君。きらきらの男の子。それから、合同演芸会で隣り合った演技をした、悪役令嬢役の姉川さん。彼女の視線は、興味と、それからあとは、なんだろう? 悪い感じじゃ、ないかも。
(そして)
扉が開く。靴音を鳴らして教室に入る、眼鏡の先生。前はほとんど眼鏡しか認識できなかったのだけれど――うん、今は違う。
意外と丸い頬。
熟考して伏せがちな瞳。
着こなしているのに、犬の毛がついたスーツの裾。
(先生って、こわくない、ひとなのかも)
悧巧院一紗先生という恐怖の殻が、“知る”ことによって剥がれていく。
視線に乗るのは、反骨心。均して、美しい舞台にしてやろうという根性。
「――放課後、まだ先輩に挨拶をしていない児童は早めに行うように」
鋭い目が、わたしに向けられる。
「いいですね?」
その言葉に、わたしは表情を変えず、ただ「はい」と頷いた。
――/――
(やはり、そう。小川さんが、“共演者だった姉”と“その友人”が言っていたという情報どおりね)
一紗はそう、教室の右後ろで、「はい」と頷くつぐみを見る。流れるシルバーブロンドに色あせはなく、変わらず桃色に色づいた唇は、薄く微笑みの形を作っていた。
我を通す、我が儘放題で厄介な子役。親が権力者だから監督も共演者も逆らえなかった典型的なボンボン。悪印象を持ってつぐみを見る一紗は、眼鏡の奥で冷たくつぐみを見る。
(必ず均して、綺麗に整えて、美しい舞台に誂えてあげるわ)
全員に台本は行き渡っているが、つぐみの分は未だ一紗の手に合った。直接受け取りに来なければ、台本を渡す気は無いという一紗の意思によって。
台本の内容もまた、一紗の思惑が混入していた。一般児童は五種類程度の台本から選ぶが、一紗の手には既に選ばれた台本がある。
(親に存分に愛されてきたあなたでは、理解に及ばないことでしょうね)
口論の末、子供に手を上げる親。そしてそんな親の姿に、胸を打たれる子供の演技。
(わからない、できないと泣きつくなら、なにがあっても寄り添い導きましょう。でも、いつものように我が儘を貫くのなら――評価は、あげられないわ)
一日の授業を終え、あっという間に放課後になる。一紗は自身が顧問を務める脚本制作部に顔を出すと、足早に職員室に踵を返した。
悧巧院一紗という女性は、決して底意地の悪い人間ではない。だが、悪意がないことは、善人とイコールではない。劣等生には仏のように慈悲深い教師であろうが、突出した才能を持つ子供にとっては、あまり歓迎できない教師。それが、これまでの子供達から見た、悧巧院一紗という教師だった。
これまでも変わらない。
美しい舞台。鮮やかな演技。横並びの一体感。
すべてのために均してきた一紗にとって、つぐみは、均すべきデコボコの道でしかない。
(遅くなってしまったかしら)
職員室には、もうつぐみが居ることだろう。一紗が学園の、細部までこだわって誂えられたアンティーク調の扉を開けると、二年A組の担任教師、光宮仁奈香が、明るい茶色のボブヘアを揺らしながら近づいてきた。ニットセーターとロングスカートの彼女は、癒やし系と名高いが、元はバリバリのミュージカル女優である。
「一紗先生っ、かわいらしいお客様がきてるよー!」
「そう」
「えー、淡泊ぅっ。あんな、妖精さんみたいな子を待たせておいてー?」
「余計なお世話です、光宮先生」
そんな仁奈香と一紗は、幼なじみの関係だった。年齢は仁奈香が三つ上で、かつファンタジー活劇中心の仁奈香とはジャンルが違うため、一紗はあまり舞台の上での接点はなかったが、なんの因果か同僚として教員勤めだ。
一紗は仁奈香の追及を振り切ると、足早に席へ急ぐ。竜胆学園の職員室は、児童と同じように教員にも木のデスクが割り当てられ、オフィスチェアもシックなクッションが誂えられた落ち着いたデザインだ。一紗のデスクは、一番奥。窓辺から西日が差し込む、あまり人気の無い席だった。その椅子に、つぐみがお行儀良く手を重ねて腰掛けている。
(妖精のよう、か)
「せんせい」
舌っ足らずだが、鈴を転がすような美しい声だ。一紗は西日のカーテンの中で微笑むつぐみに、目眩を覚える。けれどすぐに振り払って、近づいた。つぐみは一紗の動きに合わせて席を譲ると、柔らかく微笑んでいた。
一紗は、利口な人間だ。
だが、“悪意ある告げ口”に囚われている彼女は、気が付かない。
自身に怯えていたはずのつぐみが、柔和に微笑んでいるという違和感に。
「空星さん、今日はきちんと来ましたね」
