第76話 弟子ということに
渡し場で、二日待たされた。
水が、出ていた。
舟が、出ない。
人が、溜まる。
溜まれば、話が回る。
回っている話は、二つあった。
一つは、北の話だ。
「治療官が、触って殺した」
「あの紙を書いた男の、弟子だ」
もう一つは、南の話だった。
「触って、治す男がいる」
「通りで、担ぎ手が倒れたやつだ」
「手を当てただけで、起きた」
「見たのか」
「見た奴に、聞いた」
「そいつは、見たのか」
「聞いたらしい」
「じゃあ、誰も見てないのか」
「そういう話だ」
俺は、荷に背を預けていた。
目を、閉じていた。
二つとも、俺だ。
一つは、俺が書かせた紙のせいで、殺したことにされた男の話。
もう一つは、俺が人前で触った話。
同じ道の上で、逆を向いた噂が並んでいる。
根拠は、同じ一枚だ。
触ると死ぬ、という一行。
だから北の男は、殺した男になる。
だから南の男は、触っても平気な特別な男になる。
どちらも、あの紙から出ている。
「あんた、北から来たのか」
隣の男が、聞いた。
「南からだ」
「じゃあ、見たか」
「何を」
「触って治す男だ」
俺は、首を振った。
「見てない」
「聞いた話か」
「聞いた話だ」
嘘を、ついた。
つかない方法が、なかった。
男は、それきり話を変えた。
舟の話をした。
水が引けば出る、という話だ。
水は、二日で引いた。
話の方は、引かなかった。
俺は、頷きながら聞いていた。
(……弟子、か)
あの男は、俺から何も教わっていない。
俺が、教えなかったからだ。
教えなかったのに、弟子になっていた。
教えなかったから、そうなった。
説明する相手がいないと、人は勝手に線を引く。
引かれた方は、それを外せない。
ルドは、名前を書かなかった。
俺が、書くなと言ったからだ。
書かなかったから、誰のものにでもなった。
俺は、ずっと名前を消してきた。
消したところに、他人の名前が入っていく。
線は、外から引かれる。
引かれた線は、中からは消せない。
消そうとすれば、名乗ることになる。
舟が出たのは、三日目の朝だった。
川は、まだ濁っていた。
北岸は、霞んでいた。
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