scene1
――1――
竜胆学園は、基本的に少人数クラスで個々人と向き合いやすい環境を作っている。わたしの学年は八クラスあって、A~Hまでのクラス番号が振られている。一クラス事に人数は最大二十人。義務教育の中に演技・舞台関係の専用授業が盛り込まれている形だ。
土曜日は隔週半日授業で、演技関連の授業に丸一日使ったりもする。今日は金曜日だけれど、明日は授業のない土曜日なので、学校が終わったら連休だ。
わたしのクラスは一年A組。優劣ではなくて、組番号が若い方は演者系、後ろの組は舞台裏系を希望する児童が在籍している、らしい。
(今日は放課後まで乗り越えれば良いんだし……クラスメートの観察、しようかな)
わたしのクラスは十九人。奇数のクラスだ。席順は五十音で、わたしは本名にあたるローウェルではなく、馴染みやすいように芸名にも使っているマミィの旧姓、空星を使っている。演劇系に根ざした学校ならではの芸名制度だ。よほどひどくなければ、基本的には配慮される。レオも、本名の繋ではなくレオで通しているようだしね。
(ドア側一番前の席が、演芸会で悪役令嬢をやっていた、姉川ららさん)
姉川さんは、長い髪につり目の女の子だ。その隣が、王子様役だった、王子響君。王子君の後ろが、ヒロイン役で『妖精の匣』で知り合った、小川さんだ。
わたしの席は窓側から二列目、後ろから二列目の席だ。後ろ一席、左一席、という位置。直ぐ正面はボブヘアの女子で、瀬名瀬奈さん。左は目が細くて顔が丸いかわいい子で、和田桃さん。右は前髪で目が隠れた男の子で、木村時生君。後ろ席は、ぽやぽやした女の子で、田村優さん、かな。女の子十人、男の子九人で、少し女の子が多い。
そして。
教室の扉が開く音。無意識に、揺れる肩。
「おはようございます。皆さん、席に着いているようですね」
細い眼鏡の女性だ。それ以上のことは、よくわからない。よく、見られない。こんなことじゃダメだって、本当は、わかっているはずなのに。
「朝のホームルームでは、来月頭の身体測定についてお話しします」
悧巧院一紗先生は、わたしの担任の先生だ。鋭い声と細い眼鏡。体格も細身で、女性にしては身長が高い方、なのかな。一七〇センチ頭くらい、だと思う。
「身体測定では、基本的な測定の他に簡単な体力測定と、一対一での演技を行います」
先生の言葉に、すらっと上がる手。姉川さんの隣の席、亜麻色の猫毛が特徴的な、垂れ目の少年、王子君だ。
「先生」
「はい、王子君」
「一対一、というのは――フッ、だれと、演ればいいんだい?」
演技がかった身振り手振り。意識して甘さを出そうとする声。すごい、日常も演技に組み込んでいるんだ!
「基本的には高学年の上級生ですが、一部の児童は教師と演技をします。たとえば、そう」
先生の目が、わたしに向けられる。わたしはその目を見返すことができなくて、石のように固まってしまった。
「少々、問題のある、いえ、今一歩の児童、などは」
「フッ……ありがとうございます、先生。それなら、ボクのとりあいにならなくて、すみそうです」
「そうですか。では、帰りの会で台本を配ります。そこにパートナーのクラスが書かれているから、各自、挨拶をしておくように。合同練習の授業を設けますので、練習はそこで行いますが、相手の迷惑にならない範疇なら自主練習も認めます」
以上、と、先生が話を切り上げる。身体測定に演技テストが含まれる、なんて、演技系の学校ならでは、という感じがする。きっと、高学年の先輩側の試験でもあるんだろうなぁ。普通の小学生よりもみんな精神年齢が高そうな気もするけれど、それでも下級生と演技をするなんて大変そうだし。
わたしはそう、現実逃避のように考えてから、教室から立ち去った先生の背中に、小さくため息をついた。
(わたしの相手って、たぶん、そういうことだよね)
まだまだ前途多難。簡単に、乗り越えさせてはくれなさそうだった。
――昼。
わたしはいつものようにお弁当を片手に、植物園に向かう。サロンと隣り合った植物園には、蔦と花をモチーフにした美しいアーチがあって、その裏に、誰にも目立たない白いベンチが設置されていた。
