第17話 オークジェネラル……いい肉だ
店の外から聞こえてきた慌ただしい足音は、一つや二つではなかった。重いものを引き摺るようなズズズ……という音まで混じっている。
「なんだ、こんな時間に?」
俺は手を止め、暖簾をくぐって店の外へ出た。
夕闇が迫る路上には、灯りに照らされた数人の冒険者たちが群がっていた。全員が汗だくで、肩を大きく上下させている。
「親父! 居てくれてよかった!」
リーダー格の男が俺に気づき、ほっとしたように声を上げた。その足元には、大人の男が六人がかりでようやく運んできたらしい、巨大な魔物が横たわっていた。
「……オークジェネラルか。でかいな」
通常のオークとはまるで別物だ。胴体は牛のように太く、腕や胸の筋肉は異様なほど発達している。表面を覆う皮膚は角質化して黒ずみ、まるで厚手の革鎧を纏っているかのようだ。
「討伐自体は何とか成功したんだが……処理に困ってな。ギルドの解体場は今、小物の持ち込みでごった返してて順番待ちだ。放置したら肉が悪くなっちまう。親父、この肉を処理してくれないか?」
「処理、ねえ……」
俺は道を塞ぐほどの大きさの肉塊に近寄り、まじまじと観察した。肉質は固そうだが、この巨体ならかなりの肉が取れるはずだ。食堂の食材として仕入れられるなら願ってもない。
「いいですよ。ただ、店の中には入らんから、ここで解体させてもらいますよ」
「本当か! 助かった!……あ、解体刀なら俺たちのを使うか?」
冒険者が差し出してきたのは、刃渡りが無駄に長く厚みのある解体用ナイフだった。見れば、刃先がボロボロにこぼれ、筋に引っかかった痕がある。
「いやぁ、一度試してみたんだが……皮が厚すぎる上に筋肉が硬くてな。刃が入らんのだよ」
「筋が硬いところで力任せに押したから、刃が負けたんですよ。刃物は力で切るもんじゃないです」
俺は差し出されたナイフを遠慮し、腰袋から布に包んだ包丁を取り出した。仕込みの時に使っている、いつもの三徳包丁。
「……親父、それでやるのか?」
冒険者がナイフと包丁を見比べる。
「ええ。使い慣れた道具が一番ですから」
「いやいや! それ、ただの包丁だろ!? オークジェネラルの皮や筋は、兵士の甲冑より硬いんだぞ! 解体刀でも刃が立たなかったのに」
騒がしさに気づいたのか、近所の住民が足を止め、他の冒険者たちも寄ってきた
「おい、あれオークジェネラルじゃねえか?」
「あんなデカいやつ、専門の解体師が何人もかかりでやる仕事だぞ」
「あの食堂の親父、包丁一本でやる気か……?」
周囲がざわざわと騒ぎ出すのを尻目に、俺はオークジェネラルの前にしゃがみ込んだ。
まずは構造の確認だ。どんなに巨大な魔物であっても、生き物である以上は骨と筋でできている。関節の噛み合わせ、筋の走り方、肉の付き方。指先で触れ、位置を確かめていく。
(ふむ……皮は固いが、関節の隙間はここだな。筋の繋がりを断てば、力は要らん)
「ここですね」
俺は三徳包丁を構え、皮と肉の境目、関節の隙間へとまっすぐに刃を当てた。
すっ――。
ほとんど抵抗を感じることなく、刃が滑らかに入っていく。
「……は?」
冒険者のリーダーが、素っ頓狂な声を漏らした。
力を込める必要すらない。刃の重みと手首の角度だけで、厚い皮と引き締まった肉が綺麗に裂けていく。
問題は、太ももの関節だった。もっとも硬く、解体刀でも刃こぼれを起こしていた部分。骨と骨が強固な靭帯で結合されている場所だ。冒険者たちがさっきまで「刃が入らねえ!」と叫んでいた箇所でもある。
(ここなら……一回で外せるな)
俺は刃の角度をわずかに修正し、隙間に滑り込ませると、手首をかるく一閃させた。
スッ——。
金属音も、骨が砕ける重い音もない。
ただ、吸い付くような刃走りの感触のあと、ガクンと音がして、丸太のように太いオークジェネラルの脚関節が綺麗に外れた。
「………………」
周囲の喧騒が、一瞬静まり返った。
冒険者たちも、遠巻きに見ていた野次馬たちも、目を剥いて固まっている。
「よし、関節が外れればあとは早いな」
沈黙に包まれる中、俺は黙々と作業を続けた。
筋に沿って刃を滑らせ、肉を部位ごとに切り分けていく。ロース、ヒレ、モモ肉。肉の塊が、見る見るうちに綺麗な断面を見せて切り出されていった。骨から綺麗に肉が削ぎ落とされ、刃が迷うことなく筋を追っていく
「……なんだってんだよ、これ……」
冒険者の一人が、腰から力が抜けたように尻もちをついた。
「さっきまで俺たちが何時間も苦戦してたのは……何だったんだ……?」
「あの包丁一本で……?」
「うっそだろ……あんな大きな魔物を……」
人だかりはいつの間にか大きな人波になり、誰もが目の前の光景を信じられないといった様子で口々に叫んでいた。
「あんな包丁で……オークジェネラルを一刀解体……!?」
「あいつ、ただの料理人じゃあねえぞ……!」
ざわめきが波のように広がっていく。
「よし、解体完了だ」
きれいに切り分けられた肉の山を前に、俺は満足げにうなずいた。
「これだけ良い肉が取れれば、しばらく仕込みには困らんな。赤身は熟成させて煮込みに、脂の乗った部位は明日のステーキにするか」
冒険者たちへ分け前分の肉を渡すと、彼らは受け取る手すら震わせていた。
「あ、ありがとよ、親父……」
「いいえ。良い食材を運んできてくれて助かりましたよ」
俺は残りの肉を木箱に納めると、店の中へと運んだ。
外ではまだ「信じられん……」「あの包丁は一体……」と騒ぎが続いていたが、俺は気にも留めず厨房へ戻った。
包丁を丁寧に洗い、布巾で水気を拭き取る。砥石の脇のいつもの場所へ納めると、俺はエプロンを締め直した。
「さて、明日の仕込みを始めるか」
厨房には、包丁を洗う水音だけが残った。




