ドン引き6
「で。華黒は九十九がドン引きするほど世界を呪ってるの?」
「ええと。まぁ。兄さん以外は死んでしまえばいい……は根幹にありますけどね」
パシャッと湯面が跳ねる。浴室でのこと。当然二人揃って水着姿。今日は許可したのだ。
「しかも笑うのが奇跡的なほどの」
「兄さんのおかげです」
僕しか見えない……か。
「華黒がそういうならそうなんだろうけど」
「愛していますよ。兄さん」
ルンと華黒の声が弾んだ。憎悪と呪詛。その両手持ちで、尚笑える華黒の業の深さ。
「さていったい何時や?」
「兄さんに救われてからでしょう」
「むしろ僕が救われたんだけど」
あの地獄からは。
「ですから兄さんが一番大事で、一番大好きなんですよ?」
「恐縮だね」
他に言い様もなかった。実際に華黒は地獄とは別に一度追い詰められた。壊れることもできず。自分を見失うこともできず。ただひたすらに心の出血を促す毎日。救ったのは僕だけど、それだって色んな人に迷惑を掛けて。なのにまだ華黒は僕を好きでいてくれる。有り得ざりし絆の深さよ。それだけで華黒は可愛いのだ。もちろん思うところもある。華黒の視野の狭さも気にかかる。けれども確かに僕は華黒を笑顔に出来ている。それは誇るべき事なのでは無いか。九十九は言った。
「義姉は世界を呪っている」
たしかにそうだ。僕にはそんなモノを感じる能力は無いけど、言われてみれば理解は容易い。華黒に付いた傷はそれほどまでに深いのだから。
「華黒は僕に何を求めているの?」
「身体!」
「聞いた僕が馬鹿だった」
ま、実際こうやってコミュニケーションもとれるわけだし。人の呪詛で世界が滅ぶなら文明なんて有り得ないわけで。
「僕は無力だなぁ」
「兄さん以上の人間なんて見たことありませんけども」
パシャッと湯面が跳ねる。
「恐縮だね」
本当に。本当に。
「にしてもサイコメトリーですか」
「万能では無いみたいだね」
華黒の呪詛は分かっても、その根幹には触れていない。別に耳汚しなんで知られないならその方がいいんだけど。
「兄さんとの大切な記憶は心の底に」
「それは僕も同じかな。九十九に触られたけど、そこまでは理解が及んでいないようだし」
「結局、そこが私たちだけの世界ですね」
「そう相成るのか」
シャワーを浴びる。ボディソープを落としていく。
「しかし義妹ですか。我ながら人生万事塞翁が馬ですねぇ」
たしかに。華黒にとって九十九は義妹になるわけだ。
「向こうも義姉って呼んでるしね」
「一応白坂なんですよね?」
「DNA鑑定も済んでるみたいよ?」
僕と九十九の母親。白坂撫子がどこで何をしているかは知らないけども。
「結局何者なんでしょう?」
それは僕こそ知りたかった。玄冬巌に入れ込んでいなかったのか。あるいはバイオレンスから逃げ出したのか。
「こうなると殺したのはマズかったでしょうか?」
「いや。アレは正解だよ。少なくとも僕は華黒に救われた」
「違います。それより先に……弱い私は兄さんに何度も何度も救われました」
「じゃあそういうことにして」
温かいシャワー。
「どうすれば華黒は世界を呪わないで済むの?」
「無理じゃないですか?」
そー来るかー。
「まず兄さんが生きている限り、私は弱い私と、そこに巡り合わせた世界を呪い続けます。けれども兄さんが死ねば、その不条理は世界に向けられますよ? 兄さん以外の人間が何人……何億人死のうが知ったこっちゃありませんけど……逆説的に兄さん一人が死ぬだけで私の世界は終わります」
「とはいえ僕が生きているだけで華黒の贖罪は終わらない。そう言いたいの」
「まさに」
チャプンと湯面が波紋を作る。
「だから兄さんだけが私の全てで、ソレ以外は十把一絡げですね」
「業の深さは理解するけどさ」
「愛していますよ兄さん。世界中の何よりも」
穏やかに笑うその笑顔の裏に、どれだけの呪いを抱えているのか。
「いったい九十九は何を見たのか……」
「ドン引きする何かをですね」
「それを教えてはくれないの?」
「兄さんには見栄を張りたいですから」
「ご尤も」
そこは確かに僕にも在る。華黒にすら知られたくない秘中の秘。九十九すら感じ取れなかった心の奥底。人はソレを桜と呼ぶ。
「雁字搦めか」
「そう相成りますね」
クスッと愛らしく華黒は笑った。
「ところでおっぱいが大きくなっていくんですけど止め方を知りませんか?」
「九十九くらい大きくなったら考える」
「兄さんはおっぱい星人だったのですか?」
「いや別に」
然程の存在でも無い。
「では如何に?」
「単なる思春期の業じゃ無いかな? 女体に興味を持つのが男の子ってだけ」
「兄さんになら積極的に抱かれてもいいですよ?」
「憂慮しよう」
「考慮じゃなく?」
いやさぁ。だってさぁ。此処で抱いたら僕は自分のアイデンティティが崩壊する。自己の闇と対峙して呑まれること必至だ。
「兄さんは不器用です」
「今更ソレを追求しても遅いよ」
「ソレでも好きですよ」
「僕だって」
そうでなければ恋人になんかしない。それを分かってほしい。世界は怖いだけじゃ無い。春に花が咲くように。夏に青が埋め尽くすように。秋に月が輝くように。冬でも雪が綺麗なように。世界が幾ら残酷でも……優しさだって確かにあることを華黒に知って欲しい。
「無理かな?」
「兄さんが隣にいればこそ」
「じゃあ意地でも死ねないね」
「それでも他者のために死ねる兄さんが怖いんですよ」
「世界を呪うほどに……か」
たしかにうちの妹は壊れているようだ。ドン引きするのも確かだけど、華黒にとって世界とは僕で、僕が全て。何を以て解消するかはわからない。けど何かは残したい。南無。




