崩れた気丈さ
俺たちは廊下を歩きながら、次に手当てが必要な人を探していた。
そのときだった。
ふらり、と静淑の身体が揺れる。
「――っ!」
慌てて手を伸ばす。
倒れる前に抱き止めた。
そのまま胸元へ引き寄せる。
顔を覗き込むと――
ひどい顔色だった。
目の下には、くっきりと隈ができている。
……なんで今まで気づかなかったんだ。
「どれくらい手伝ってる?」
俺は問いかけた。
「……わ、分からないわ」
静淑は目を逸らす。
「この子、二日間寝てないのよ」
美影があっさりと答えた。
「ずっと手伝ってる」
「美影! 言わないって言ったでしょ!」
「言わないとは言ってないわよ?」
美影はにこりと笑う。
「言わないでって頼まれたとき、私はただ笑っただけ」
「あなた……っ」
静淑の顔が、みるみる赤くなっていく。
そして――
俺がそのまま彼女を抱き上げた瞬間、さらに真っ赤になった。
まるで花嫁みたいに、横抱きで。
反射的に、静淑は俺の首に腕を回す。
「う、呉剣! 抱えなくても大丈夫よ! まだ歩けるし――」
「将来、俺の妻になるんだろ」
俺はそのまま言い切った。
「だったら、頼るところはちゃんと頼れ。今は黙って任せろ」
その一言で、静淑はぴたりと口を閉じた。
頬を真っ赤に染めたまま、何も言わない。
……素直だな。
そのまま俺は彼女を抱えて医務棟を出た。
後ろからは、美影がくすくす笑いながらついてくる。
やがて静淑の部屋に着いた。
腕の中の彼女は、すでに眠っている。
規則正しい、静かな寝息。
……完全に寝落ちだ。
抱き上げた途端に寝たってことは、それだけ限界だったってことだ。
「本当に頑張り屋さんよね。なんでも真面目にやりすぎるのよ」
美影がくすっと笑う。
俺は静かに静淑をベッドへ寝かせた。
彼女は何か小さく呟いて、少し身じろぎしたが――
起きる気配はない。
それだけ、無理をしていたってことだ。
俺は小さくうなずきながら、彼女の靴を脱がせた。
……足を見て、言葉を失う。
小さくて白い足。
だが――
赤くただれ、あちこちに水ぶくれができている。
長時間立ち続けていたせいだ。
いくつかはすでに潰れていて、膿や血が滲んでいた。
(……どれだけ無理したんだよ)
俺は小さくため息をついた。
そして懐に手を入れ、小さな箱を取り出す。
拳ほどの大きさのそれを開けると、中には軟膏が入っていた。
……これが、最後の一つだ。
隠していたことに、少しだけ罪悪感を覚える。
「最初に会った頃は、少しわがままなお嬢様って感じだったけどな」
俺はぼそりと呟いた。
「でも今は違う。責任感が強い。自分の庇護下にいる者を守るためなら、無理だってする」
「最初に来たときも、子供たちから猫を守ろうとしてたわよね」
美影がくすっと笑う。
そして、じっと俺を見た。
「分かってたんでしょ? この子がこうするって」
少しだけ目を細める。
「だから軟膏を隠してた。誰にも使わせないように」
「……なんとなくだ」
俺は肩をすくめた。
それ以上は何も言わない。
指で軟膏をすくい、静淑の足に触れる。
びくっと身体が反応した。
顔が少し歪む。
だが――
俺が丁寧に塗り込んでいくと、その表情は徐々に和らいでいった。
眉間の皺も消えていく。
足の隅々まで、しっかりと塗る。
指の間も確認する。
……水ぶくれはない。
そこはまだ無事だ。
だが、皮膚はかなり荒れている。
「いい勘してたわね」
美影が言った。
「静淑のこと、ちゃんと分かってきてる」
「そうか?」
「ええ。間違いなくね」
「……そうか」
俺はもう片方の靴を脱がせ、床に置いた。
そのままもう片方の足にも軟膏を塗りながら、口を開く。
「なんか、変な感じだな」
手を動かしながら続ける。
「まさか、ここまで誰かのことを知るようになるなんて思ってなかった」
少しだけ視線を落とす。
「ずっと……お前だけが、こんな風に分かる相手だと思ってた」
美影はベッドに腰を下ろし、俺と静淑を見つめた。
その表情は、妙に穏やかで――
どこか年齢以上に大人びて見える。
「いいことよ」
柔らかい声で言う。
「静淑は本当にいい子だもの。真っ直ぐで、誠実で……それに、あの子は大成する素質があるわ」
少しだけ目を細めた。
「あなたが支えてあげれば、きっともっと上に行ける。そうなれば、私たちにとっても助けになる」
そして、ふっと微笑む。
「信頼できる仲間が増えるのは、いいことよ」
少しだけ間を置いてから、続けた。
「……それに、私はあの子が大好きだもの」
「俺もだ」
俺は短く答えた。
軟膏を塗り終え、最後に静淑の首元へ手を伸ばす。
ネックレスを外して、化粧台の上に置いた。
髪に絡まないようにするためだ。
立ち上がろうとした瞬間――
足が少しふらついた。
……今さら気づく。
昨日の朝から、ずっと起きっぱなしだ。
「静淑だけじゃないみたいね。無理してるのは」
美影がくすっと笑う。
「行って休んできなさい。あなたが寝てる間は、私がもう一人の奥さんを見てるから」
「……いいのか?」
思わず聞き返す。
美影も、俺と同じくらい働いているはずだ。
疲れていないわけがない。
それなのに、ここに残ると言う。
……ありがたい。
でも同時に、少しだけ申し訳なさもあった。
美影はただ微笑んで、ひらひらと手を振った。
「いいから、行きなさい」
その仕草に、俺は小さく息を吐いた。
「……分かった」
観念して部屋を出る。
最後に見えたのは――
ベッドの上で眠る静淑の髪を、優しく撫でる美影の姿だった。
その表情と仕草は――
まるで、大切な妹を見守る姉のようだった。




