scene2
――2――
竜胆大附属小学校のサロンには、条件を満たすと利用できる個室がある。植物園側ではなくて、反対の西向きに備えられた個室だ。使用条件もごく単純で、教師から覚えが良く、成績優秀で、目的が明確で、二人以上の利用で……など。
なんでも、凛ちゃんは授業中にうとうとしちゃうことがあって、美海ちゃんは体育の授業が足を引っ張って成績優秀には今一歩及ばず……という状況なので、今回の個室を借りてくれたのは珠里阿ちゃんだったらしい。すごいなぁ。
(と、急がないと)
放課後、わたしは珠里阿ちゃんからメッセージアプリのRAINでメール? を受け取って、指定された個室に向かっていた。サロンは小等部校舎の正門から見て右側にある。校舎からは、渡り廊下で繋がる形だ。
クラスでわたしを引き留める人もいないから、気が楽、とも思っていたのだけれど……サロンの前で、まるで待ち伏せのようにわたしを待つ人がいた。
「ともだちもいない空星さんが、サロンにようじなんてあるの?」
「小川さん……」
肩甲骨に少しかかった茶色の髪。意地悪そうに持ち上がった口角。
「えっとね、二年生に、おともだちがいて――」
「二年生? せんぱいたちだって、えんぎテストがあるのに? ねぇ、いいかげんさ、人の足をひっぱるのやめなよ」
「っ」
それは、そうだ。
小川さんの言葉に、ほんの少し後ずさる。珠里阿ちゃん達の時間を奪っているのは、他ならぬわたしだ。わたしが余計な手間を掛けなければ、珠里阿ちゃんたちは今頃、先輩と一緒にテストの練習ができたはずだ。
「せんぱいを不幸にしてるの、あんただよ」
「っ」
ここで。
都合が悪くなったと珠里阿ちゃんに言ったら。
十分な練習ができるだけの時間が、得られるのだろうか。
「わたし、は」
スマートフォンを取り出して。
満足そうに笑う小川さんの前で。
わたしは、通話アプリを、ひらいて。
「そこまで」
肩に掛かる重みに、顔を上げる。わたしの後ろから近づいてきたのだろう。わたしの肩を抱いた珠里阿ちゃんが、小川さんに不敵な笑顔を見せる。
「あたしの友達をいじめないでくれるか?」
「ッ、朝代、せんぱい」
「ふぅー。ちこくしてせーかいだった。な、つぐみ」
「じゅりあちゃん……」
パチッとウィンクをしてくれる珠里阿ちゃんは、とても様になっていた。そんな珠里阿ちゃんに、小川さんはうめき声を上げると、脱兎の如く走り出す。
「あっ、ちょっ、小川! つぎはじぶんの言葉でわるぐち言いにこいよー!」
「へ? じゅりあちゃん、それってどういう?」
「ありゃ、気がつかなかった? あいつ、カンペもってたよ」
珠里阿ちゃんの言葉に、思わず「おお」と感心の声を上げる。自分では思いつかない悪口を言うために、台本を用意してたんだ。それは賢いやり方なんじゃないかな? 台本の出所は気になるけれど……。
「あの、じゅりあちゃん」
それよりも今は、小川さんの言うことがもっともなことだった、ということの方が大切だ。
「つぐみはさ」
「はぇ?」
だから、珠里阿ちゃんに、誘ってくれたのに、って謝ろうとして、遮られる。
「ともだちを助けるときに『めいわくかけるからやめる』って言われたら、どーする?」
「うっ」
「じゃ、行くぞー。いいよな? つぐみ」
にかっと笑う珠里阿ちゃんの笑顔に、わたしは完全に論破されてしまった。確かに、もしわたしが手を差し出す側だったら、ぜったい突っぱねて連れて行く確信がある。
目を閉じると、心の内側、廃墟の鶫が電信柱の影でわたしを見ながら、ほっと息を吐いていた。なんだかやきもきさせてしまったみたいで、申し訳なく思います……。
個室のサロンは、植物園とは反対側、裏道に面したガラス張りの空間で、大きなアンティーク調の長机が一つ置かれていた。個室内にも扉があって、そちらは中等部以上の先輩の付添があるときのみ使用できるミニキッチン、だそうだ。
壁沿いにはお洒落な調度品。天井にはシャンデリア。外は植物園ではなく通路だから、ガラスは磨りガラスになっていて、向こうからもこちらからもぼやけて見えるようになっていた。光を採り入れる目的なのかな?
