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月光姫譚「Illusion2紅い少女」

 メイは森の中を彷徨った。

 何処行く当てもなく彷徨い続けるのは、まるで見つからない答えを捜し求めるようでであり、それはまるで心の迷いを暗示しているかのようだ。

 森の奥から高く澄んだ音色で、水面を鳴らす滴の音が聴こえた。

 何かに呼ばれているように、微かに聴こえる音を頼りにして、メイは森の奥へと進んでいった。

 やがて辿り着いたのは静かに揺れる湖。

 清らかな水が囁き、水の息吹は生命を癒し、湖の底からは叡智の源が溢れてくるような気がする。

 メイは湖の上に目をやった。人影が水面の上を軽やかに飛び跳ねている。それはまさしく、バレエを舞うような動きだった。

 空は厚い雲に覆われてしまい、人影に月の光は届かない。けれど、華麗に舞うドレスのシルエットは見るものの想像力を掻き立て、誰もを芸術家になったような気にさせてくれる。

 人影が跳ねるたびに水面が揺れ、ドレスが大輪の花のように大きく広がりを見せる。

 メイは見惚れてしまった。森の中を彷徨ったのは、ここに来るためだったのかも知れないと思える。

 人影が急に踊るの止めた。

 目と目が合う瞬間。

 メイの瞳に微かに映る女性の顔。どこかで見たことがあるようで、見たことのない顔だった。

 ――思い出せない。

 二十と少しを数えたくらいの女性。その女性からはどことなく月のような、少しミステリアスな美しさが感じられた。

 月の女神を思わせるその女性は水面を歩き、静かに大地に上がって来た。そして、ドレスが黒い喪服だったことがわかり、女性の顔は美しくも儚く、心に穴が空いたような表情をしているのが見て取れた。

「お行きなさい」

 凛とした声が夜闇に響き渡った。

 女性に発した言葉の意味を汲み取るのにメイは時間を要し、言葉の意味を理解してもその場を動かなかった。なぜ、行かなければいけないのかわからない。

 女性の足が止まる。その距離はメイの近くと言うのには遠く、メイの手が決して届かない距離であった。

「お行きなさい、わたくしに出会ったことを忘れ、行くのです」

「どうして、どうして行かなければならないんですか。僕はあなたと話してみたいのに」

「早く逃げて、でないと……!」

 美しい顔が凍りつき、女性は小さく息を呑んだ。

 ガサガサとメイの背後から音が聞こえた。

 メイが後ろを振り向くと、木陰の奥に紅蓮が灯り、白い仮面が浮き上がってきた。それを見たメイは脅えた。あの時に見たものだ。闇の中で自分を追って来た紅色の瞳を持つ無表情な仮面だ。

 ローブを纏い仮面を被った者が闇の奥から姿を現し、その傍らには可愛らしい二匹の羊が連れ添うように佇んでいた。

 メイの心臓は激しく脈を打ち、足は自然と後ろに下がっていた。

 白い仮面の陰から出るように、こもった声が発せられた。

「どうやってこの世界に進入したのだ? 貴様はファントム・ローズの手先の者か?」

「わからないよ、僕はファントム・ローズの手先なんかじゃない」

 後ろに後退していくメイの背後で女性が悲痛な声をあげた。

「止めてナイト・メア、この子をどうするつもりなの!?」

「この者はこの世界の住人ではない。この者は姫に危害を加える者であります。決して生かしてはおけない存在。排除せねばなりません」

 そう言ったファンム・メアの白い手がメイに向かって伸ばされる。その手は実際の大きさよりも大きく見え、メイの恐怖心を駆り立てる。

 掴まったら殺される。そう思ったメイは恐怖のあまり足がもつれて地面に尻餅をついてしまった。

 メイの呼吸が速くなり、白い手が徐々に近づいて来る。

 ――駄目だ掴まる!

