第45話 ここ……王宮なんですか?
「セシリアさん!」
扉を開けて外の通りへ声を張ったが、街道を行き交う人波に紛れ、見当たらない。
すぐ追いついて渡せば、店を空けるのもほんの数分で済むはずだ。俺は布袋を懐に深く押し込み、通りへ足を踏み出した。
人ごみの隙間を縫うように視線を巡らせていると、少し先の角を曲がろうとする大柄な背中を見つけた。
見紛うはずもない。バラムだ。
セシリアたちの姿は見えなかったが、同じ方向へ向かっているに違いない。バラムに追いつけば、セシリアの行き先も分かるはずだ。
俺は足の速度を上げた。
だが、バラムの歩く速度が予想以上に速い。大柄な体で人波を割るようにしてずんずん進んでいく。距離が縮まるどころか、少しずつ離れていくようにさえ見えた。
「バラムさーん!」
走りながら大声を張り上げてみたものの、通りを行き交う荷車の車輪音や人々の雑音にかき消されたのか、バラムは振り返るそぶりも見せない。
まずい、速すぎる。
足をめいっぱい動かして追いかけたが、急に肺が苦しくなってきた。足がもつれそうになり、たまらず街道の端にあった石壁に手をつき、膝を折った。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
こんなに走ったのはいつぶりだろうか。
包丁を叩き続けてきた。身体を動かすことには慣れているつもりだったが、まるで違う。
「バラムさん……足が速すぎるでしょう……」
汗を拭いながら、遠ざかっていく背中を睨む。
心臓がどくどくと鳴っていた。
「……俺も、年を取ったな」
こうしちゃいられない、早く追いかけないと。
俺は再び重い足を前へと踏み出した。
角を抜けると視界が開けた。
大通りの先には見上げるほど大きな白亜の門が。
バラムは門の脇にある小さな通用口のような場所をくぐっていくところだった。
「待ってくれ、バラムさん――」
追いつこうと門へ駆け寄った瞬間、ギラリと光る刃物が視界を遮った。
「止まれ。王宮に何用だ。ここから先は関係者以外立ち入り禁止だぞ」
全身鎧を纏った兵士の長槍が俺に向けられている。
「え……?」
呼吸を整え、改めて周囲を見渡す。白い壁がどこまでも続いていた。
「ここ……王宮なんですか?」
門番の男は怪しむように俺の顔を見た。
「知らずに来たのか? ……お前、王都の者ではないな?」
「ええと。二月ほど前に、王都の外れで食堂を始めたばかりでして」
三十年近く辺境で包丁を叩いていた身だ。王都の地理など、店と市場の往復くらいしか把握していない。まさかこんな近くに王宮があるとは知らなかった。
ただ、入れないとなると困った。俺は懐から布袋を取り出し、門番に向かって掲げて見せた。
「すみません。セシリアさんという方が、ここを通りませんでしたか? 忘れ物をされてしまって、届けたいのですが」
「セシリア……?」
門番は隣の兵士と顔を見合わせ、念を押すように問いかけてくる。
「……セシリア王女殿下のことか?」
「お、王女!? いえ! 鍛冶師のセシリアさんという方です」
門番は呆れた顔でため息をついた。
「そんな名の鍛冶師などここを通っておらん。……身元も分からん者の取次はできん。下がれ」
取り付く島もなかった。
「そうですか……」
門の奥を覗き込んでも、先ほど入っていったバラムの背中はもうどこにも見当たらない。
バラムは確かにここへ入っていった。だが、セシリアは通っていないという。なら、セシリアたちとは途中で別れたのだろうか。
それにしても、あのバラムが、王宮に出入りするような人だったなんて。腕のいい鍛冶師だとは思っていたが、王宮からも仕事を頼まれるほどだったとは。王都の職人はやっぱりすごいな。
さて、この金貨をどうしたものか。
布袋を握り直したところで、背筋に冷や汗が流れた。
……待てよ。
バラムを追いかけることしか頭になくて、店をすっぽかしてきてしまった。
煮込みの鍋は火から下ろしてあっただろうか。仕込み中の肉は出しっぱなしになっていないか。お客さんは大丈夫だろうか。
すぐに戻らなければ。
「すみません、ご迷惑をおかけしました!」
門番に頭を下げると、返事も待たずに踵を返した。
「お、おい!」
後ろから門番の声が聞こえた気がしたが、振り返る余裕などなかった。
さっきまで息切れしていたことも忘れて、死に物狂いで走った。
路地に入ると、店の前には人だかりができていた。
「おいおい、おっちゃんどこにもいねえぞ?」
「もう開店時間とっくにすぎてるはずなだけどな」
革の鎧を着た冒険者たちが、開いた扉の周りで首を傾げている。馴染みの常連たちだ。
「す、すみません! お待たせしました!」
息を荒らげながら駆け寄ると、冒険者たちが一斉に声を上げた。
「お! ガルドのおっちゃん、お帰り!」
「どこ行ってたんだよ、探したぞー!」
「申し訳ない、すぐ厨房に入りますから!」
頭を下げながら暖簾をくぐる。追うようにして冒険者たちがドカドカと店内に雪崩れ込んできた。
「どこ行ってたんだよおっちゃん。腹減らせて待ってたんだぜ?」
カウンター越しに言われ、俺はエプロンを締め直した。
「いやぁ、客人が忘れ物をしていってしまってね。それを届けに追いかけていたんですよ」
「へえ、忘れ物か。災難だったな」
鉄板に火を点け、油を引く準備をしながら答える。
「届けられたのか?」
「いやぁ、途中で見失ってしまってね。結局渡せずじまいです」
「まあ、また店に来た時に渡せばいいだろ! それよりおっちゃん、オーク肉の鉄板焼き頼む! あと冷えた麦酒も!」
「俺も同じやつ!」
「はいよ」
注文を受けて、俺は厨房の奥から熟成させたオーク肉を取り出した。
まな板の上に肉を置き、出刃包丁を握る。
手に馴染む木柄の感触。さっきまで握っていた金貨の重みとは違う。
よかった。迷子にならずに戻ってこれて。
切り分けた肉を熱した鉄板の上に並べる。
ジュワッ――!
威勢のいい音と共に、芳ばしい肉の脂の香りが厨房一杯に広がる。パチパチと油が跳ねる音に混ざって、麦酒の杯を打ち合わせる乾杯の声が聞こえてきた。
「おっちゃん、いい匂いだ! 早く頼むぞ!」
「はいはい、今盛り付けるからね」
結局、金貨は返せずじまいだったな。
次にセシリアたちが来たとき、ちゃんと渡してやらないと。それまでは、厨房の引き出しの奥にでもしまっておくことにしよう。
俺は大杯に勢いよく麦酒を注ぎ、焼きあがったオーク肉を客の前に運んだ。
「お待たせしました」




