第82話 あなたなら
夕方、宿の戸を叩かれた。
開けると、人が立っていた。三人。いや、後ろにもいた。
先頭は、女だった。娘を、抱えている。
「触ってください」
俺は、戸に手をかけたままだった。
「治療所へ行け」
「行きました」
「祝福を、当ててもらえ」
「当ててもらいました」
「三度、当ててもらいました」
同じ言葉を、前にも聞いた。南の街の、裏の路地でだ。
あのときは、母親が自分で押していた。この女は、押していない。
押し方を、知らないからだ。知らない方が、ましだった。
「あの人には、触らせません」
女は、言った。
「なぜ」
「殺したからです」
「殺してない」
「でも、死にました」
その通りだった。死んだのは、本当だ。
「あなたなら、いいんです」
女は、そう言った。
「あなたは、大丈夫だから」
(……大丈夫)
何が、大丈夫なのか。俺の手は、あの男の手と同じものだ。
違うのは、目だけだ。目は、渡せない。
「俺は、通りすがりだ」
「知っています」
「明日には、いない」
「今日、いてくれれば」
娘の顔を、見た。
浅い息だ。まだ、戻る顔だ。
触れば、戻る。
触れば戻る顔を、俺は見分けられる。見分けて、触って、戻す。
明日には、いなくなる。いなくなった後に、残るのは何か。
あの人は触ってよかった、という話だ。触ってよい人と、触ってはいけない人がいる、という話だ。
誰が、決めるのか。結果が、決める。
助かれば、触ってよい人だったことになる。死ねば、触ってはいけない人だったことになる。
あの男は、後者にされた。
俺は、まだ前者だ。まだ、というだけだ。
名乗って、いない。
名乗らなくても、そうなる。
名乗らなかったから、そうなる。
「入れ」
俺は、そう言った。女が、入ってきた。
俺は、娘の背に手を当てた。
押した。
戻した。
娘が、息を吸った。深く、入った。
それだけの仕事だ。
やらない理由が、なかった。やった後を引き受ける方法が、なかっただけだ。
女が、頭を下げた。後ろの二人も、下げた。その後ろにも、人がいた。
俺は、戸を閉めた。閉めてから、座って、息を吐いた。
吐く方を、長く。
明日も、並ぶだろう。
この回で主人公がしたことは、第69話で断ったのと同じ判断です。
断った理由も、受けた理由も、変わっていません。
変わったのは、戸の外に立っている人数だけです。
次回、あの男が、朝いちばんに宿へ来ます。
ブックマークと評価は、続きを書くときの手がかりにしています。