部屋のサイズは二十畳くらいでけけっこう広い、縦長の部屋だ。少し窮屈でも良ければ、一クラスすっぽり入りそう。ミニキッチンのない方の壁際には大きな六人掛けのソファーがあって、みんな、そこでくつろいでいた。
「あ、つぐみだ。やっほ」
「やっほ、りんちゃん」
りんちゃんはソファーにうつ伏せで寝転がっている。肘を突いてスマートフォンを触っているから、ソーシャルゲームの『ブレグレ』で遊んでいるのだろう。
「つ、つぐみちゃんだ。こんにちは」
「こんにちは、みみちゃん」
美海ちゃんは、ソファーに腰掛けて本を読んでいたようだ。文庫本に栞を挟んで閉じると、柔らかい笑顔を向けてくれる。
「ひゃっ、つぐみちゃんだ。はわわ、サイン、えっと、チェキ、いや、握手だけでもっ」
そんな凛ちゃんと美海ちゃんに挟まれるようにして肩を震わせているのは、小川さんだ。薄い茶色の髪は肩甲骨にかかる長さで、鳶色の瞳はくりくりしている。小川さんはわたしを見ながら百面相をしていて、ちょっと様子がおかしい――。
「ん?」
――あれ? 小川さん???
「つぐみの話しをきいてさ、おかしいなーと思ったんだよね」
わたしの後ろで、個室の扉を閉めた珠里阿ちゃんがそう言う。
「だって、『妖精の匣』できょーえんした小川って、うちのクラスにいるんだもん」
「え? え? え?」
「はわわ、どうしよう夕顔さんっ、つぐみちゃん、いつみてもかわいいっ」
「お、小川さん、いまさら?」
混乱するわたしに気が付かないほど顔を赤くする小川さんの姿は、確かに、『妖精の匣』で共演した彼女の姿だった。確かに、そう、確かにすっごくよく似ている。わたしのクラスの、小川さん、に。
「つ、つぐみちゃん!」
「は、はいっ」
「い、いつも妹の麻鈴が、お世話になってます!!」
「へ?」
小川さん。
小川恵鈴さん。
わたしが共演した、子役の女の子。
「つぐみ、とりあえず座ろーぜ」
「つぐみは私のとなり。恵鈴とサンドイッチする」
「え!? つ、つぐみちゃん、隣ッ!? はわわわわわっっ」
わたしは珠里阿ちゃんに促されるまま、豪華な革張りのソファーに腰掛ける。その頃には凛ちゃんもぴょんと起き上がり、わたしに『ブレグレ』の画面を見せてきていた。
「つぐみ、つぐみ、『“狼雅天星”スズリ』、引けた?」
「うん、引けたよ」
ちらっとわたしを見る凛ちゃんに頷くと、凛ちゃんは表情を輝かせる。
「さすが! スズリのぴんちにさっそうと現れたポチとのユニゾン! きずなと友情のがったいフォーム! すっごくいいよね!」
「うん。かっこういいよね」
「私は引けなかったけど……おししょーも引けたのに……」
「ええっ!? よ、よしよーし」
わたしが思わず凛ちゃんの頭を撫でると、凛ちゃんはわたしの手にぐいぐいと頭を押しつける。
「つぎに引くときは手をにぎってて。そうしたら引けるかも」
「うん、いーよ」
「はわわ、つぐりん尊い……」
そして小川さんは、なんでかそんなわたしと凛ちゃんを見て拝んでいた。御利益はないと思うのだけれど……? あと、つぐりんってなに……? 美海ちゃんはわかっているのか、似たような口ぶりで「小川さん、つぐみみだよ」などと言っていた。
「それで、どう?」
「じゅりあちゃん? どうって言うのは?」
珠里阿ちゃんは長机から椅子を引っ張ってくると、わたしたちの正面で腰掛ける。それから、珠里阿ちゃんはわたしの問いに、小川さんに向けた視線で応えた。
「……今まで、見えてなかったモノが見えた、かも」
「はは、そうだよな」
珠里阿ちゃんの嬉しそうな笑みに、真っ先に笑声を零したのは美海ちゃんだった。
「ふふ、珠里阿ちゃん、うれしそう。ずっと、つ、つぐみちゃんのこと、心配してたから」
「わっ、美海! ナイショだって!」
「ふ、ふふ、ごめんなさい」
「むー」
むくれる珠里阿ちゃん、笑顔の美海ちゃん。
わたしにくっつく凛ちゃん、天を仰ぐ愉快な様子の小川さん。
「つぐみ」
「なぁに、りんちゃん」
「つぐみは、エンリョしすぎ」
「……そう、だね」
凛ちゃんは言葉短く、けれど、暖かくそう告げる。それに、むくれていた珠里阿ちゃんも続いた。