ここ最近のわたしのお昼ご飯スポットだ。ここがお気に入り、というのはもちろんなのだけれど、ここ選ぶ理由はもう一つある。それが……。
「つぐみか、早いな」
「おうが先輩!」
青みがかった黒髪に、色素の薄い瞳。細いフレームの眼鏡の下には、いつも理知的な光がある。三年生の、天海鴎雅先輩は、お昼ご飯を一緒に食べる、お昼ご飯仲間だ。
昼時にひとりぼっちだったわたしと一緒にご飯を食べてくれる鴎雅先輩の存在は、わたしの孤独を癒やす助けの手だった。よく晴れた空から注ぐ日差しが、蔦のアーチをくぐり抜けてきらきらと木漏れ日を降らす。鴎雅先輩の理知的な瞳を、柔和に照らしていた。
鴎雅先輩との昼食時は、とくに会話があるわけではない。鴎雅先輩はだいたいサンドウィッチと水筒の紅茶で、わたしは御門さんのお弁当だ。時々マミィも作ってくれるのだけれど、忙しい両親に代わって家のことを任されている御門さんの手料理が、わたしにとっては一番なじみ深い“家庭の味”というやつだったりする。
(甘い味付けの玉子焼き、わたしの好きな味だ)
食事は黙々と堪能して、お弁当をしまい終えた頃に、鴎雅先輩は話を振ってくれる。
「最近はどうなんだ? うまく、やれているかい?」
「えへへ、おうが先輩、おにいちゃんみたいですね」
「まぁ、双子ではあるけれど、妹はいるからね。ただ、はぐらかすということは、進展無し、かな?」
「クラスにおともだちは、その、まだできていないです」
わたしをとても心配してくれている鴎雅先輩には悪いのだけれど、未だ吉報はない。
「でも、ドラマのさつえいで友達になった子が、おはなししてくれることになりました!」
「――そうか。それは良かった」
鴎雅先輩が瞳を伏せる。思わず覗き込もうとすると、木漏れ日の中で瞬いた瞳が、感情の色を消し去っていた。
「おうが先輩?」
「うん? どうした?」
「えーと、なにか、気になることがありましたか?」
思わず尋ねると、鴎雅先輩は小さく首を振って否定する。
「いや、解決するとまた、一人での食事に戻ると思っただけだよ」
「えっ、クラスにおともだちができても、来るつもりですよ?」
「は……? あー、お友達に寂しい思いをさせて、嫌になってしまうんじゃないか?」
鴎雅先輩に言われて、少し考える。わたしの友達の基準は、凛ちゃんたちだ。凛ちゃんも珠里阿ちゃんも美海ちゃんも、寂しいと思っても嫌になったりはしない。そう、確信がある。珠里阿ちゃんの言うように、なにがあっても、絶対、ずっと手を繋いでくれるに違いないという確信が。
「おともだちなら、大丈夫です!」
「そうか……信じているんだな」
「はいっ」
三人はわたしの親友で、わたしのライバルだから。握りしめた拳は、小さくてふにふにとしている。鶫の記憶にある“手”とは全然違っていて、少し頼りない。でも、三人分なら違うだろうし、虹君もレオも、みんながいればもっと大きな力になる。
「――それが、君の“強さ”の源泉か」
鴎雅先輩の、囁きのような言葉に首を傾げる。鴎雅先輩はどこか苦く、けれど、しっかりと口角を上げて、わたしの言葉を受け入れていた。
「さ、もう昼の時間は終わりだ」
「おうが、先輩?」
「心配しなくても、明日もここにいるよ。お友達さえ許すなら、また来ると良い」
「……はいっ」
穏やかに笑う鴎雅先輩に返事をする。
こうも応援されると、やる気を出さないで燻るわけにもいかなくなってくる。わたしは背を押してくれた鴎雅先輩に笑顔を向けると、「がんばります!」と宣言して、頭を下げた。
少しでも良い。
前に進めることを、願って。
――/――
走り去るつぐみの背を見送って、僕はベンチに深く座る。吐いたため息は重く、俯いた自身の影で足下は暗く翳った。
つぐみは良い子だ。苦境にあっても強く、前向きで、友達を信頼している。頭でっかちで絞りかすの僕とは、なにもかも違う。あの子の先輩として慕われている僕が、他ならぬ僕自身が彼女を裏切っていると知ったら、つぐみは、どうなってしまうのだろうか。僕はそれがひどくおそろしく、同時に――。
