opening
――0――
教師、という存在に思うところはあるのかと問われたら、少し困ってしまう。
私が生きた昭和の時代は、つぐみの目線から見た現代の教師とは違って、子供から見たら口うるさい方が多かったと言われているけれど……両親がいなくなって祖父母に引き取られた私を見る教師は、誰も彼も私を腫れ物のように扱っていた。
だから、教師と言われて思い浮かべるような存在は、申し訳ないけれど、私の生前の記憶のどこにも見当たらない。小学校の教師は遠巻きに私を見て、中学の教師は半ば無関心で、高校はそもそも定時制だったからか、教師どころか周りの同級生も大人ばかりで関係の構築の一つもなくて。
でも、先生という言葉なら、少しだけ覚えがある。
祖父母に引き取られた先、西東京、日の出町。小学校になじめず、かといって祖父母の優しさを素直に受け取ることも出来ず、同級生に嫌厭されていたから一緒に遊ぶ子供もおらず町を彷徨っていた時期があった。
小学校からどこへ行こうにも土地勘がなく、ぴかぴかのランドセルが妙に重く感じていたとき、小学校からほど近いお寺が私にとっての、そうだな、休憩所というやつだった。
大きな母屋と鐘があって、鐘の裏には霊園があった。当時の子供は罰当たりなどなんだのと言って霊園には近寄らず、ひとりぼっちが好きだった私にとっては、その肌寒さすら覚える冬の霊園が、羽を休めるのにちょうど良い止まり木のように思えていたのだろう。
境内は開けていて、参拝客もまばらで。若者のたまり場になるほど近寄るものもいない。でも、たまーに度胸試しにやってくる子供が妙に邪魔に思えて、一度だけ、お化けのフリをして追い払った。そうしたら、いつもお賽銭だけして帰る男の人が私を見て、こういったの。
『足運びがなっとらん。膝を曲げて、頭の位置を一定の高さにせよ』
『……だれ?』
『俺は、そうだな。無道と呼べ――ただの世捨て人だ』
だから、そう。
ごめんなさいね、つぐみ。
私の記憶は、あまり役立ちそうにないのよねぇ。
『今日から、俺がおまえに足さばきのなんたるかを教えてやろう』
『ぇぇ……いらないわ、そんなの』
『クッ……物は試しだ。カカッ』
神社の境内。茜色に染まる白いあごひげをなでつけて笑う男の人。うさんくささしかない白髪の頭と、髪色に対してやけに若そうな顔立ち。
楽しげに笑うあの男性こそが、私の生涯においてずーっと役だってくれた足さばきや気配の消し方を教えてくれた――私にとっての唯一の“先生”の姿だったのだ。
――Blackout――
『つぐみ様、件の教師の件ですが、ご両親に報告いたしますか?』
『ううん、大丈夫だよ。宵煙のみんなにちからを借りればすぐにかいけつするんだと思う。でも、それだと、なんていうか――』
『迷惑をかける、と?』
『――ううん。そうじゃなくて、ええっと、つまり』
「なんて、言ったのはいいけれど」
学校指定の革のランドセルを背負って、いつものように眞壁さんの運転する車で登校。少し早めに到着したのだけれど、教室に向かう気になれなくて、わたしは竜胆学園の本館を正面に見据えた噴水広場のベンチに腰掛けていた。
「『人にたよらないと問題をかいけつできない人になっちゃいそうだから』なんて、格好付けすぎたかなぁ」
私立竜胆大附属小学校は、大学部・高等部・中等部・小等部・幼稚舎からなる巨大なマンモス校だ。正式には、竜胆学園大学附属小学校、だったかな。
正門から入ってまず見えるのは、白亜の階段。中央には噴水広場があって、白亜のなだらかな階段を登り切った先に竜胆学園本館がある。
正門からみて左側、段差の低い順に幼稚舎、小等部、中等部の校舎。白亜の階段を挟んでさらに右側には芸術・舞台施設関連の建物や総合競技用の体育館やグラウンドがあって、その奥に高等部の校舎がある。本館から手前、白亜の階段周辺は歴史ある西洋風の校舎で纏められているけれど、本館裏手にある大学部は近代的な校舎で、最新設備が設けられているのだとか。設立は明治二十四年。戦火を免れた広大な施設で、今も校舎を見に海外から学者さんが来るほど……とかなんとか。
「先生、か……」
鶫の記憶にある教師は、みんなどこか印象が薄い。学校の先生よりもずっと、身体の動かし方を教えてくれた“お師匠さん”の方が印象が強いみたいだ。そうすると、わたしの現状の参考にはならない。