 だが、メイに救いの手が差し伸べられた。

 獣の咆哮のような甲高い銃声が鳴り響き、白い手に紅い薔薇が咲いた。

 すぐに幼い女の子の声が聞こえた。

「早くこっちへ逃げて来て!」

 メイは声のする方向を振り向いて、とにかくその方向に向かって全力で走った。

 紅い服に紅い頭巾を被ったメイより年下と思われる幼い女の子が銃を構えていた。小柄な身体のためか、銃がとても大きな物に感じられ不釣合いに見える。

 紅頭巾を被った女の子は片目に眼帯をしており、もう片方の瞳は憎悪や怒りを剥き出しにして、ナイト・メアに明らかな敵意を示していた。

 片手から血を流したナイト・メアはすぐさま姫を取り押さえて、無事な手をメイと紅頭巾の女の子に激しく向けた。

「二人を殺せ!」

 ナイト・メアの激昂する声に反応して、二匹の羊がメイに向かって走り出した。

 ふあふあ雲のような毛を持つ、可愛らしい羊が襲ってくる。

 銃が火を噴き、銃弾が羊に向かってもの凄いスピードで飛ぶ。だが、銃弾は羊の身体を掠め飛び、森の奥へと消えていってしまった。

 紅い頭巾の女の子が怒ったように地面を蹴飛ばす。

「あんたが邪魔で狙いがつかないじゃない! 早くアタシのところまで逃げて来て!」

 そんなことを言われるまでもなく、メイは全力で走っている。

 猛獣が喉を鳴らすような唸り声が聞こえ、メイは後ろを振り返った。そこにいるのは二匹の羊だったが、唸り声はその羊から聞こえた。

 羊の背中が裂けるのをメイは見た。羊の中に何かが潜んでいる。羊の皮を被った何かがそこにいる。

 後ろを見るのを止めたメイは唸り声から必死で逃げ、やっと紅頭巾の女の子の元へ辿り着いた。しかし、休むのはまだ早い。紅頭巾の女の子はメイに腕を取って走り出した。

 羊の背中から黒い影が勢いよく飛び出してきた。その走るスピードは羊の比ではない。地面を駆ける邪悪な顔をした四つ足の獣は、巨大な黒狼であった。

 紅頭巾の女の子の足は速く、メイは引きずられるように森の奥へ走った。後ろからは涎を垂らしながら黒狼が追いかけてくる。

 舌打ちをした紅頭巾の女の子は銃口を黒狼に向けて、力いっぱい引き金を引いた。

 銃声とともに一匹の黒狼が足をもつれさせながら地面の上を激しく転がり回った。

 紅頭巾の女の子が無邪気に笑う。

「よし、当たった! 残るマガミは一匹ね」

 マガミと呼ばれた黒狼は仲間がやられたのを見て鳴き叫び、走るスピードを速めて森の中を駆け抜けた。

 黒狼の足は速く、すぐに二人の真後ろまで迫り、紅頭巾の女の子より少し遅れて走っていたメイに向かって、黒狼が鋭い牙を向けて飛び掛ってきた。

 銃声が響き渡ったが、巨大な黒狼の身体はメイの身体を地面に押し倒してしまった。

「わあぁぁぁっ!」

 メイは叫びながら黒狼の身体を退かそうとするが、巨大な身体は重たくて持ち上がらず、生暖かい温もりがメイの身体に伝わってくる。

 黒狼は大きな口を開け、そこに並んだ牙はどれも鋭く、子供の軟らかい肉を噛み剥がすにはちょうどよさそうで、口の奥からは生臭い香りが空気に漂ってくる。しかし、黒狼はメイに噛み付こうとしなかった。それどころか動こうともしない。

 紅頭巾の女の子は銃をホルスターにしまうと、黒狼の身体を一生懸命に動かしはじめた。

「ほら、自分のことなんだからあんたも力入れて」

「えっ?」

 メイは唖然とした。黒狼はすでに息絶えていたのだ。

 二人で黒狼を退かし、立ち上がったメイは肩で大きく揺らし息をした。ただ疲れたのではなく、恐怖で呼吸が荒くなってしまったのだ。

 呆然と立ち尽くすメイは自分の手が真っ赤に染まっていることに気が付いた。服に真っ赤な薔薇が咲いている。死んだ黒狼の血で穢れてしまった。服だけでなく、それ以上のものが穢されてしまったような気がする。

