第73話 隠れて押す手
その夜、裏の路地で音がした。
人の、呻きだ。
戸の隙間から、灯りが漏れていた。
覗くつもりは、なかった。
声が、聞こえた。
「もう少し」
「我慢して」
女の声だ。
俺は、戸を叩いた。
返事は、なかった。
押すと、開いた。
土間に、筵が敷いてある。
娘が、うつ伏せになっていた。
十五、六か。
背が、剥き出しだった。
母親が、その背に両手を置いていた。
置いて――
体重を、かけていた。
肘が、伸びきっている。
押している場所が、背骨の上だ。
「離れろ」
俺は、言った。
母親が、振り返った。
手は、離さなかった。
「あんた、誰だ」
「通りすがりだ」
「出ていって」
「その手を、離してからだ」
娘の呼吸を、見た。
浅い。
速い。
押されている間だけ、止まっている。
(……逆に、閉じてる)
母親は、手を離した。
離して、俺を睨んだ。
「治療所には、行った」
「光を、当ててもらった」
「三度、当ててもらった」
「それで、治らないんだ」
俺は、娘の脇に膝をついた。
母親は、止めなかった。
止める前に、俺の手が動いていた。
肩の下に、指を入れる。
硬い。
押された場所が、腫れている。
順番を、間違えている。
いや――
順番を、知らない。
「どこで、覚えた」
「見た」
母親は、言った。
「治療所で、若いのがやってた」
「腹に、手を置いてた」
「置いてただけだ」
俺は、そう言った。
「置いてただけだよ」
「同じじゃないか」
同じでは、ない。
だが、外から見れば、同じだ。
置くのと、押すのは、外からは同じに見える。
誰も、教えていない。
教えられないから、見て真似た。
真似るしか、なかった。
「だって」
母親が、言った。
「誰も、触ってくれないから」
俺は、答えなかった。
娘の背に、手を置いた。
押さない。
待った。
しばらくして、息が下りてきた。
母親が、それを見ていた。
見て、覚えようとしていた。
俺は、手を離した。
立ち上がった。
「明日も来い、とは言わない」
「なぜ」
「言えば、あんたが真似る」
母親は、黙った。
娘の背に、俺の手の形が、赤く残っていた。
息を吐く。
吐く方を、長く。
禁じても、なくならない。
隠れるだけだ。
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