第79話 見られながら
次の日の昼だ。
治療所の前の通りで、人が倒れた。
水を運んでいた男だった。
桶が転がって、水が石畳を流れた。
人が、集まった。
輪が、できる。
誰も、近寄らない。
南と、同じだった。
治療所の戸口に、あの男が立っていた。
出てこない。
出られない。
出れば、また言われる。
俺は、輪を割った。
膝を、ついた。
顔を、見られている。
背中に、視線が刺さっている。
構わない。
見られて困るのは、これから触る側の人間だ。
俺は、明日にはいない。
脈を取る。
速い。
浅い。
首の横が、突っ張っている。
肩に、指を入れる。
硬い。
背の下の方が、閉じている。
水を運ぶ身体だ。
(……戻る)
肩から、背の下まで指を移す。
硬いところが、三つあった。
上から順に押せば、逆流する。
下から、開ける。
押した。
一点に、じわりと沈める。
重さを、預ける。
人の声が、やんだ。
誰かが、何か言いかけた。
言わなかった。
言葉より先に、男の胸が動いたからだ。
息が、入った。
「吸って」
俺は、言った。
「吐く」
「吐く方を、長く」
男が、真似た。
一度目は、うまくいかない。
二度目で、入った。
目が、開いた。
男が、何か言おうとした。
「まだ、喋るな」
俺は、言った。
「息だけでいい」
男は、頷いた。
頷けるなら、もういい。
俺は、指を離した。
離す前に――
少しだけ、長く当てていた。
指の下の硬さが、いつもより遠かった。
(……)
何も思わなかったことに、した。
立ち上がる。
輪は、割れたままだった。
誰も、拍手はしない。
礼も、言わない。
ただ、見ている。
治療所の戸口で、あの男が俺を見ていた。
その目だけが、違った。
見ているのではなく、確かめていた。
俺の手が、どこに、どれだけ入ったか。
覚えようとしている顔では、ない。
自分が同じ判断をしたかどうかを、照らしている顔だった。
同じだった、と思ったのだろう。
思ったところで、言えない。
言えば、真似たことになる。
水が、まだ流れていた。
桶を、誰かが拾った。
息を吐く。
吐く方を、長く。
午後に、もう一人運ばれてきた。
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