第13話 王都に妙な噂が流れ始める
最近、店の昼営業はすっかり忙しくなっていた。
「親父さん、オーク肉の鉄板焼きを頼む! 噂を聞いて来たんだ」
「俺は例のワイバーン煮込みがあるって聞いてな……まだあるかい?」
「ここが例の評判の食堂か。席、空いてるか?」
客が次々と暖簾をくぐるたび、注文の声が店内を飛び交う。昼時になればカウンターもテーブルもあっという間に埋まり、常連が新しく連れてきた客に「ここの肉は他と違うぞ」と鼻高々に語る姿も珍しくなくなった。
「はいよ、オーク肉一丁! 順番に作るから少々待っててくれな」
俺は三徳包丁を手に取り、手際よく肉を切り分けていく。
仕込みの量も以前の倍近くに増えたが、手応えとしては「最近はなんだか客が増えてありがたいな」という程度だ。
客が求めているのは、美味い料理。俺は食材の下処理を丁寧に行い、刃を入れて、熱々の料理を差し出す。包丁職人を辞めてこの店を開いてから、やるべき仕事は何も変わっていない。
◇
「――おい、聞いたか? 王都の外れの小さな食堂の話だ」
「ああ、あの料理がやたらと美味いって評判の店だろ?」
「いや、噂はそれだけじゃないんだよ。そこの親父が使っている包丁が、どうやら普通じゃないらしくてな」
王都の鍛冶街や酒場の一角で、そんな囁き合いが芽吹き始めていた。
誰が最初に言い出したのかは、もう誰にも分からない。熟練の鍛冶師が言葉を失っただの、居合わせた騎士が刃を手にして絶句しただの、噂は人から人へ渡るうち、話を大きくしていった。
「なんでも、力を入れずに刃を当てるだけで、硬い肉まで空気を切るみたいに断ち切るそうだ」
「ハッ、大袈裟な。ただの包丁だろ? 切れ味の良い業物ってだけじゃないのか」
「それが、剣を扱い慣れた騎士様が見ても『どう打たれているのか説明がつかない』って固まったらしいぞ」
「剣みたいに何でも切れる包丁……? まさか、聖剣みたいな包丁でも使ってるってのか?」
「馬鹿言え、料理人が聖剣でカブや肉を切ってどうするんだよ」
話を聞いた者の大半は笑い飛ばした。
だが、「聖剣みたいな包丁を使う料理人がいる」という奇妙な噂は、尾ひれをつけながら、王都の路地裏から職人たちの耳へとジワジワと広がっていった。
◇
当の俺はといえば、夜の営業を終え、厨房のシンクで包丁を丁寧に洗い上げているところだった。
「ふぅ……今日もいい肉が入って助かったな。明日は根菜の仕入れを少し増やしておくか」
乾いた布で水気を完璧に拭き取り、棚の定位置へ収める。
俺は明日の献立に思いを馳せながら、いつも通り店の灯りを落とした。
◇
数日後。王都から少し離れた辺境の街にある、とある鍛冶工房。
かつてガルドが身を置いていたその工房の暖簾を、一人の商人がくぐった。
「たのもー。工房の責任者はいるか?」
奥から出てきたのは、若くして工房を継いだ弟弟子、レオンだった。
「なんだ、客か? 刀剣の注文なら型録を見てくれ。うちは武器鍛冶として王都の兵士にも納品している高級店だからな」
ぶっきらぼうに応じるレオンに、商人は首をひねりながら尋ねた。
「いや、武器ではなくてな……少し聞きたいことがあって寄ったんだ。以前、この工房で特殊な包丁を作っていた職人がいたと聞いてな」
レオンの眉が寄った。
「……包丁だ? 職人だと? うちにそんな役立たずはいねえよ。うちは武器鍛冶だぞ。包丁なんて雑作、打てる人間はここにはいない」
「そうか……。王都で『聖剣のように何でも切れる妙な包丁』の噂を聞いてな。元はこの工房の職人が打ったものじゃないかと耳にしたのだが……違ったか。失礼した」
商人はそれ以上聞かずに背を向け、そのまま工房を出て行った。
「ちっ、くだらねえ噂を持ち込みやがって……。聖剣みたいな包丁だと? 刃物なら剣の方が上に決まってんだろ」
レオンは吐き捨てるように毒づいた。
だが、商人が去った後の静まり返った工房で、レオンの足がピタリと止まった。
(……特殊な包丁……?)
不意に、嫌な引っかかりが生じる。
レオンの頭に、追放したガルドの顔と、あいつが出て行った直後の出来事がよみがえった。
ガルドを追い出した後、自分でも包丁を打ったことがある。
見た目は同じように作った。材料も悪くなかった。
それなのに、木こりからは「前の包丁とは別物だ」と言われたのだ。
あの時も、同じだった。
「……まさか」
レオンは首を振って、その思考を打ち消そうとした。
あいつはただの包丁しか打てない役立たずだったはずだ。武器も作れない落ちこぼれだったはずだ。
だが、王都で広がり始めた妙な噂と、あのときの違和感が、不気味に重なり合っていく。
作業台の上に転がる刃物を睨みつけながら、レオンの口から言葉が漏れた。
「……まさか、あいつの包丁じゃないだろうな」




