第39話 聖剣という名の商品
長机の上に、よく似た十数丁の包丁が並べられていた。
壁際の手押し車には角が擦れた木箱が山と積まれ、油と羊皮紙の匂いが立ち込める室内で、帳簿や納品書が卓の端を押しやっている。
商会の責任者が一本の包丁を掴み、持ち上げた。
ランプの光を刃筋に滑らせ、ひっくり返す。
「……これもか」
斜め後ろに控えていた仕入れ担当が、顎を引いた。
「はい」
「切れないのか?」
「いえ。普通の包丁として使う分には問題ないでしょう」
「じゃあ、何が問題なんだ?」
仕入れ担当が歩み寄り、指先で木卓の上の別の包丁を滑らせた。
「料理人に持たせますとね、刃の通りがまるで違うと言うんです。刃が入るには入る。でも、使っていると手にかかる感じが違うんだとか」
責任者は掴んでいた包丁を放した。
硬い木の上に、カチャンと甲高い音が響く。
「俺の目には、どれも変わらんように見えるがな」
傍らに立っていた別の商人も、別の包丁を手にとり、親指の腹で刃をそっと撫でた。
「普通に切れるぞ。皮も肉も引っかからずに落ちる」
「ええ。道具として落ち度があるわけじゃありません」
仕入れ担当の言葉に、商人は首をひねりながら包丁を卓へ戻した。
「なら商品としては十分だ。……それにしても、いつの間にこれほど膨らんだ?」
仕入れ担当が帳簿の端を指で繰り、数字の並ぶ列を叩いた。
「始まりはグランツ工房です。以前、あそこから評判のいい包丁が出てましてね」
責任者が眉間を寄せ、薄い唇を噛んだ。
「……あの辺境の鍛冶場か」
「ええ。市場で、妙な噂が流れ出しましてね。『聖剣みたいによく切れる包丁がある』と。で、その打ち手が元はグランツ工房にいたって話が広まったんです」
「それで、お前がグランツ工房に掛け合ったのか?」
「はい」
「最初はいくら仕入れた?」
「二十本です」
「捌けたのか?」
「並べたその日に」
仕入れ担当が帳簿を音を立ててめくった。
「ですがね、そこから先は市場の方が勝手に膨らんでいったんです。他所の工房から『聖剣包丁を扱わないか』と売り込みが来るようになりまして」
「グランツ工房の専売じゃなくなった、わけか」
「王都の鍛冶街にいる連中が、こぞって同じ形を叩き始めたんです」
仕入れ担当が示した紙面には、いくつもの工房の紋印と納品数が隙間なく書き連ねられていた。
「売れると分かれば、真似た鉄を叩くのが職人の性でしょう。あいつらにしてみりゃ、需要があるものを形にしてるだけに過ぎません」
責任者は帳簿に乱暴に記された文字に指を押し当てた。
「で、この聖剣包丁ってのは何だ。誰が名付けた?」
「買いに来る料理人たちが口々にそう呼んでいただけですよ。『聖剣包丁をくれ』ってな具合に」
「それが仲買の間にも広まって……いつの間にか品名として乗った、か」
腕を組んでいた商人が、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「客がそう呼びたがって、品が飛ぶように売れるんなら、その名前で札を立てりゃいいだけの話だろうが」
「それはやめた方がいいでしょう」
王宮との折衝を担当している男が口を挟んだ。
責任者が顔を上げる。
「なぜだ?」
「先日の通達です。聖剣という名称の使用について、王宮から正式に申し入れが来ています」
男は羊皮紙を一枚、卓の中央へすべらせた。
「……名前だと?」
「ええ。聖剣でもなんでもない刃物に聖剣と札を立てて商いをしていること、それ自体を問題視しています」
責任者がその紙を拾い上げ、一瞥する。
「ただの商売の文句だろうが」
男が首を横に振った。
「そうはいきませんよ。聖剣は王国の歴史と王家に深く関わる名称です。一民間の商会が、商品名として勝手に使っていい言葉ではありません」
男はふと視線を壁かけの時計に向けた。
「……と、そろそろお時間ですね」
廊下から硬い靴音が近づいてきた。
扉が叩かれ、使用人の案内で文官の衣を纏った男が入ってきた。大げさな護衛も連れず、手帳を抱えた小柄な男である。
「お待ちしておりました。王宮からのご連絡にあった件ですね」
文官は長机の上に並ぶ包丁を見渡し、帳簿と交互に目を走らせた。
「先に申し上げておきますが、我々はこれらの品質や切れ味の真偽を確かめに来たわけではありません。公的に管理されている呼称を、商品名として使っていることが問題なのです」
商会責任者が答える。
「私どもとしましても、主導してその名を付けたわけではありません。現場の料理人や仲買人の間で自然発生的に定着した経緯がございます」
「経緯は承知しております。ですが、理由がどうあれ公的な呼称をそのまま商品名として流通させるわけには参りません」
文官は仕入れ先と数量の欄を順に目で追い、いくつかの数字を手帳へ書き写した。
「……なるほど。帳簿上の数字は確認できました。ですが現物も見せていただけますか? 現在庫はすべてここに置かれている分ですか?」
責任者が首を振る。
「いいえ、ここにあるのは本日確認いただく分のみです。保管分の在庫は階下の地下倉庫に収めております」
「案内していただけますか」
四人は石造りの階段を降り、地下倉庫の重い扉を開けた。
ひんやりとした空気と共に、油と木箱の匂いが立ち込める。燭台の光が照らし出したのは、天井近くまで積み上げられた木箱の山だった。
箱の側面には『グランツ工房』『ベルツ鍛冶工房』『王都第三鉄工街』と、異なる刻印が押されている。
しかし、すべての箱の正面には、共通の紙札が貼り付けられていた。
『聖剣包丁』
確認者は手を伸ばし、札の表面をなぞった。
一箱。二箱。
通路の奥へと視線をやると、同じ札が貼られた箱が、幾重にも重なって暗がりの中に続いていた。
確認者は手帳を閉じると、暗がりに続く木箱の列を見上げた。
「……想定していたよりも、深く入っていますね」
声に高ぶりはない。
「名称の使用につきましては、改めて正式な通達を出します。商品札の変更を行っていただく必要があります」
「承知いたしました。各工房および仲買人へ周知いたします」
責任者が頭を下げ、文官は奥まで続く箱の列を一度見渡してから、歩き出した。
地下倉庫に残された責任者と仕入れ担当は、積み上がった箱を見つめたまま立ち尽くしていた。
別々の工房の刻印。
まったく同じ紙札。
聖剣包丁。