鋭い視線。
挑発的で、力強く、貪欲な。
『もう行かなきゃ! ばいばい!』
意志の強い、瞳。
「ぁぁ――僕は、どうして」
あの目が、もう一度みたい。
ポケットからスマートフォンを取り出す。狼の横顔が刻印されたそれは、国内最大シェアの企業から販売されたモデルのものだ。その中でも、混じりけのないホワイトカラーで、かつ、癖のないシンプルなものを使用している。
ホーム画面は、学友達のようにアプリゲームが入っていたりもせず、ひたすらにシンプルなものだ。面白みがない、僕自身のようなデフォルトの画面。そのアプリケーションの中から、僕は、通話アプリを起動する。
「もしもし、僕だけれど……」
本当は、通話を選びたくはない。でも、メッセージに残すことはできないから。
『あら、鴎雅。進展があったの?』
声。
耳朶を震わせて。
脳髄を、甘く融かすような。
「ああ。やはり、友情がキーワードだ。クラスで馴染めなくても、外にいる友人に随分と助けられている様子だよ」
『そう。……やはり、私はあまり乗り気ではないわ。外の力を借りるような弱い子よりも、もっと我の強い子の方が好みだもの。一つ下にね、良い子がいるの。朝代さんと言ってね、彼女、とても強い子よ』
「君の考えはわかるよ。でも、僕らには選べない」
彼女の言葉は、淡々としている。抑揚もなく、喜びも、不安もなく。暗躍の一つも、児戯のように指先から滑らせて、足下にただ落としているような超然さ。
このままオトナになってしまったら、どうなってしまうのだろう。母のように狂うか、それとも。僕はそこまで考えて、首を振る。
『そうね。お母様にも困ったモノだわ。でもね、選べない、というのは、少し違うのではないかしら?』
その声色に、ほんの僅かに彩が乗る。僕はその瞬間が、なによりも苦手だ。
「違う、とは?」
『私は、お母様の我が儘に付き合ってあげているだけ。捨てても良いの。どうでもいいわ。でも鴎雅、あなたは違う』
「僕は、僕だけは、選べない、選ぶ立場に、ない」
彼女は、僕の双子の妹は、ほんの僅かにあとから生まれてきた彼女は、掛け値なしの天才だ。行き場なんてどうとでもなる。親の庇護下にある、たった九歳の子供に過ぎない僕らの中で、異質な存在だ。
だから僕は、僕だけは平凡で。
『ふふ、あはは、違う、違うわ、鴎雅』
だからこそ、異質な彼女の言葉に、硬直する。
『これまでのあなたは、選んですらいないわ。流されていただけ。でも今は違う。そうでしょう?』
「なに、を」
『選んだ。あなたは、選んだのよ、鴎雅。いとしいお兄様。あなたはどうしてか、自身の親の身勝手な嫉妬に倣って、罪もない少女をいたぶる道を選んだの』
喉が渇く。
思わず立ち上がって、お手洗いに走った。
喉が渇く。
強烈な吐き気に、個室に飛び込んで、便器にかじりつく。
喉が渇く。
サンドウィッチだったものを吐き出して、咳き込んで。
『だからね、鴎雅』
彼女は、僕の嘔吐の音なんて、気にも留めていなかった。ただ楽しげに、無邪気に、幼気に、言葉を紡ぐ。
『私は、お母様の言う“空星美奈子の娘”に興味の一つもないけれど』
洗面所に立ち、口を濯ぐ。
『あなたの願いになら、応えてあげられるわ』
僕に興味なんかなかった癖に、自身の想定していたレールから外れただけで、彼女は、こんなにも、嬉しそうにして。
『本当は適当に手を引くつもりだったの。でも、あなたのために力を貸してあげる。あの子を、空星つぐみを追い詰めるのは、あなたが選んだことだから』
僕が選んだ。
本当なら、こんなこと、もう終わるはずだったのに。
僕が選んだ。
僕は、なにかを選んでいい人間ではなかった。それなのに。
『ねぇ、鴎雅。あなたの選択の先にあるものがなんであるのか、私にも、教えてちょうだいね。他ならぬ、私に“悪役”を望んだのは、あなたなのだから』
僕の選択が、つぐみを、追い詰める……?
「ああ――いつか必ず教えるよ、椋華」
顔を上げる。ひどく渇いた喉を癒やしたはずなのに、顔面は蒼白だ。
なのに、鏡に映る僕の顔は、焦がれたものを見つけたかのように、歪な笑みを浮かべていた。




