第32話 王女、食堂を訪れる
昼前の日差しが、食堂の床に影を落としていた。
からりと扉の鈴が鳴った。
「いらっしゃい――ああ、バラムさん。また来たのかい」
視線を上げると、バラムが立っていた。
相変わらず腕っぷしの強そうな体格だ。
そのすぐ後ろに、見慣れない連れがいる。
小柄な女性だ。
上質な生地の服を着ているが、身のこなしはどこか軽やかだ。
年齢はまだ若い。
バラムの知り合いだろうか。
店の外には、少し離れた場所に立つ騎士さんの姿が見えた。
「ガルド殿、立ち寄らせてもらった」
「ちょうどテーブル席が一つ空いてますよ。こちらへどうぞ」
俺が奥の二人がけの席を指さすと、連れの女性が首を横に振った。
「カウンターが空くまで、待っていてもいいかしら?」
俺は首を傾げた。
テーブル席なら広々と座れるというのに、わざわざ待つという。
「構いませんよ。じゃあ、こちらの壁際の椅子で少し待っていてください」
二人は壁際の椅子に腰掛けた。
それから十分ほどで、カウンターで酒を飲んでいた先客が立ち上がり、会計を済ませて出て行った。
「お待たせしました。空きましたよ」
声をかけると、女性はすぐさま立ち上がり、カウンターの中央の席を選んで座った。
バラムもその隣に腰を下ろす。
「ご注文は何にします?」
「店主のおすすめでいいわ」
「今日はオークの煮込みがおすすめですよ」
「それにしてもらうわ」
「俺も同じものを頼む」
「かしこまりました」
注文を受け、俺は厨房へ向き直った。
木板の上に分厚いオーク肉を載せる。
肉を切り分けていると、視線を感じた。
バラムの連れの女性が、身を乗り出して俺の手元を凝視している。
視線は俺の指先、包丁の刃、そして切られていく肉の断面を何度も往復していた。
微動だにせず、包丁の軌道を追っている。
(最近は多いな……)
料理を待つ客の視線とは少し違う。
包丁を見ている目だ。
俺は肉を鍋へ移しながら、バラムに軽く声をかけた。
「バラムさんのお知り合いの鍛冶師さんですか? 随分と熱心に見られてますけど」
バラムは言葉を詰まらせたようにチラリと横を見た。
連れは落ち着いた様子で彼を制するように手を出した。
なんだろう。
何か言っちゃいけないことでも聞いただろうか。
「ええ、知り合いよ。セシリアと呼んでください」
彼女が自らそう言った。
「分かりました。セシリアさんですね」
「……ねえ店主。その包丁、変わった使い方をするのね」
セシリアがつぶやくように言った。
視線はまだ、まな板の脇に置いた出刃包丁に向いている。
「そんなに珍しいですか?」
「……ええ。少し」
「最近は包丁を見に来るお客さんが多いんですよね」
俺は苦笑しながら、鍋にスープと香草を投入し、火を強めた。
じっくりと煮込むことしばらく。
オーク肉に火が通り、出汁の香ばしい匂いが広がる。
深い皿に盛り付け、スープをたっぷりとかけて二人の前へ運んだ。
「お待たせしました。オークの煮込みです」
「いただくわ」
セシリアはスプーンを取り、スープとともに煮込み肉を口に運んだ。
咀嚼し、飲み込む。
「……美味しい」
バラムも黙々とスプーンを動かしている。
セシリアは料理を口に運びながらも、時折、洗い場に置かれた包丁へ視線を送っていた。
料理をきれいに平らげると、彼女は布巾で口元を拭い、俺を見た。
「店主。少し時間をもらえるかしら」
その言葉に、俺は手元の拭き掃除を止めた。
「どうぞ。ちょうど手隙ですから」
セシリアは足元に置いていた細長い布袋を引き寄せ、その口を解いた。
中から取り出されたのは、一振りの剣だった。
鞘から抜かれた剣身が、店の灯りを弾いて冷たく光る。
彼女はその剣を、カウンターの上へ横たえた。
「……剣ですか?」
「ええ。あなたに、この刃を見てほしいの」
俺は一歩引き、苦笑いを浮かべた。
「俺は包丁職人ですよ。剣を見るなら、街の武器鍛冶のところへ持っていったほうがいい」
