第3話 今日はいいオーク肉入ってますよ
翌日、遅めの昼過ぎ。
ガラガラと引き戸が開き、さっそく一人の客が顔を出した。昨日、一番最初に来て肉野菜炒めを平らげたあの若い冒険者だ。
「いらっしゃい」
「親父さん、開いててよかった! 昨日の飯が忘れられなくてさ。今日もあの炒め物、できるか?」
「ああ、すぐ出せるよ」
続けて、市場で買い出しをした帰りに通った野菜売りの商人も、ひょっこりと顔を覗かせた。
「おうガルドさん、近所のお仲間を一人連れてきたぞ。ここの炒め物はマジで一度食っておいた方がいいってな」
「そいつはありがたい。空いてる席へどうぞ」
店内にはカウンター数席と小さなテーブルが二つ。まだ満席には程遠いが、昨日作った料理を気に入った人間が、こうして再び足を運んでくれる。静かだった店内に少しずつ人の気配が混じり始め、厨房に立つ背中が自然と温かくなった。
「よし、追加で仕入れに行ってくるか」
客足が一段落したところで、手ぬぐいを首に掛け、市場へ向かう。
ギルドの建物が見える大通りへ出ると、人だかりができていた。数人の冒険者たちが、荷馬車の上から巨大な獲物を下ろそうと汗を流している。
重い地響きを立てて石畳に転がり出たのは、体長二メートルを超えるオークの巨体だ。分厚い皮膚と強靭な筋肉の塊。仕留めたばかりらしく、まだ微かに熱を帯びている。
「へっ、大物だが……こいつは解体が骨だな。ギルドの解体場も混んでるし、どうすっかな」
「肉は美味いが、筋が多くて硬いからな。買い手がつかなきゃ俺たちで干し肉にでもするか」
冒険者たちが困り顔で首をひねっている。俺は荷馬車へ近づき、オークの腿肉あたりを突いて固さを確かめた。
「オークか。脂がしっかり乗ってるな。美味そうな肉だ」
冒険者の一人が振り返り、俺の腰に下げた包丁へ目を落とした。
「あんた、市場の奴か? オーク肉を買うのかい? こいつは皮も厚いし筋肉も硬い。捌くのに相当な力と時間がかかるぞ」
「包丁を正しく入れれば問題ないさ。肉が美味いなら、部位ごとにもらいたいんだが、売ってくれるかい?」
「買い取ってくれるなら助かるが……ここで捌くのか? 解体道具もなしに?」
「包丁ならここにある」
腰に下げた革袋から、大きめの出刃包丁を取り出した。
周囲から、小さなざわめきが起こった。
「あんな普通の包丁で……?」
「オークの皮、切れるのかよ」
俺はオークの巨体の横に膝をつき、刃先を硬い皮膚の継ぎ目に入れた。
力任せに叩きつけるような真似はしない。皮と肉の境目、筋肉が重なり合う筋の走行、骨と関節の隙間を指先で探る。大きな魔物だからといって特別なことは何もない。デカいだけで、やるべき仕事は小さな鶏や豚と同じだ。
すっ、と刃をすべらせる。
果実の皮を剥くように、オークの強靭な皮膚が滑らかに開いていった。
「……なっ!?」
冒険者の声が引きつる。
俺は構わず、刃先を骨の関節の隙間へ滑り込ませた。力で骨を断つのではなく、靭帯の接合部を正確に切り外す。コッ、と軽い音がして、丸々と脂の乗った大きな腿肉が、綺麗に骨から離れ落ちた。
筋肉の繊維を一切潰さず、赤身と脂身が完璧な割合で分かれている。切断面はざらつきがなく、鏡のように滑らかだ。
「よし、筋はここだな。この向きで刃を入れれば、硬い筋も気にならなくなる」
ブツブツと独り言を言いながら、背肉、バラ肉と手際よく切り出していく。
作業を始めてからほんの数分。オークは跡形もなく、綺麗な肉の部位ごとに切り分けられていた。
周囲の冒険者たちがぐうの音も出ない様子で固まっている。
