第71話 よく触れましたね
三日、その街にいた。
宿の払いのために、荷を運んだ。
治療所の前を、毎日通った。
覗くつもりは、なかった。
通り道が、そこしかない。
四日目の夕方だ。
裏の戸が、開いていた。
中で、若い治療官が膝をついていた。
寝台の脇だ。
患者は、年寄りの女だった。
腹が、張っている。
若い治療官は、光を当てていなかった。
掌を、女の腹に置いていた。
置いているだけだ。
押しては、いない。
だが、待っている。
俺は、戸の外で足を止めた。
指は、動いていない。
置いた場所は、臍の右の上だ。
悪くない。
誰にも教わっていない手つきだった。
教わっていれば、もっと下を押している。
しばらくして、女が息を吐いた。
深い息だった。
張りが、少し引いた。
若い治療官が、手を離した。
顔が、明るかった。
その顔のまま、振り返って――
固まった。
上役が、立っていた。
俺の脇を、いつのまにか通っていた男だ。
上役は、怒らなかった。
声も、荒げなかった。
「よく触れましたね」
それだけを、言った。
褒めては、いない。
責めても、いない。
ただ、見た、と言っている。
言われた方は、それで足りる。
次に何が起きるかを、自分で考えるからだ。
考えれば、手は出なくなる。
若い治療官は、何も言わなかった。
立ち上がって、頭を下げた。
上役は、頷いて、奥へ入った。
それで、終わりだった。
叱責も、記録もない。
記録に残せば、触った事実が残る。
残れば、見ていた側も残る。
誰も、罰せられていない。
規則も、読み上げられていない。
次の日、俺はまた治療所の前を通った。
若い治療官が、寝台の間を歩いていた。
光を、当てていた。
手際は、よかった。
患者の身体には、触らなかった。
顔色と、傷の場所だけを見ていた。
一日で、そうなった。
あの女は、まだ寝台にいた。
腹は、前より張っていた。
誰も、そこを見ていない。
俺は、荷を担ぎ直した。
(……安いな)
人の手を止めるのに、罰は要らない。
見た、と言えばいい。
息を吐く。
吐く方を、長く。
あの女の腹は、明日また張るだろう。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