「はい、ごあいさつ、遅れてしまってごめんなさい。テストはどうぞ、よろしくおねがいします」
「はい、よくできました。では台本を渡します。なにか質問はありますか?」
一紗はつぐみの挨拶を褒め、それから、ホチキスで纏められた台本を渡す。内容はごく単純。ありきたりな親子げんかだ。悪いのは、ストレスをため込んだ母親側で、子供は従順。だが、仲直りをして着地する。ありきたりで、ありふれた台本だ。とめられた用紙も、表紙・台本・評価シートの三枚だけという簡易なモノだった。
だからこそ、試験として使われて、基礎を見られる。一年生は他学年に比べて評価も相応に甘いが、一紗は、甘く審査をする気など少しも無かった。
一紗の前で、つぐみは台本を読み込んでいる。一紗はそんなつぐみを見ながら、とっくに暗記した台本の内容を思い返した。
親『どうしてこんなこともできないの!』
子『ごめんなさい、でも』
親『言い訳しないで! ああ、もう、宿題はやったの?』
子『やったよ。宿題も、金魚の餌やりも、お皿も洗った』
親『ならどうして、水筒を洗わなかったの!?』
子『ご、ごめんなさい、お母さん。忘れてしまったの。じ、自分で洗うよ』
※男性の場合は『お父さん』としてください。
親『やれるならどうして最初からやらなかったの?! どうして言うことが聞けないの!』
※叩く演技
子『(悲鳴)』
親『ああ、私、なんてことを。ごめんなさい、ごめんなさい』
子『いいの。大丈夫だよ、大丈夫だよ、お母さん』
親の台詞配分が多すぎる気もするが、一紗は、つぐみに現実を見せるには一番良いと思ってこの台本を選んだ。なにせつぐみは、“理不尽な親”が想像できるような家ではないのだから。
「いいですか、空星さん。今回の演技では、以前のような勝手は許しません」
「はい、せんせい」
「そもそも、演技というモノは決められた道筋を守るモノです。それを脇道にそれるなどあってはいけません」
「はい、せんせい」
「あなたの演技は暴走と言い換えてもいい。それは周囲を巻き込み、いずれは破壊してしまう」
「はい、せんせい」
従順な返事だ。一紗は酔いしれそうになる己に活を入れ、いやに大人しいつぐみを見る。つぐみは――変わらず、微笑んでいた。
「ちゃんと、聞いていますか?」
「はい、せんせい」
「では、質問はありますか? きちんと聞いていたのなら、質問の一つや二つ、あるでしょう?」
「はい、せんせい」
一紗は、落胆からため息を吐きそうになる。平坦な言葉は、まるで、つぐみが一紗の質問を聞き流しているように思える。だがその落胆も、すぐにかき消えることになった。
「せんせいは、均したいんですよね?」
「っ」
それは、一紗がつぐみに決して言っていない言葉だった。つぐみだけではない。児童にも、同僚にも、決して吐露したことのない言葉だった。
「いいですよ。せんせいの思うようになさってください」
「は」
「ふふ、均して、糺して、きれいにするんですよね?」
「それ、は」
「そうされたことなんていちどもないから、楽しみなんです」
「空星さん、あなた」
「ええ、でも、だから、せんせい」
笑顔だ。
一紗はようやく、その違和感に辿り着く。
笑顔だ。
柔和な笑み。優しい微笑み。愛しいモノを、見つめるような。
(は?)
一紗は、一歩後ずさる。恐怖か、憤怒か、一紗自身もわからない無意識の一歩だった。
「――どうか、わたしが“ボウソウ”したら、せんせいが制御してくださいね?」
「それは、ええ、もちろんです」
笑顔だ。
どこか挑発的で。
どこか挑戦的で。
どこか、見定めるような、笑顔で。
「ふふ、それにしても」
つぐみは、一紗を、見る。
「せんせいって――あんがい、おかわいらしいのですね」
「ひっ」
そうしてつぐみは、どこか、超越的で、人外染みた美しさで、そう告げた。
「せんせい?」
「なんでも、ありません。練習は放課後に。いいですね?」
「ええ、もちろんです、せんせい」
「では、今日は帰宅し、台本を読み込んで下さい」
「はい、せんせい」
一紗は頭を振ると、つぐみに退出を促す。それから深くオフィスチェアに座り直して、重く、重く、ため息を吐いた。額に当てる手が、いやに冷たいことに、一紗は気が付いて唸る。
(なんだって言うのよ……!)
そうして今日が、一紗が平穏に過ごせる最後の日になろうとは、彼女自身は夢にも思わなかった。
2026/08/30 台本表現をわかりやすい形に変更しました。