「おい……なんだ今の……?」
「オークの皮って、あんな手ぬぐいみたいにスルスル剥がれるもんか……?」
「刃が骨に引っかかりもしなかったぞ……どうやったんだ?」
「あれだけの巨体を、数分で……?」
俺は出刃包丁を拭き、革袋へ収めた。
「そうかい? 包丁職人が三十年も刃物を扱っていりゃ、肉の構造に合わせて切るくらい誰でもできるさ。刃先を素直に通してやりゃ、包丁が勝手に切ってくれるんだよ」
「いやいやおかしいだろ! どんだけ修行したらそうなるんだよ!」
冒険者たちが口々に叫ぶのを余所に、俺は買い取った新鮮なオーク肉を布に包み、重みを感じながら店へと戻った。
◇
「いらっしゃい」
入ってきたのは、昼間、俺がオークを捌いているところを見ていた若い冒険者だった。同僚らしき冒険者を一人連れている。
「親父さん! 昼間のオーク肉、まだあるか?」
「ああ。ちょうどいいところだ」
「よっしゃ! こいつにも食わせてやりたくてさ」
若者は連れの冒険者を振り返り、得意げに笑う。
「オーク肉って硬くて噛み切れないことが多いけど、親父さんの料理なら期待できるな。二人分、頼む!」
「あいよ」
さっそく厨房に入り、先ほど解体したオークの背肉をまな板に載せた。
繊維の向きを見ながら、食べやすい厚みに切り分けていく。
熱した鉄板に脂を引き、塩コショウを振ったオーク肉を滑り込ませる。
ジュゥゥッ、と激しい音と共に、香ばしい脂の匂いが厨房を満たした。強火で表面をサッと焼き固め、最後にニンニクと少しの醤油で香りをつけ、熱々の鉄板のまま客席へ運んだ。
「お待たせ。オーク肉の鉄板焼きだ」
「うおっ、めちゃくちゃいい匂い……!」
競うようにナイフとフォークを伸ばした。肉塊を口へ運び、噛みしめる。
二人の手が止まった。
「……っ!?」
「な、なんだこれ……!? これ本当にオーク肉か!?」
若者が肉を見つめたまま、何度も瞬きした。
「柔らかい……! 刃がすんなり通ったと思ったら、噛んだ瞬間に肉汁が溢れてくる! オーク特有のあの嫌な臭みも筋っぽさも全然ねえぞ!」
「脂が……甘い……! 味付けはシンプルな塩とニンニクなのに、噛むほど肉の味が出てくるぞ!」
「そうだろ。解体するときに無駄な筋を切って、脂身と赤身のバランスを整えておいたからな。刃を正しく通してやれば、肉は柔らかく美味しくなるんだよ」
俺が説明すると、連れの冒険者は頭を抱えた。
「いやいや、肉の切り方だけでここまで味が変わるわけねえだろ……! どんな技術使ってんだよ!」
ふたりはそれ以上言葉を挟む間もなく、夢中で鉄板の上の肉を貪り、添えられたパンで残った肉汁まで綺麗に拭き取って平らげた。
「ごちそうさま! 親父さん、こんな美味いオーク肉食べたの生まれて初めてだ!」
「満足してもらえたなら良かったよ」
若者はお金を払うと、連れを振り返りながら店を出て行った。
その夜、店じまいをしていると、店の近くの路地から声が聞こえてきた。
「おい、あの角の古い店、明かりが点いてたが何かできたのか?」
「あそこか? あそこはヤバいぞ。メシがめちゃくちゃ美味い。特にオーク肉だ。食えば分かるから、明日行ってみろ」
「へえ、オーク肉ねえ……明日覗いてみるか」
暖簾を下げ、厨房の包丁を一本ずつ丁寧に布で拭き上げる。
研ぎ澄まされた三徳包丁を包丁立てに戻し、俺はふっと息を吐きだした。
「……明日も、いい肉が入るといいな」
厨房の明かりを消す。
表通りの喧騒も遠くなり、店の中には静けさだけが残った。