「つぐみはさ、知らないから怖いんだろ? だったら知ればいいじゃん。小川だって、こんなにユカイなやつなんだし」
「つぐみちゃん、すぅ、はぁ、い、妹とかぶるから恵鈴って呼んで!」
「うん、そうだね、じゅりあちゃん。よろしくね、えりんちゃん」
「はぅぁっ!?」
そうだ。ホラーとは、知らないこと、未知のこと、今日までの日常が、わけのわからないものになってしまうことを言うんだ。なんでそんな基本的なことを、忘れていたんだろう。
顔を上げる。磨りガラスから伸びた光のカーテンが、珠里阿ちゃんの横顔を照らしていた。珠里阿ちゃんは笑っていた。信頼と、友情が、珠里阿ちゃんの瞳をきらきらと輝かせる。
(そっか)
知らないことは、こわいよね。
「じゅりあちゃん」
「ん?」
「ありがとう」
「うん」
そしてこの“こわい”は――ぜんぶわたしの糧になる。
怖いことをたくさん経験すれば、それはリアリティという言葉に変わって、わたしの演技を広げてくれる。どうしてこんな簡単なことに気が付かなかったんだろう。
「よーし!」
立ち上がると、みんなの視点がわたしに集まった。
「がんばる! だから、終わったら『お疲れ様の会』、やろ!」
わたしの言葉に、珠里阿ちゃんはにかっと笑う。
「いいね!」
美海ちゃんは穏やかに微笑んで、諸手を挙げた。
「さ、さんせーい!」
恵鈴ちゃんは、キョロキョロと周りを見て、自身も対象だと気が付いて、小さく手を挙げた。
「いいの!? はわわわっ、い、いぇーい????」
そして凛ちゃんは、あんまり変化のない表情を薄く柔らかくして、微笑んで。
「うん。でも、『お疲れ様の会』ってババくさくない?」
「はぅぁっ!?」
それから、からかうようにそう告げた。
「じょうだんじょうだん」
「ぅぅ、りんちゃん……!」
「あはは、つぐみ、かわいい」
わたしはきっと、一生、このサロンでの誓いを忘れない。
だって、本当に前に進む切っ掛けになったのは、今日この日の誓いだったのだから。
――/――
薄暗い校舎の影。わたしは、壁を背に上を見る。気配を感じられる訳ではないけれど、木漏れ日もない夕暮れの狭間に、きっと寄り添ってくれていると信じているから。
「真宵」
わたし専属の護衛で、秘密部隊、みたいなもの。
その名を宵煙と言って、マミィの家に古くから仕える一族の一派らしい。表の御門、裏の宵煙。
「ここに」
音もなく、気配もなく。
言葉少なく、影も薄く。
宵闇の色の女性が、わたしの側で跪く。
「りこういんかずさについてしらべて」
「承知」
再び消える真宵の姿に、わたしの心は奮い立つ。わたしも、真宵くらい姿を消せるようにならないと!
踊るような足取りで、校舎の正門前へ。守衛さんに挨拶をしながら外に出ると、今日は白のロールスロイスが停車していた。車が違っても、ドアの前に立つ小春さんと、運転手の壮年の男性、眞壁さんは変わらないからすぐわかる。
「こはるさん、まかべさん、ただいま!」
「はい、おかえりなさい、つぐみ様」
「おお、つぐみ様、お待たせしました。どうぞ」
眞壁さんはさっと運転席に戻り、小春さんは扉を開けてくれる。ふかふかのクッションが、どこか心地よい。
「ね、こはるさん、お願いがあるの」
「おや、なんでしょうか?」
「もとみやさんについて、おしえて」
「っ」
元宮さん。
元宮登美子さん。
わたしを階段から突き落とした、家庭教師の、女性。
「何故、と、伺っても良いのでしょうか?」
「しらないことは、こわいから」
車両の座席。隣に座る、小春さんを見る。小春さんの背から注ぐ茜色の逆光が、彼女の困惑を深めていた。
「ぜんぶしって、“こわくない”ことにするの。おばけの正体が、かれた花であるように」
車がカーブにさしかかり、光の位置が変わる。リアガラスから差し込む夕暮れの陽光は、わたしの笑顔を照らしてくれた。
「資料を読む際は、お供させて下さい」
「うんっ、こはるさんと、みかどさんも!」
「はい、母も喜びます」
穏やかに進む車窓は、あっという間に瑠璃色を映していた。
わたしは小春さんの緊張した手に自分の手を重ねて、今はただ、穏やかな夜を願った。




