第40話 その剣、誰が使うんだ?
グランツ工房の炉は、もう何日も火が落ちていた。
煙を吐き出さなくなった煙突は、ただ黒い口を開けている。
作業台の周囲には、研ぎ上げられた剣が数本、壁に立て掛けられたまま埃を被っていた。
床には傾いた酒瓶が転がり、乾いた木屑と混ざり合っている。
レオンは作業台の前の丸椅子に深く腰掛け、両手を膝の間に落としたまま動かなかった。
目の前の卓上には、鍛冶ハンマーも、鏨も、砥石すらない。
ただ、冷え切った金床の黒い塊だけが置かれている。
聖剣包丁の札を立てて売ることは、王宮からの通達で禁じられた。
商会からの引き合いは途絶え、市場に溢れかえった模造品の包丁は、一気に棚の奥へと追いやられたという。注文は一枚も届かなくなった。
包丁を叩く気力もなければ、剣の槌を振るう気にもなれなかった。
「……火を入れておらんのか」
掠れた声とともに、足音が工房の入口から響いた。
視線だけをわずかに動かす。
肩に羽織りを引っかけたヴァルターが、壁に手を預けながら立っていた。まだ顔色は白く、呼吸も浅い。
「……何の用だ、親父」
「商会から使いが来ておった。お前が不在の時にな」
ヴァルターは冷え切った炉の横を通って作業台へ近づいた。
「聖剣包丁の名は使えなくなったそうだ。どこぞの商会が抱え込んでいた在庫もすべて止まった。あちこちの鍛冶場が真似て叩いたせいで、市場は売り物にならん包丁で溢れておる」
「……知ってるよ」
「それだけではない。ガルドの打ったものだと思って買った料理人どもから、返品と苦情が相次いでおるそうだ。『以前の切れ味とまるで違う』とな」
レオンは奥歯をぎりりと噛み締めた。
膝の上で重ねていた手が、固い拳に変わる。
「……他所の工房の連中が、調子に乗って同じ形を叩き始めたからだろ」
低く吐き捨てる声には、鋭い刺が混ざっていた。
「調子に乗って真似しやがって……ガルドの包丁は、元々うちの工房のもんだろうが。なんで他所の鍛冶屋が甘い汁吸ってんだ」
ヴァルターはただレオンの顔を見つめていた。
沈黙に耐えかねたようにレオンは立ち上がり、作業台の端を拳で叩きつけた。木板が大きな音を立てて跳ねる。
「料理人どもなんてな、技術なんか見ちゃいねえんだよ! ガルドの評判と聖剣って名前だけに飛びついてただけだ! 名前さえついてりゃ何でも買い叩いてたくせに、今さら違いがどうこう言い出しやがって!」
「お前は、ガルドの名前だけで包丁が選ばれていたと思っておるのか」
「そうだろ!」
レオンは吐き捨てるように叫んだ。
「俺の打った包丁の方が、切れ味なら鋭いはずだ! 魔法鉱石を混ぜて、冷却魔法で刃先も硬く締めた! 技術なら俺の方が上なんだよ! なのにあいつらは『刃が入る感覚が違う』だの『使ってると手にかかる』だの抜かしやがった! 道具としての切れ味は俺の作の方が上なんだ! 客は名前しか見てねえんだよ!」
激しい呼吸の音が、工房に響く。
レオンは息を荒らげながら、ヴァルターを睨みつけた。
己の技術をすべて注ぎ込んだ。
それなのに否定され、ガルドの影を塗っただけの模造品の方が売れた。
そして今や、その名前すら使えなくなって捨てられた。
技術など、最初から誰にも見られていなかったのだ。
ヴァルターは目を閉じ、レオンの肩を叩いた。
「どれ。一本打ってみろ」
「……は?」
「鉄を叩けと言っておる」
「今さら売れねえ包丁を打って何になるってんだ」
レオンは鼻で笑い、再び椅子へ腰を下ろそうとした。
「最近のお前ときたら、酒を飲んでは外をふらふらしているばかりで、鉄に触れておらんのだろう。手が鈍る」
「うるせえな……」
レオンの視線が、工房の隅へと向いた。
そこには、ガルドを追放してから夜まで炉に立ち、何本も叩き続けてきた剣が積まれている。
ガルドを追い出し、自分がこの工房の主として立つために、血を吐く思いで叩き続けた剣だ。
だが、それらは一向に売れなかった。
