第29話 ガルドはな……最初から、ああだったわけじゃない
レオンは俯いたまま、横目でヴァルターの顔色を窺った。
手の中で光る包丁は、いくら精巧に見えようとただの包丁だ。
「なんだよ」
レオンは床から拾い上げた鎚を作業台の上に軽く放り投げ、つっけんどんに言った。
「見た目はそれなりだが、武器にもならねえ代物を親父がそんなに眺める理由が分からねえよ」
ヴァルターは手元の刃から目を離さなかった。
指先を刃に添え、鋼の仕上がりと微妙な刃付けの角度を確かめている。
「……本当に、お前が、ガルドを追い出したのか?」
しわがれた低い声が、工房の冷えた空気を突いた。
「ああ。そうだ」
レオンは隠す様子もなく、胸を張って答えた。
「親父が倒れてから、この工房の切り盛りは俺がやってる。あいつは包丁しか作れねえ役立たずだ。グランツ工房の名を継ぐ武器鍛冶に、包丁しか打てない奴を置いておく余分な飯の種はねえよ。どこかで包丁でも研いで暮らせって吐き捨てて追い出してやった」
レオンは作業台の地金を指で叩いた。
「まさか本当に職人をやめて、外で食堂なんて始めるたぁ思わなかったがな。正解だったろ。工房にとってもあいつにとっても、俺の判断が一番正しかったんだ」
ヴァルターは動きを止めていた。
包丁を握りしめたまま。
やがて、重い吐息が老人の胸から漏れた。
「……馬鹿者」
掠れた声だった。
レオンは一瞬身を縮こませたが、すぐに反論した。
「何がだよ。俺は工房のやりくりを言ってるんだ。武器鍛冶として――」
「お前は本当に、ガルドを『包丁しか作れない』と思っていたのか?」
ヴァルターが言葉を遮った。
レオンはヴァルターの目を見ることができなかった。
「実際そうだろ」
俯きながら言い返した。
「あいつが剣を打ったところを見たことがあるか? 鎧の装甲板を鍛えたことがあるか? いつも隅で包丁の刃ばかり研いでやがった。剣一つ作れねえ奴を、武器職人と呼べるわけねえだろ」
ヴァルターはレオンの方まで歩み寄ると作業台の上に包丁を置いた。
「……この刃が見えないのか」
「だから、ただの包丁だと言ってるだろ」
「これはな、使う人間が何を切るための刃なのかまで考えて打ってある」
ヴァルターはレオンが打った鉄塊に触れるとその刃をなぞった。
「長く使って、何度も研ぎ直す。その先まで考えた刃だ。……俺が見てきた鍛冶仕事の中でも、これほど完成された刃はそうない。お前のはどうだ」
「な……」
レオンの口から、掠れた声が出た。
「何を言ってんだよ、親父。そいつは……ただの包丁だぞ? 確かに切れ味は異常だが、包丁は包丁だ。剣の打ち方とはまるで違う――」
「武器として見ても、一流の刃と比べて遜色はない」
ヴァルターが言い切った。
「な……遜色がない……? 冗談だろ? あんな小さな鉄片が、一流の刃と同等だって言うのか?」
「冗談でこんな顔をすると思うか」
ヴァルターはガルドの包丁を再び持ち上げると、刃の表面を親指でなぞった。
「あいつが打った包丁を、お前は何本見てきた?」
「え……」
「ガルドが研ぎ終えた刃を、手に取って改めたことが一度でもあるか? あいつが炉の前で何を削り、何を試していたか、お前は一回でも見たのか?」
問い重ねられるたびに、レオンの言葉が詰まった。
見ているわけがない。
ガルドが工房の隅で包丁を叩いているとき、レオンはいつも鼻で笑っていた。「またゴミを作っている」と一蹴し、視界に入れることすら避けていた。
「俺は、あいつを高く買っていた」
握った槌の柄が汗で滑った。
「高く……買っていた……? あいつを……?」
「そうだ」
「嘘だ……! 親父はいつだって俺に武器鍛冶の基礎を叩き込んだ! ガルドには任せる仕事がねえから、雑用みたいに包丁を作らせていただけだろ! 評価なんて……そんなはずねえ!」
レオンの声が高くなった。
「……じゃあ、なんでだよ」
レオンは歯を食いしばり、しわがれた声で絞り出した。
「なんであいつは……あんな包丁を作れるんだよ。ただの包丁職人が、なんでそんな刃を打てるんだ……!」
ヴァルターは包丁を作業台に置くと、我が子を見つめた。
「……それを知りたいか」
ヴァルターはレオンの背に手を乗せた。
「あいつがどうやってあの技術を身につけたか、お前は知らんのだろう」
レオンは答えることができなかった。
握りしめた拳の爪が、掌に強く食い込む。
ヴァルターはレオンの背をさすりながら、低い声で言った。
「ガルドはな……最初から、ああだったわけじゃない」
レオンが顔を上げた。
「……どういう意味だ?」
ヴァルターは薄暗い工房の奥へ視線を向けた。




