第23話 あいつの包丁より、切れるだろうが
朝の光が工房の窓から差し込む中、作業台の端には、昨日打ち上げた魔鉱石の包丁が青黒く澄んだ光沢を放っていた。
レオンは包丁を手に取り、親指で軽く刃筋を確かめた。
歪みはなく、研ぎ澄まされている。
「切れ味じゃねえのかよ……」
作業台に刻まれた溝に包丁をあてる。
あの使者も、昨日の客も、俺の包丁の本当の価値を分かっていないだけだ。
あいつの包丁なんかよりも俺の包丁の方がいいに決まってる。
「感触だとか、疲れないとか、意味わからんことを言いやがって」
そこへ、ガラリと工房の戸が開いた。
「はぁはぁ……すんません、ここがグランツ工房でしょうかな」
息切れしながら入ってきたのは、エプロンを腰に巻いた小太りの男だった。
油の香ばしい香りがする。
「そうだ」
小太りの男は手を合わせて呼吸を整えた。
ニンニクの香りが鼻をつく。
「よかった。以前こっちで作ってたっていう包丁を注文したくてな。ガルドさんっていう職人さんが打っていたもんでさ」
「……ガルド、か?」
「そう、そう。以前、使わせてもらったんだけど、あまりに使いやすくてね。新しく何丁か揃えたくって」
レオンは腕を組みながら答えた。
その手のひらには爪が食い込んでいた。
「あいつはもうここにはいねえ。……だが、注文なら俺が受けてやる。同じものを打てばいいんだろ?」
「ガルドさんと同じ仕上がりにできますかい?」
「刀鍛冶の俺が打つんだ。そこらの雑鉄で作った品より、ずっと上のものを作ってやるよ」
レオンは作業台から魔鉱石の包丁を持ち上げ、料理人の前に差し出した。
「使ってみろ。最高級の魔鉱石と冷却魔法で打った一品だ」
男は丸い手から手袋を外し、包丁を受け取った。
ズシリとした重みと刃筋を確認すると、懐から取り出したニンニクに刃を当てた。
サクッ。
「……おお、よく切れる」
だが、男は切るのをやめない。
何度も、何度も、刃を動かす。
レオンは男を睨みつけた。
「……だけど、以前のものとは違いますな」
「何が違うってんだ。切れ味なら申し分ねえだろうが」
「切れ味は素晴らしいですよ。だけど、ガルドさんの包丁は、朝から晩まで使っても手が疲れにくいっていうか。刃が素直に入っていくというか……長時間の仕込みでは、あの差が大きいんすよ」
その時、再び工房の戸が開く音がした。
「失礼。こちらで包丁の注文をしたいのだが……」
入ってきたのは肩幅ががっしりとした体格の男だった。
袖をたくし上げた太い腕にはかすり傷があり、強烈な肉の脂と香辛料の匂いをまとっている。
こちらも身なりからして料理人だ。
「……また包丁かよ」
レオンの爪がさらに食い込む。
小太りの男が振り返った。
「あんたもガルドさんの包丁かい?」
「ええ。以前、知り合いの店で使わせてもらったんですが、あの感触が忘れられなくてね。自分の店でも導入しようと探してきたんです」
「奇遇だな。俺も全く同じ理由で来たんだよ」
今しがた入ってきた男は小太りの男に尋ねた。
「あんたはどこで店を?」
「王都の西区だ。大衆向けの食堂をやっている」
「西区か! 俺は南区の肉料理屋だ。……そうか、西区でもあの包丁を使っている店があったのか」
「ああ。近所の魚屋の親方が使っていてな。魚を捌く時に刃が素直についてくると絶賛していたのを聞いて、試しに借りたら腰を抜かしたよ」
小太りの男は首を大きく縦に振る。
「分かります。分かりますよぉ。うちの店でも、肉の細かな筋を外す時にあの包丁だと段違いに作業が早い。刃の当たりが柔らかいのに、すっと入っていく」
会話を弾ませる二人の料理人を見て、レオンは棒立ちしていた。
ケッ、感覚だけで話をしやがって。
俺の包丁の方が切れ味がいいに決まってるだろうが。
料理人風情に刃物の何が分かるってんだ。
また、ガラリと戸が開いた。
「すみません、ガルドさんの包丁を扱っている工房はこちらですか?」
三人目が入ってきた。
二人とは対照的に細身で、わずかに生臭い磯の香りがする。
先に来ていた二人が顔を見合わせる。
「今日は同業者とよく会うな、あんたもガルドさんの包丁かい?」
「ええ。王都の料理人仲間の間で評判でしてね。新しく厨房の道具を一新しようと探してきたんです」
レオンは堪らず割って入った。
「……評判だと? 王都でか?」
細身の男は工房内を見渡しながら答えた。
「ええ。特に大仕込みをする店の間じゃ有名ですよ。長時間使っても手が疲れないし、食材の断面がきれいに仕上がるって評判でしてね」
「くそが……!」
レオンは作業台の魔鉱石の包丁を乱暴に突き出した。
「だったらこれを使ってみろ! 最高級の素材と最新の処理を使った包丁だ!」
細身の男が、包丁を手に取る
小太りの男が懐からにんにくを取り出し、「ほれ」と渡す。
「……ほう、これは凄い」
「確かに、普通の包丁とは比べものにならない切れ味だ。どれ、俺にも」
がっしりとした男もにんにくに刃を当てた。
レオンの額には皺が寄っている。
細身の男が目を閉じて頷いた。
「確かに凄い品です。切れ味だけなら、こちらのほうが上かもしれない。ですが……毎日厨房で使うなら、私はガルドさんの包丁を選びます」
がっしりした男も包丁を作業台に置きながら頷いた。
「そうだなぁ。どれだけ切れ味が良くても、使っていて手や腕に負担が残るものは職人の道具とは言えない。ガルドさんの品は、使う人間の手の延長になろうとして作られている」
小太りの男はにんにくの切れ端を集めながらつぶやいた。
「やっぱ、感触が違うんだよなぁ」
料理人たちは互いに会釈を交わしながら、そのまま工房を後にしていった。
「クソが」
レオンは作業台を叩いた。
包丁が床にずり落ちる。
「クソが、クソが、クソが」
包丁を何度も踏みつける。
そこへ、王都の商会の使者が慌ただしく入ってきた。
「グランツ工房ですね! 先日の件とは別に、王都の各店から包丁の問い合わせが相次いでいましてね! 控えを持ってきました!」
使者は作業台の上に厚みのある紙束を置いた。
「中には正式な注文書もあります。かなりの数ですよ!」
老舗の宿屋の厨房。
商会傘下の大型食堂。
さらには王都の高級料理店までも。
そこにはズラリと、料理店や職人たちの名前と「以前この工房で作られていた包丁を希望」という条件が並んでいた。
「頼みましたよ! この数をこなせれば、工房の売上は跳ね上がりますからね!」
使者が去った後、レオンは一枚一枚の注文書を睨みつけた。
「俺が打ってるだろうが……!」
注文書をきつく握りつぶす。紙がクシャリと音を立てた。
「普通の包丁より、よっぽど出来が良いものを打ってやろうってんだ! なんで誰もそれで納得しねえんだ……!」
レオンは床に落ちた魔鉱石の包丁を睨みつけた。
青黒い光沢を放っていた刃に土埃が付いている。
「……あいつの包丁より、切れるだろうが」
レオンは歯を食いしばり、注文書を作業台へ叩きつけた。