俺の専門はあくまで包丁だ。
魔物を切るための武器の良し悪しなんて俺には分からない。
セシリアは「……そう」と呟き、肩を落とした。
バラムが横から口を挟んだ。
「ガルド殿。どうか一度、見ていただけないだろうか」
「バラムさんがそこまで言うなら……」
客からの頼みを無下に断るのも気が引ける。
俺は手ぬぐいで手を拭うと、カウンターの上の剣に近づいた。
金属の冷気を感じながら、刃の近くに手を伸ばす。
刃の表面を指の腹でそっとなぞる。
「……硬いですね」
バラムの喉からゴクリと音が聞こえてきた。
「焼きも強めに入れてある。刃厚は……ここは少し厚いかな。全体的にがっしり作られている」
剣を持ち上げ、掌の上で重さを確かめる。
「重心が前ですね。振ったときに持っていかれる感じがある。それと……硬さを優先しすぎているせいか、少し粘りが足りない気がしますね」
セシリアは両手を口に当てて頷いていた。
決して悪い物じゃない。
鋼の選定も鍛えも丁寧だ。
職人が腕を振るって打ったのが伝わってくる。
「悪い剣じゃないですよ。すごく丁寧に作られている」
俺がそう言うと、セシリアの表情がふっと緩んだ。
「ただ……」
俺は剣をカウンターに戻した。
「何を切るための剣なのか、少し分からないですね」
バラムが滝のように汗を流している。
料理に香辛料を入れすぎてしまったのだろうか。
「硬いものを叩き切るなら、これくらいの硬さと厚みがあってもいい。でも、その分だけ衝撃が刃に返ってくる感じが強い。使う人がどういう体格で、どう振るのかによって、もう少し調整を変えたほうがいいと思います」
「……どうして、そこまで分かるの?」
絞り出すようなセシリアの問いに、俺は首を傾げた。
「包丁と同じですよ」
「包丁と?」
「ええ。肉を切るのと魚を切るのでは、必要な刃が違います。硬い骨を断つ出刃と、柔らかい刺身を引く柳刃じゃ、研ぎ方も厚みも全く別物だ。硬いものを切るからって、ただ硬くすればいいわけじゃない。刃が欠けたり、使う人の手に負担が返ってきたら料理になりませんから」
セシリアはしばらく、自分の剣をじっと見つめている。
「それで、この剣は何を切るために作ったんです?」
「……聖剣を目指しているの」
「聖剣?」
俺は思わず聞き返した。
聖剣という言葉くらいは知っている。
王家に伝わる、古い伝説の武器だ。
ただ、当然ながら実物を見たことはない。
「王家に伝わる聖剣を再現するために作ったの」
「へえ……」
なるほど、再現か。
鍛冶師としての挑戦というわけだ。
彼女の真剣な眼差しを見て、納得がいった。
「だったら、なおさら使う人のことを考えたほうがいいと思いますよ」
「使う人のこと……?」
「ええ。聖剣っていうのがどんなものか俺は知りませんけどね。使う人間がいるなら、その人が扱いやすい刃にしたほうがいい。どれだけ凄い鋼を使っていても、使い手が振り回されるような刃じゃ、道具として意味がないでしょう」
セシリアは唇を噛み締め、じっと剣を見つめていた。
「……あなたは、いつもそうやって包丁を作っているの?」
「そうですね。料理人が毎日使うものですから。使いやすくて手が疲れないのが一番ですよ」
セシリアは剣を両手で持ち上げ、しばらくその刃を見つめてから布袋へと収めた。
「……もう一度、作ってみる」
「そうですか。いい剣になるといいですね」
布袋を抱え、セシリアが立ち上がった。
バラムもそれに続いて起立する。
「また来てもいいかしら?」
「もちろん。お腹が空いたらいつでもどうぞ」
俺が笑って答えると、彼女は入口へと向かい、暖簾に手をかけたところで振り向いた。
「次は、もう少し違う剣を持ってくるわ」
「分かりました。期待して待っていますね」
「……ええ」
二人が店を出ていく。
「……変わった客だったな」
俺は包丁職人だから、剣のことは詳しくないんだけどな。




