第25話 俺はもうここで店をやっていますよ
昼のピークを迎えた店内には、オークの脂が爆ぜる音と香ばしいニンニクの匂いが満ちていた。
「親父、オーク肉の鉄板焼き一つ! あと麦酒な!」
「はいよ、すぐ焼くよ」
厨房で包丁を握り、今朝仕入れたオーク肉の筋を薄く削ぎ落とす。
刃を滑らせるたび、余分な筋膜だけが吸い付くように剥がれていく。
厚手の鉄板に肉を乗せると、ジュウッと勢いよく煙が立ち上った。
カウンター席はすでに埋まり、奥のテーブル席でも職人や料理人たちが湯気の立つ皿を囲んでいる。
「親父、今日のスープも美味いな!」
「肉の出汁がよく出てんだよ。ゆっくり食っていってくれ」
注文を裁きながら、鉄板の肉をひっくり返す。
肉を切り分け、皿に盛り付けてカウンターへ出した。
外をちらりと見ると、暖簾の向こうに数人の客が並んでいるのが見える。
「ちょっと待たせちゃうな……手早く仕上げるか」
包丁を握り直したその時、表の通りからがやがやと騒がしい声が聞こえてきた。
「おい、お前! 横入りするなよ!」
「そうだぞ、みんな並んでるんだ!」
鍋の火を弱め、首にかけた手ぬぐいで汗を拭きながら厨房を出た。
「なんだ? 喧嘩か?」
入口の戸を開けると、行列の先頭で大柄な男が並んでいる客を押しのけるようにして突っ立っていた。
上質な上着を着ているが、苛立ったように眉間へ深いシワを寄せている。
「急いでるんだ。少しくらいいいだろ」
「少しくらいって、あんたねえ! こっちは二十分も前から待ってんだぞ!」
文句を言う客を鬱陶しそうに見下ろす男の顔を見て、俺は思わず足を止めた。
「……レオン?」
声を聞きつけたレオンが、こちらを振り返った。
その目には、いつものとげとげしさがある。
「ガルド。いるなら入れろ。急ぎの用だ」
「おいおい、店主の知り合いだか何だか知らねえが、並びなよ!」
レオンは眉ひとつ動かさず、吐き捨てるように言った。
「俺は客じゃねえ。ここの店主に用があるんだ」
周りの客たちが不穏な空気を察して身を乗り出してくる。
俺は慌ててレオンと客の間に割って入った。
「すみません、みなさん。俺の古い知り合いなんです……本当にすみません。少しだけ話をさせてもらってもいいですか?」
「なんだ、親父さんの知り合いなら仕方ねえな……」
「だがな、いくら知り合いでも次はちゃんと並べよ」
並んでいた客たちが渋々納得してくれたのを確認し、レオンに向き直った。
「……とにかく、中に入ってくれ。外で話すようなことでもないだろ」
レオンは客たちに謝るでもなく、胸を張ったまま店内に足を踏み入れた。
しかし、一歩入ったところでレオンは足を止めた。
香ばしい肉の匂い、客たちの談笑、皿と匙が触れ合う澄んだ音。
満席の店内を見回すレオンの視線が、右へ、左へ、そして奥へと動く。
カウンターの客が、こちらに気付いて声をかけてきた。
「親父、俺の追加の麦酒は後でいいからな。知り合いと話してきなよ」
「ああ、悪いね。すぐ戻るよ」
レオンは何も言わなかった。
店内をひと通り見回すと、今度は戸口の外へ視線を向けた。
そこには、入れ替わりに並び直した客たちが、まだ何人も順番を待っている。
レオンの喉が小さく動いた。
何かを言いかけたように見えたが、固く口を結んだまま動かない。
「……どうしたんだ? わざわざ王都まで来るなんて。何かあったのかい?」
声をかけると、レオンはハッと正気に戻ったように俺へ視線を戻した。
顎をわずかに引き、腕を組みながら言った。
「ガルド。工房に戻れ」
「……はい?」
素っ頓狂な声が出た。
「戻れって……どういうことだ?」
「そのままの意味だ。王都の料理人どもが、お前の打った包丁を寄ってたかって欲しがってる。工房にも大量の注文が届いてるんだ」
レオンは両手を広げ、こちらへ一歩踏み込んだ。
「ガルド、お前が工房に戻れば全部解決する。給金だって、前に払っていた額より上乗せしてやる」
「はあ……」
「こんなところで料理人ごっこなんかやってるより、職人に戻ったほうがいいに決まってるだろ」
レオンは店内の客を一瞥し、小さく鼻を鳴らした。
「お前には包丁しか作れねえが、その包丁を欲しがってる客が山ほどいる。俺がわざわざ声をかけてやってんだ。工房に戻れば、安定して職人として食っていけるんだぞ」
レオンの口調には、一切の迷いがなかった。
「……でも、俺はもうここで店をやっていますよ」
レオンは不快そうに眉をひそめた。
「そんなもの、畳めばいいだろ」
「畳む……?」
「こんな食堂、いつまで続くかも分からないだろ。仕入れに追われて、慣れねえ料理をして……惨めだとは思わんのか。お前が戻る場所は、グランツ工房だ。俺がその場所を用意してやったんだからな」
レオンは腕を組みなおして、さらに距離を詰めてくる。
俺は厨房の包丁立てに差された、包丁に目を向けた。
それから、料理を美味しそうに頬張っている常連たちの顔を見た。
「……そうですか」
目と鼻の先まで近づいているレオンの目を見つめた。
「わざわざ王都まで足を運んで、そうやって声をかけてくれたんですね」
レオンは踵を返し、入口へと足を進めた。
「フン、分かればいいんだ。すぐに荷物をまとめて――」
「せっかく声をかけてもらったのに、申し訳ないんですが……」