 ここが夢だとしても、死という重さが心に突き刺さる。例えそれが自分を襲った獣だとしても、メイの心は酷く痛んだ。

 紅頭巾の女の子は黒狼のことなど忘れてしまったように、花光る森の奥へ歩き出した。メイは慌ててその後を追う。

「待ってよ、置いていかないでよ」

「何でついてくるのよ?」

「だって、僕のこと助けてくれたのに、今度は置いてけぼりなんて酷いじゃないか」

「助けたくて助けたわけじゃないし、それにあんたのせいでチャンスが不意になったじゃない!」

 急に強い口調になった紅い頭巾の女の子に怯え、メイはビクっと身体を震わせて足を止めた。それに合わせて紅い頭巾に女の子も足を止めて振り返った。

 紅の中に浮かぶ片目の黒瞳がメイを見据える。

「あんたのせいでアタシの計画は台無しになちゃったの。あんたさえ現れなきゃ、魔女を殺せたのに……」

 俯いた紅い頭巾の女の子は打ち震えていた。

 メイはどうしていいのかわからなかった。だから、この言葉が自然と出た。

「ごめん、僕が悪かったなら謝るよ」

 叱られた仔猫のように身をすくめるメイを見て、紅い頭巾の女の子はため息をついて少し笑みを浮かべた。

「別に謝ってくれなくていいよ、済んだことだし。アタシの名前はベレッタ、あんたは?」

「僕の名前は明るいって書いてメイ」

「変な名前」

「やっぱりそうなのかなぁ?」

「女の子みたいな名前だし、明なのに根暗って感じがする」

 根暗と言われてメイはよけいに肩をすくめた。それがベレッタの心を和ませた。

「やっぱ根暗」

「根暗じゃないよ、ただ、ちょっと人と接するの苦手なだけだよ」

「そういうのを根暗っていうの知らないの?」

「もう、根暗でいいよ」

 メイは顔を真っ赤にして頬を膨らませた。ベレッタの方が幼い顔立ちなのに、今はメイの方がお子様に見える。

 木を背もたれにして地面に座ったベレッタを蒼白い花が優しく照らす。

「ちょっと疲れたから休憩。メイもそこら辺に座って、ちょっと話したいことあるし」

 そこら辺と顎で示された場所に、メイは膝を抱えながらちょこんと座った。

「話したいことって何?」

「人間だよね?」

 突然の意標を衝く質問に、メイは戸惑いながらも上目遣いで頷いた。

「そんな変なことどうして聞くの。僕は人間だよ、たぶん。記憶喪失みたいだけど、どう見たって僕は人間でしょ?」

「この世界にいる人間はアタシと魔女だけだと思ってた」

 静かな夜風が森を吹き抜け、メイは口を小さく開けた。

「そんなまさか!? ベレッタにだってお父さんやお母さんがいたでしょ?」

「みんな殺されたり連れ去られたり。だから残ってるのはアタシと魔女だけだと思ってた。魔女っていうのはメイもさっき見た女のことよ」

 メイの脳裏に牙を剥く怖ろしいマガミが浮かび、あの獣に人々は殺されたに違いないと思った。そう思うと胸が痛み、悲しみがこみ上げて来る。だが、ベレッタは平然とした顔をしている。その表情を見ると、メイの心はなぜかよけいに痛んだ。

 次にメイの脳裏には水面で華麗に踊る喪服の女性が映し出される。とても美しくて、どこかで見た面影を持つ女性。でも、メイの中で何かが違うと言っている。それが何なのかわからない。

 ベレッタはホルスターから銃を抜くと、スライド部分を愛でるように弄り回し、銃の先端に口付けをした。

「この銃は悪魔から貰ったの……片目と交換でね」

 風が囁くように静かに言ったベレッタは、眼帯を少しずらして見せた。現れた瞳は燃え上がる炎のように紅く、だがしかし、感情が全く感じられない冷たい印象を受けた。偽りの炎が瞳の中で燃えている。

 すぐにベレッタは紅い瞳を隠し、銃をホルスターにしまった。その時、メイはホルスターのグリップに薔薇の模様が描かれているのを見逃さなかった。

 薔薇と連想して、メイはすぐに白い仮面を思い浮かべた。一つではなく、二つの仮面を思い出した。ファントム・ローズとナイト・メア――二人は仮面を付けていたのは同じだけど、それ以外にも似ていたような気がした。

 メイはベレッタにファントム・ローズの話を切り出そうとしたが、ベレッタが突然立ち上がったのでタイミングが計れずに言い逃してしまった。

 木々の合間から見える空を見上げたベレッタは、誰に言うでもなく呟いた。

「いつになったら朝が来るんだろうね」

 木々がざわめき、鈴の形をした花が玲瓏たる音色を奏でる。

 少女の横顔は紅頭巾によって隠された。少女は今、どのような表情をしているのだろうか?

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