いくら剣を打っても買われず、見下していたガルドの包丁ばかりが噂になり、そして今、すべてが崩れ去った。
「あの剣だって、あの有り様なんだぞ……」
レオンの声から、急に熱が抜けた。
「いまさら剣を打ったって、誰も買いやしねえよ」
ヴァルターは身を翻すと、棚から火種を取り、冷え切った炉へ向かって足を進めた。
「おい、親父! 何してんだ!」
「……っ、ふ……っ」
重い炭の袋を持ち上げようとしたヴァルターが、激しく咳き込んだ。細い肩が大きく上下し、膝ががくぐりと折れそうになる。
「無理するなって言ってるだろうが!」
レオンは飛び起きると、ヴァルターの手から強引に炭袋をひっつかんだ。
「体も戻ってねえくせに、余計なことすんじゃねえよ! どけ!」
粗暴にヴァルターを脇へ押しやると、レオンは炭を炉へ放り込み、火種を注いだ。
風を送ると、乾いた音を立てて火花が散る。
黒かった炭が次第に赤みを帯び、炉に熱が戻っていく。
レオンは息を整えながら、棚から鉄塊を掴み取った。
「叩けばいいんだろ、叩けば! 見てろよ!」
火床の奥深くに鉄を突っ込む。
赤く染まっていく鉄の色を、レオンの目が捉えていた。
十分に染まったところでレオンは鉄を引き抜く。
金床の上に叩きつける。
右手で重いハンマーを掲げ、振り下ろした。
キン、と高く澄んだ音が工房内に鳴り響く。
叩き。引き延ばし。折り返す。
火花が四方に飛び散り、赤い鉄の塊が、剣を形作っていく。
リズムよく響く槌音を聞きながら、ヴァルターは火床の脇に腰を下ろし、その手元を見つめていた。
「その剣、誰が使うんだ?」
ハンマーを振るうレオンの腕が、止まりかけた。
が、そのまま勢いをつけて鉄を叩きつける。
「騎士か冒険者だろうが! 剣なんだから当たり前だ!」
「誰だ?」
「……はあ? 誰だっていいだろうが! 買いに来た奴が使うんだよ!」
「ガルドはな」
ヴァルターは燃え盛る火床を見つめた。
「客一人ひとりのことを考えて打っておった」
「……またガルドかよ!」
「隣の宿の主人には、右手に古い傷があった。だから握りを少し太くして、手に力を込めなくても済むようにしておった」
ハンマーを叩きつける音が、荒くなった。
「別の料理人にはな、朝から晩まで解体を続けても腕が張らんよう、刃を薄く調整しておった。使う人間がどう動くか、どこに力をかけるかを最後まで見ておったよ」
「うるせえんだよ!」
レオンは金床の上の鉄を強く叩きつけた。
「ガルド、ガルドって、親父はそればっかりだ! あいつはただの包丁職人だろうが! 俺は剣を打ってんだよ! 親父は黙って見てろ!」
炉の熱を浴び顔を真っ赤にしたまま、レオンは焼き入れの作業へと移った。
水槽に赤熱した刃を叩き込む。
激しい水蒸気が立ち上る。
砥石の上で刃を滑らせる音が、規則正しく響く。
小一時間後。
レオンは研ぎ上がった剣を高く掲げた。
ランプの光を鋭い刃筋が白く返している。
レオンは作業台の脇に置かれていた太い木材を引き寄せると、両手で剣を握り締め、一気に振り下ろした。
パカン、と乾いた音が響く。
角材が二つに割れて床へ転がった。
「どうだ!」
レオンは肩で息をしながら、剣を突き出した。
「切れるだろうが! 腕はなまっちゃいねえ! 俺の鍛えも、刃付けも、完璧なんだよ!」
息を荒らげるレオンの前で、ヴァルターは腰を上げた。
ヴァルターの視線は、差し出された剣の刃先ではなく、それを握りしめているレオンの手元に向けられていた。
「……切り口は見事だ。切れ味も文句はない。それで、使いやすさはどうだった?」
「……あ?」
レオンは自分の右手を見下ろした。
「……使いやすさ……?」
剣を固く握りしめていた右手が、微かに震えていた。
手のひらの皮膚が赤く圧迫され、指の関節には鈍い痺れが残っている。
太い角材を一刀両断にした一撃の衝撃が、手首から肘を通って、肩まで重く残っていた。




