第四話
バギーは、ロッキー山脈から、ニューヨーク郊外の防衛基地へ向かう、広大な荒野を走っていた。
怜桜は、運転席でハンドルを握りながら、心の中で複数の思考が渦巻いているのを感じた。秘密施設で発見した情報。四十五年前の陰謀。そして、セレーネドームの最下層で眠り続ける、一人の少女。
すべてが、彼の頭の中で、複雑に絡み合っていた。
後部座席では、アレンがノートパソコンを操作していた。記録装置から持ち出したデータを、複数のバックアップメディアに保存する作業だ。万が一、月光司令部に没収されたとしても、彼らが知った真実が失われないように。
ヘレナは、窓から外の景色を見つめていた。その表情は、平静を保っていたが、その眼には、深い思考が映っていた。
「怜桜」
ヘレナが、静かに声をかけた。
「何ですか」
「基地に到着したら、月光司令部からの厳しい尋問を受けることになるでしょう。その準備はできていますか」
怜桜は、その問いに答えるより前に、一呼吸置いた。
「正直なところ、準備はできていません。だが、逃げることはできない。月光司令部が何を望んでいるのか、確認する必要があります」
「そうですね」
ヘレナは、頷いた。
「月光司令部がこの調査を許可したということは、彼らが何を発見するのかを、ある程度予測していたということです。つまり、彼らは、あなたたちがセレーネドームの最下層にテレースが保管されていることを、既に知っていたのです」
「では、この調査は…」
アレンが、口を挟んだ。
「彼らの計画の一部だったということだ。俺たちは、勝手に真実を発見したつもりでいるが、実は、月光司令部に操られていたのか」
「可能性があります」
ヘレナは、慎重に答えた。
「ですが、その場合でも、私たちが発見した情報の価値は、変わりません。重要なのは、その情報をどう扱うかです」
怜桜は、その言葉をかみしめた。
つまり、彼らは、これから月光司令部と対峙し、その上層部が何を望んでいるのかを、確認する必要があるということだ。
バギーは、基地へ向かって、疾走していた。
ニューヨーク郊外の防衛基地に戻ってきた時、怜桜は、基地の雰囲気が変わっていることに気付いた。
通常よりも多くの警備員が、基地の各所に配置されていた。通信センターからは、複数の通話音が聞こえていた。まるで、基地全体が、何かの緊張状態に置かれているかのようだ。
ロッシ中将は、彼らを迎えた。その表情には、複雑な感情が浮かんでいた。
「よく無事に帰ってきた」
ロッシは、そう言いながら、彼らを執務室へ導いた。
「ロッキー山脈での調査は、どうだったか」
「成功しました」
怜桜は、率直に答えた。
「秘密施設を発見し、データベースにアクセスすることができました」
ロッシの表情が、微かに変わった。
「データベースに、か。では、かなり多くの情報を持ち出したということだな」
「はい。トレイター・プロジェクト、改造人間プロジェクトに関する、完全な記録です」
怜桜は、記録装置を差し出した。その瞬間、ロッシの執務室のドアが、勢いよく開かれた。
そこから現れたのは、二人の男だ。年配の男と、若い男。二人とも、月光司令部の制服を着ており、その威厳は、基地の職員とは異なるレベルのものだった。
「ロッシ中将。任務は完了したようですね」
年配の男が、そう言いながら、怜桜たちに近づいてきた。
その瞬間、怜桜は、何かの違和感を感じた。
「あなたは」
怜桜が、その男に尋ねた。
「名乗ります。月光司令部調査官・エドガー・ヘルメット。そして、こちらが私の部下、調査官補・アーレンス・フォン・ブルグです」
その名前を聞いた時、ヘレナの身体が、硬直した。
「エドガー・ヘルメット…」
ヘレナが、呟いた。その声には、恐怖が込められていた。
「あなたが…」
エドガーは、ヘレナに笑顔を向けた。
「ああ。久しぶりだな、ドクター・カーター。四十五年ぶりだ。あの施設から脱出してから、ずっと月光司令部の中で、活動していたが、君がこの地球班にいるとは、意外な再会だ」
エドガーの言葉から、怜桜は、彼とヘレナが、秘密施設の時代から、関わりを持っていたことを理解した。
「では、あなたが…」
ヘレナは、言葉を選びながら、言った。
「秘密施設のプロジェクト責任者の一人だったのですか」
「その通り。私は、改造人間プロジェクトの現場責任者だった。エドガー・フライシャー博士の直下で、五体の成功型改造人間の製造に携わった」
