第70話 壁になった紙
次の朝、治療所を見に行った。
街の東の、石造りの建物だ。
中は、清潔だった。
寝台が、六つ。
埋まっているのは、四つ。
治療官が、寝台の間を歩いている。
白い法衣。胸元に聖紋。
一つ目の寝台で、掌を開いた。
祝福だ。
光が、灯る。
傷が、塞がっていく。
手際は、いい。
当てすぎても、いない。
だが――
その手は、患者の身体に一度も触れなかった。
脈も、見ない。
腹も、見ない。
顔色と、傷の場所だけを見て、光を当てる。
次の寝台へ移る。
同じだった。
六つ全部で、同じだった。
奥の寝台で、年寄りが咳をした。
治療官は、振り返らなかった。
咳は、傷ではない。
傷でないものは、この部屋の仕事ではない。
(……診てない)
診ているのは、目だけだ。
俺は、入口の脇に立っていた。
そこに、貼り紙があった。
新しくはない。
角が、めくれている。
何度も剥がして、貼り直した跡だ。
読んだ。
【触れて悪化させた事例】
都市連盟 医療記録
――手順は、違えていない。
――待てない身体だと、判断した。
――実際には、待てる身体だった。
――見分けを、誤った。
それだけの紙だ。
俺が、書かせた。
あの日の夕方、中庭で、帳面が燃えていた。
燃やしても写しは残ります、とあの男は言った。
一生、消えませんと言った。
消えない、と俺は答えた。
嘘は、つかなかった。
つかなかったが――
こうなるとは、思っていなかった。
紙は、壁になっていた。
治療官が、俺の視線に気づいた。
「その紙が、何か」
「読んでいた」
「よく読んでください」
男は、光を消しながら言った。
「触ると、死にます」
「読んだのか」
「読みました」
「何度も、読みました」
男は、そう言った。
「だから、貼っています」
紙には、そう書いていない。
俺は、そう言わなかった。
言えば、次に聞かれることがある。
では、どう書いてあるのか、と。
答えれば、俺が読み方を教えることになる。
教えた瞬間、それが正しい読み方になる。
(……また、か)
俺は、口を閉じた。
外に出た。
風が、乾いていた。
紙は、一枚しかない。
読み方は、何通りもある。
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