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回復魔法が万能な異世界で「治療魔法を使うな」と言ったら追放された 〜何もしない治療師の、静かな異世界譚〜  作者: 蒼野澪
第二部 正解にしない

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第66話 一人の治療官

 部屋は、閉じなかった。


 あの男は、寝台を二つだけ残した。


 残りは、片づけた。


 壁の書きつけは、削られていた。


 削った跡が、白く残っている。


 何も書かなかった。


「書かないのか」


 俺は、聞いた。


「書けません」


「書けば、また誰かが読みます」


 男は、削った壁を撫でた。


「読んだ人は、私の顔を見ません」

「壁を見ます」


「……ああ」


「壁は、迷いません」


 俺は、頷いた。


 この男は、辿り着いた。


 俺が言葉にできなかったところへ、自分で歩いて来た。


 残った二人のうち、一人が水を飲んだ。


 もう一人は、飲まなかった。


 男は、飲まなかった方の脇に膝をついた。


 しばらく、手を当てていた。


 押していない。

 待ってもいない。


 ただ、確かめている。


 やがて、立ち上がった。


「……光を、入れます」


「戻らないぞ」


「戻らないかもしれません」


 男は、掌を開いた。


 久しぶりに使う手つきだった。


「ですが、この人は、待っても戻らない」


 俺は、何も言わなかった。


 言う必要が、なかった。


 光が、灯った。


 弱い光だった。


 当てすぎない量を、この男は覚えていた。


 七年、当てすぎていた男が、だ。


 結果は――

 分からない。


 朝まで、分からないだろう。


 中庭に出ると、風が変わっていた。


「これから、どうする」


 俺は、聞いた。


「一人でやります」


 男は言った。


「教えないのか」


「教えません」


 即答だった。


「教えられないと、分かりましたから」


「習いに来る奴がいる」


「断ります」


 男は、少し笑った。


「断って、恨まれます」


「恨まれるぞ」


「ええ」


「間に合わない奴が出る」


「出ます」


 言い切った。


 俺が、いつだったか言われて、答えられなかったことだ。


 広がらないものは、救えないのと同じです。


 この男は、それを自分で引き受けた。


 毎日、目の前の一人を見て、毎回、迷う。


 迷ったまま、決める。


 誰にも渡さない。


「毎回、迷うことになるぞ」


 俺は、そう言った。


 昔、誰かに言われた気がする。


「……ええ」


 男は、頷いた。


「それが、仕事なんでしょう」


 俺は、答えなかった。


 答えの代わりに、息を吐いた。


 吐く方を、長く。


 男も、同じように吐いた。


 教えたわけではない。


 それでいい。


 ただ、隣にいただけだ。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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