エドガーは、そう言いながら、怜桜たちを見つめた。
「そして、今、月光司令部の中で、私は、その五体の成功型改造人間の監督者として、活動している。つまり、彼らの配置と運用を、直接管理しているのだ」
アレンが、その言葉の含意を理解した。
「では、飛行型のトレイター個体…」
「個体A-0001ですね」
エドガーが、その言葉を補足した。
「その個体も、あなたたちの制御下にあるということですか」
「正確には、その個体は、私たちの成功型改造人間によって、制御されています。あるいは、制御されていた、というべきでしょうか」
エドガーの表情が、微かに変わった。
「実は、個体A-0001は、先日、月へ移動しました。あなたたちが地球にいる間に。現在、セレーネドーム周辺の防壁に対して、複数の攻撃を加えています」
怜桜は、その情報に驚いた。
つまり、地球で発見した飛行型トレイターは、月光司令部によって、意図的に地球から月へ移動させられたのだ。
「では、この全ての事態は…」
怜桜が、その言葉を口にしかけると、エドガーが答えた。
「計画の一部です。月光司令部の上層部は、地球での状況を完全に把握していました。秘密施設の封鎖、個体A-0001の脱出、そしてあなたたちの調査。すべてが、計画されていたのです」
「では、なぜ、この調査を許可したのですか」
アレンが、質問した。
「あなたたちに、真実を知らせるためです」
エドガーは、ロッシ中将の執務室の奥へ向かった。その後に、怜桜たちも導かれた。
そこには、複数のモニター画面があり、そこに映し出されるのは、月の現在の状況だ。セレーネドームの防壁。複数の軍事施設。そして、飛行型トレイター個体A-0001が、それらに対して、激しく攻撃を加えている映像だ。
「現在の状況をご覧ください」
エドガーが、モニターを指差した。
「個体A-0001は、月光司令部の重要施設に対して、組織的な攻撃を加えています。その結果、月光司令部の軍事力は、大幅に損失しました。同時に、月の一般市民の間には、混乱が広がっています」
「なぜ、このようなことを…」
怜桜が、尋ねると、エドガーは冷静に答えた。
「月光司令部の内部に、改変が必要だからです。現在の指導層は、四十五年前の秘密を隠蔽し続けています。その隠蔽が、月光司令部自体を腐らせている。その腐敗を排除する必要があるのです」
「では、あなたが…」
ヘレナが、その言葉の意味を理解した。
「月光司令部の反乱勢力の一員だと」
「そうです」
エドガーは、頷いた。
「月光司令部の上層部には、二つの派閥があります。四十五年前の秘密を守り続けることを望む派閥と、その秘密を暴露し、新しい秩序を構築することを望む派閥です」
「私は、後者に属しています。そして、この地球班での操作は、その派閥の計画の一部なのです」
怜桜は、その状況を整理しようとしていた。
つまり、彼は、複数の勢力に操られていたということなのか。それとも、彼の選択が、実は誰かの計画に合致していたということなのか。
「では、私たちに、どのような選択を望んでいるのですか」
怜桜が、そう尋ねると、エドガーは、モニター画面上のセレーネドームを指差した。
「月へ帰還していただきたい。そして、セレーネドーム最下層のSublevel 7へ向かっていただきたい。そこで、あなたたちは、ある個体に、覚醒の指示を与えることになります」
「個体A-0006…」
アレンが、その名前を口にした。
「そうです。個体A-0006、通常はテレースと呼ばれる個体です」
エドガーは、テレースの画像を表示した。
「この個体は、四十五年間、保管されていました。ですが、今、彼女の役割を果たす時が来たのです」
「役割…」
怜桜が、その言葉を反復した。
「テレースは、個体A-0001を制御することができます。あなたたちは、テレースを覚醒させ、個体A-0001に、新しい指令を与えるよう、指示する。その指令が、月光司令部の改変を加速させるのです」
「では、テレースの意思は」
ヘレナが、重要な質問をした。
「考慮されるのですか。四十五年間、眠り続けた少女が、目覚めた時に、彼女は何を望むのか。その選択肢を、与えるのですか」
エドガーは、ヘレナの質問に、数秒間、沈黙で答えた。
その沈黙の後、彼は、静かに言った。
「それが、この作戦の最も重要な部分です。テレースが、何を選択するのか。彼女の自由な意思が、人類の未来を決定するのです」
「つまり…」
アレンが、その含意を理解した。