学校指定の革のランドセルを胸に抱え、紺色の学帽をその上に置く。竜胆大附属小学校の制服は、基本的に紺色で纏められている。ブレザーにプリーツスカート。竜胆の花が象られた校章は左胸に。最初に袖を通したときはワクワクしたけれど、今は少し憂鬱だ。
「どうしようかなぁ」
そう、重くため息を吐いたときだった。
足下にかかる影。すぅっと伸びた小柄なそれに気が付いて顔を上げる。
「おはよ!」
赤い髪。
活力のある瞳。
太陽のような笑顔。
「じゅりあちゃん?」
「なんだか朝に会うの、きぐーだな、つぐみ!」
わたしの子役仲間でライバルで友達。
朝代珠里阿ちゃんが、着崩した制服姿で仁王立ちしていた。
「こんな早くに、こんなところでどーしたのさ?」
珠里阿ちゃんはランドセルをくるりと回して足下に置くと、わたしの隣に座る。学帽はなくて、ブレザーのボタンは全開だ。なんだったら胸ポケットから飛び出ているのは、押し込まれたリボンタイだろうし、なんだか気軽に制服を着こなしていた。
「えーと、その」
「なんだよ? あたしとつぐみの仲だろ?」
「そう、だね」
きっとわたしが暗い顔をしていたから、心配して声をかけてくれたのだろう。けれど、けっこう気遣い屋さんなところがある珠里阿ちゃんは、そんなことをおくびにも出さずに、わたしの悩みを聞いてくれようとしていた。
「あのね、実は――」
風邪を引いて遅くに初登校することになって。
『妖精の匣』で共演した小川さんとなんだかぎくしゃくしていて。
その余波から友達が作りにくくなって、未だにクラスに友達が居なくて。
先生もちょっと厳しくて、思ったような演技ができなくて、少し怖くて。
かいつまんで、あと、オブラートにも包んで告げると、珠里阿ちゃんはうんうんと頷いてくれた。
「つぐみ、ぼっちなんだな」
「はぅっ!?」
「はは、いいじゃん。つぐみにはあたしとみみとりんがいるんだから」
「ぅ、ぅぅ、そうだけれどね……?」
わたしの言葉に、珠里阿ちゃんは「じょうだんじょうだん」と言って快活に笑う。
「まず」
「うん」
「つぐみはマジメすぎ!」
「ええっ!?」
珠里阿ちゃんは人差し指をピンと立てると、わたしに向かってそう告げる。わたしって、そんなにマジメなのかな……?
珠里阿ちゃんは「しょうがないやつだな」とでも言いたげに、腕を組んで苦笑いをしていた。
「とりあえず、今日のほーかご、サロンにしゅーごー!」
「う、うん?」
「そうしたら、みみとりんも呼ぶから、さくせん会議だ」
「さくせん会議……わ、わかった」
珠里阿ちゃんは言いながら、スカートのポケットから懐中時計を取り出して時間を確認していた。きらびやかな薔薇の装飾。珠里阿ちゃんのお母さんの、早月さんの趣味だろう。使い慣れた仕草から、珠里阿ちゃんが愛用していることがわかる。
「だいじょうぶ」
珠里阿ちゃんはベンチから飛び上がるように降りると、くるっと回ってわたしの手を取る。そして、朝の陽光を逆光に、笑顔を浮かべた。蕩けるような、甘い、笑顔を。
「なにがあっても、つぐみにはあたしがいるから」
「ぁ」
「なんにも心配しなくていいよ」
ぁぁ、そっか。
「つぐみにいじわるするヤツが、つぐみの優しさにあやかろうなんて、ありえないからさ。そんなヤツは、あたしたちのつぐみのともだちになる価値がない。だから気にするなって。ははは」
珠里阿ちゃん、実はすっっごく怒ってるんだ……!
「じゃ、ほーかごな!」
「う、うん。ありがとう、じゅりあちゃん」
手を振って、照れ隠しのように走り去る珠里阿ちゃん。そのわんぱくな背中に、わたしは控え目に手を振る。
そうだよね。なにがひとりぼっちだ。わたしには珠里阿ちゃんたちがいる。ダディもマミィも、小春さんも御門さんも、ルルも、眞壁さんも、宵煙だっている。最近なら、鴎雅先輩だって! なのに、こんなところでくよくよしていられないよね!
(それに)
思い浮かべるのは、前回のとき、わたしに手を差し伸べてくれた凛ちゃんの姿だ。
(よーし、がんばるぞ!)
立ち上がって、握りこぶしを作る。目を閉じると、廃墟の鶫が同じように拳を握っていた。
お久しぶりです。
今章も、よろしくお願いいたします。




