第31話 聖剣と呼ばれる刃
石造りの室内に、古い羊皮紙と研ぎ石の独特な匂いが漂っていた。
王宮の奥に位置する『古式鍛冶研究室』。
棚には幾重にも及ぶ資料が並び、作業台の上には冷ややかな光を放つ試作の剣身や鋼材の細片、そして王家が代々引き継いできた秘録が広げられている。
「――つまり、魔鉱石を一切混ぜず、ごく普通の炭素鋼を叩いたと?」
羊皮紙を繰る手を止め、少女が振り返った。
王女セシリア・ル・ヴァロワ。
王族としての気品ある衣服を纏ってはいるが、その目には炉のように燃え盛る火が宿っている。
「は。間違いございません」
バラムは背筋を正し、報告を続けた。
周囲に控える側近の騎士や、腕利きの研究者たちが息をのんで見守っている。
「冷却魔法による急冷もなし。炉の炎の色と、焼き入れの際油に落とす僅かな音と感覚のみで温度を計っているとのことです」
「油か……。水よりも冷却が緩やかになる分、割れや歪みは抑えられるけれど、硬度を出すのが難しくなるはずよ。炉の温度を極限まで見極めなければ、なまくらになる。……それを感覚だけで?」
「はい、本人は冷却魔法を使うと刃が悪くなる、と」
「悪くなる……」
セシリアは作業台の上の試作剣に視線を落とした。
「姫様、少々お待ちを」
研究者の一人が口を挟んだ。
「その者が奇妙な技術を持っているとしても、それは地方の職人が経験則で培った勘の域を出ないのでは? 我らが追っているのは王家の至宝、聖剣の製法です。魔鉱石も魔法も使わぬ包丁鍛冶の仕事が、研究の参考になるとは思えません」
側近の騎士もうなずく。
「左様です。バラム殿、その包丁職人の話はそれくらいに――」
「待ちなさい」
セシリアが手を挙げて制した。
「バラム。あなたはその包丁で切られたものを見たのでしょう? 何があったの?」
「……ハッ」
バラムは深く頷き、言葉を繋いだ。
「その職人、ガルド殿は、切る対象……食材によって、刃の角度や研ぎ方を明確に変えておりました。肉には肉の刃を、魚には魚の刃を、といったように包丁に無駄な負担をかけないよう扱っておられました」
研究者たちは顔を見合わせた。
「食材に合わせて……刃を変える?」
「ええ。硬度や切れ味をただ追い求めるのではなく、扱う食材の硬さや筋に合わせて、刃の形や研ぎ目を整えているのです。あの包丁は、何かひとつの性質だけが飛び抜けているわけではありませんでした。素材、焼き、刃角、研ぎ……その一つひとつが、使う目的に合わせて噛み合っていたのです」
セシリアは作業台の記録書に手を伸ばした。
紐解かれた羊皮紙には、古の記述が残されている。
「硬くすれば刃は鋭くなるけれど、脆くなる。粘りを出せば、今度は切れ味が落ちる。私たちがここ数年、ずっと行き詰まっていたのはそこよ」
セシリアが羊皮紙を指でなぞる。
『使い手の意を汲み、動きを阻害せず、力がそのまま刃へと伝わる』
『刃が手の延長となり、断つべきものを断つ』
「でも、聖剣が求めていたのは違う。硬さでも、鋭さでもない。使い手の動きを阻害せず、力をそのまま刃へ伝えること、刃そのものが使い手の身体の一部のように振る舞うことよ」
「……まさか、姫様」
研究者が顔を青くした。
「その街の包丁職人が、聖剣の製法を知っているとでも?」
「そんなはずないでしょう」
セシリアは即座に否定した。
「聖剣は我が王家の秘宝。街の職人が製法を知る由もないわ。それに、その職人も自分の打ったものを料理に使いやすい包丁としか言っていないのでしょう?」
「は。ガルド殿はごく自然に、日々の道具として仕込んでおられました」
「なら、なぜ……」
セシリアは羊皮紙を強く握りしめた。
「私たちが何年かけても越えられなかった壁を……なぜ、その人は包丁を作る中で、当たり前のように越えているの……?」
誰も口を開かなかった。
ガルドが聖剣の技術を知っているはずはない。
それでも、結果だけを見れば、聖剣の記録にある理想と、あまりにもよく似ていた。
「……会ってみたいわ」
セシリアの一言が静寂を割いた。
側近の騎士が慌てて身を乗り出す。
「姫様! でしたら、その者を王宮へ召集させましょう。すぐに手配を――」
「駄目よ」
セシリアはきっぱりと言い捨てた。
「王宮に呼んだら、相手は王族を前にして身構えてしまうわ。私が知りたいのは、その人が普段どういう考えで、どういう手つきで刃を打っているかよ。飾られた言葉なんていらないの」
「では、自ら向かわれるとおっしゃるのですか!?」
「ええ。食堂をやっているのでしょう? なら、客として行けばいいわ」
セシリアは作業台の端に置かれた一本の剣を手に取った。
研ぎ澄まされた美しさを持つが、どこか歪みを残す模造剣。
セシリア自身が、聖剣の再現を目指して自ら叩き上げたものだ。
「それに……これを見てもらいたいの」
「姫様が打たれた剣ですか……」
「そう。何年間も試行錯誤して、それでも何かが足りない私の剣。……彼なら、何が足りないのか分かるかもしれないわ」
◇
同じ頃。王都の外れ、静かな路地裏。
まだ陽の低い朝の光が、小さな食堂の厨房を照らしていた。
調理台の上には、今朝仕入れたばかりのオーク肉。
赤身が引き締まり、脂のノリもいい分厚い一塊だ。
エプロンを締め、包丁を手に取った。
「今日はいいのが手に入ったな」
肉の端へ刃を当てる。
スーッ、と吸い込まれるように包丁が通り、肉片が木板の上へと倒れていく。
切り口は潰れることなく、美しい光沢を放っていた。
「……これなら、旨い煮込みができる」




