第60話 久しぶり
今日もバラムたちは来ないなぁ。
客が去った後のカウンター席を布巾で拭きながら、俺は厨房の奥に吊るしたオークキングの肉塊へ目をやった。
カランと鳴る鈴の音。
俺は拭き掃除の手を止め、入口へ振り返った。
「いらっしゃい……」
暖簾越しに見えるがっしりとした足腰と丸太のような手、あちこちに焦げ跡が残った作業着。
バラムか……?
暖簾をくぐってきたのは別人だった。
俺は拭き終えたばかりのカウンター席へ案内をし、厨房へ戻ろうとした。
「ガルド、久しぶりだな」
まさかな。
背後からかけられた野太い声に、足を止めて振り返った。
バラムだった。
「おお、ああ」
何人かの鍛冶師仲間を連れてきてるみたいだ。
「お久しぶりです。バラムさん」
「全員分のオークの鉄板焼きを頼めるか」
バラムはカウンター席に座ると、手のひら広げてを見せてきた。
五人前ちょうどだ。
「バラムさん……」
俺はオークキングの肉塊を見た後、バラムを振り返った。
「今日はいいオーク肉が入ってるんですよ」
「ほう、それは楽しみだ」
「実は、この肉ならもっと美味しく食べられる方法がありまして」
「よし、それで頼む」
オークキングの肉塊をまな板に載せ、包丁を手に取った。
刃を肉に落とす。今日は包丁の通りがすこぶるいい。
トントントン。
薄く切られた肉がはらりはらりとまな板に倒れていく。
それを包丁に乗せ、肉、骨、野菜の旨味が溶けだした熱々のスープにくぐらせていく。
湯気がふわりと立ち上がる。
「見たことない調理法だな」
バラムが身を乗り出して鍋を覗いている。
「そうですか? 俺が子供の頃は母がよく作ってくれたものです」
「おふくろの味か」
熱々のスープと肉を皿に盛りつけ、バラムたちの前に出す。
「どうぞ」
バラムは肉を口へ運び、数回咀嚼したのち、ゴクリと音を立てて飲み込んだ。
そして、皿を持ち上げると一気にスープを飲み干した。
「うまい」
よかった。
オークキングの肉がなくなる前にバラムが来てくれて、本当によかった。
バラムは手で口元を拭うと、空になったスープ皿を俺の方へ向けた。
「おかわり頼めるか」
「は……」
いや、待て待て。オークキングのスープは一人一皿までと決めていたんだった。バラムだけ特別扱いするわけにはいかない。
心苦しいが。
「悪いねバラムさん、オークキングには限りがありまして、一人一皿までなんです」
バラムは手に持っていたスプーンをカタンと音を立てて倒した。
「さ、先に言ってくれよそういうのは。もう少しじっくり味わって食べたのによ」
「また、明日にでも来てください」
「それもそうだな」
バラムは歯に挟まった肉を爪でつつきながら左右の鍛冶師たちを見た。
「あげませんよ」
鍛冶師の仲間たちがスープ皿をバラムから遠ざける。
「いや、ちげえよ。お前たち、話があってここに来たんだろ」
バラムの隣にいた男がオッホンと咳払いした。
「ガルド殿、貴殿はかの素晴らしき片刃剣の名工とお聞きした」
男はまな板の上に置かれた包丁や立てかけてあった包丁に順に目を向けて言った。
「よろしければその技術を我々に伝授していただけないだろうか」
男は両手を広げて真剣な眼差しでこちらを見ていた。
返答に困り、バラムの方を見たが、額に手を当てて天井を仰いでいた。
「技術……ですか。俺は包丁職人ですよ。本職の剣職人の方々に教えられることなんて……」
「わかっておりません。わかっておりませんぞぉ。ガルド殿」
男は包丁を指さして言った。
「それほどの包丁をお作りになる職人。貴殿はただ者であるはずがない」
「ですから、俺は包丁職人ですと」
「頼みます、その技術を我々にお教えいただきたいのです」
男は鼻息を荒くし、身を乗り出してくる。
断ってもこの調子だ。
「そうですね、でしたら三日後の定休日に……」
「だめよ」
立ち上がる男の後ろから凛とした声。
セシリアだった。
振り向いた男が、急に縮こまる。
「おっ王女殿下!」
バラムは「はぁ」と聞こえるほどの大きなため息をついた。
「バラム、来てたのね」
「ええ、まあ」
セシリアはカウンターに手をついて、鍛冶師たちを見渡した。
「ガルドさんは、私が借りるわ」
俺を、借りる?
鍛冶師たちは誰も口を開かない。
数秒の沈黙を破ったのはバラムだった。
「王女殿下は騎士たちの演習を担当されているはずですが、何故ガルド殿を?」
セシリアはおもむろに、右手に携えていた細長い布包みを取り出した。
「これを叩いてるところを見てもらいたいの」
布包みから姿を見せたのは紫色の波紋がついた片刃剣。
セシリアが打った物だ。
「それは……」
「私が作った片刃剣よ。バラムにも少し手伝ってもらったけど」
この前、見せてもらったときから大きく変わっていない気がする。製作が難航しているだろうか。
「王女殿下がそうおっしゃるのでしたら……」
鍛冶師の男はがっくりとカウンターに突っ伏した。
「でしたら――」
俺が声を出すとセシリアも、バラムも、鍛冶師たちも、全員が一斉に顔を向けた。
「でしたら、セシリアさんが剣を打っているところをみんなで見学するのはどうでしょうか」
「私は二人きりで見てもらいたいのだけれど……」
セシリアが何かぼそりと呟いていたが、鍋の煮える音にかき消されてよく聞き取れなかった。
「じゃ、じゃあ俺たちは別の日に――」
バラムが言葉を発するよりも早く、突っ伏していた男が身を乗り出す。
「名案でございます! 名工と謳われる王女殿下の鍛冶を見せていただけるとは恐悦至極。是非ともお願いしたいです」
セシリアもバラムも黙ったままで、目の前の男だけが満面の笑みを浮かべていた。
「セシリアさんも、いいですかね?」
俺が尋ねると、セシリアは口を少し結んだままコクリと頷いた。