「テレースに、完全な自由を与えるということですか。彼女が、月光司令部の改変に協力することを望まなくても、それを尊重するということですか」
「はい」
エドガーは、頷いた。
「個体A-0006、テレースは、最初から、人間らしい感情を持つために、設計されました。その感情を尊重することが、この計画の核心なのです。もし、テレースが、月光司令部のために動くことを拒否すれば、私たちは、別の方法を考える。ですが、彼女の自由は、何があっても侵害しない」
怜桜は、その言葉を聞いて、深く思考した。
つまり、彼らは、一人の少女の自由の選択に、人類の未来を託しているのだ。
それは、非常に危険であり、同時に、非常に高潔な決断だった。
「わかりました」
怜桜は、最終的に言った。
「私たちは、テレースを覚醒させます。そして、彼女の自由な選択を、尊重します」
アレンも、ヘレナも、その決定に頷いた。
「では、月へ帰還してください」
エドガーは、彼らに月への移動を指示した。
「シャトルは、既に準備されています。あなたたちは、月へ向かい、セレーネドームに到着したら、Sublevel 7へ向かいます。そして、テレースを覚醒させるのです」
ニューヨーク郊外の防衛基地から、地球軌道へのシャトルは、速度を上げていた。
怜桜は、シャトルの窓から、地球を見つめていた。青い星。その表面には、かつての人類の文明があり、今も人類の一部が暮らしている場所。
だが、その地球も、四十五年前の計画的な人口削減の対象だったのだ。
「何を考えている」
アレンが、隣に座って、そう尋ねた。
「地球についてです。この星が、月光司令部によって、どのように扱われてきたのか。そして、これからも、どのように扱われるのか」
怜桜は、ゆっくりと答えた。
「テレースが、月光司令部の改変に協力すれば、地球への態度も、変わるのかもしれません。ですが、彼女が拒否すれば、地球は、永遠に月光司令部の支配下に置かれるかもしれない」
「そうだな」
アレンは、頷いた。
「つまり、テレースの選択が、地球の未来をも決定する。彼女の肩には、本当に大きな責任がある」
ヘレナは、静かに横から口を挟んだ。
「ですが、テレースが、その責任を背負う必要はありません。彼女は、自由を得た時、自分の人生を、自分のために生きることを選択してもいいのです。月光司令部の改変に協力することが、彼女の望みではないかもしれません」
その言葉を聞いて、怜桜は、テレースに対する見方が、微かに変わった。
つまり、彼女たちは、テレースを覚醒させることで、彼女に責任ある決定を迫ろうとしていたのだ。だが、本来は、テレースには、その責任を拒否する権利がある。
「では、Sublevel 7に到着したら、まず、テレースの意思を確認する必要がありますね」
怜桜が、そう言いながら、月を見つめた。
月軌道ステーション、ルナ・ハブが、次第に大きくなっていった。そしてその先には、セレーネドームの光景が見えた。
だが、その光景は、怜桜が月を出発した時とは、大きく異なっていた。複数の施設が、破壊されているように見えた。飛行型トレイター個体A-0001による攻撃の痕跡だ。
月光司令部は、混乱の中にあるのだ。そして、その混乱を利用して、一人の少女が、目覚めようとしていた。
セレーネドームへの着陸は、通常より厳しいセキュリティチェックを伴っていた。
複数の警備員が、シャトルの乗客を確認し、彼らの身分と、目的地を検証した。
月光司令部の内部にも、異議派がいるのだ。彼らが、怜桜たちを、Sublevel 7へ導いていた。
セレーネドーム内の輸送システムを使って、彼らは、地下へ進んだ。深度が増すごとに、気温が低下していった。
Sublevel 7に到着した時、彼らは、生命維持装置の前に立っていた。
そこには、四十五年間眠り続けた、一人の少女がいた。
「では、覚醒指示を与えます」
ヘレナが、装置の制御パネルを操作した。
覚醒プロセスが、開始された。
装置の内部で、複数のシステムが、動き始めた。液体が、徐々に排出され始め、生命維持管が、外された。
三時間のプロセスの中で、少女の身体が、徐々に反応し始めた。
やがて、目が、ゆっくりと開かれた。
翠色の瞳が、この世界を初めて見つめるかのように、明るい光に反応した。
テレースは、目覚めた。
四十五年の眠りから。
そして、彼女の目覚めが、人類の歴史を、大きく変える第一歩になるのだ。




