第64話 書け、失敗だけを
その晩、ルドを呼んだ。
中庭の隅で、火を焚いた。
治療官だった男は、部屋に戻らせた。
あれに、先に聞かせたくなかった。
「書いてほしいものがある」
ルドは、帳面を開いた。
いつもの動きだった。
「何を」
「俺が殺した男の話だ」
筆が、止まった。
「……あれか」
「覚えてるか」
「書いた」
「書いたが、写されなかった」
そうだ。
効いた話は写される。
効かなかった話は、紙が惜しい。
だから、あの男は、どこにもいない。
俺は、火に枝を足した。
「もう一度、書け」
「同じものを、か」
「いや」
「今度は、それだけを書け」
ルドの目が、少し動いた。
「手順を書くな」
俺は言った。
「触るとも、押すとも、待つとも書くな」
「では、何を」
「あの日、俺が何を見誤ったかを、だ」
火が、爆ぜた。
俺は、その男のことを話した。
職人の手伝いの、若い男だ。
名前は知らない。
雨の晩だった。
担ぎ込まれてきて、胸が、と言ったきり言葉が途切れた。
(……急性だ)
そう思った。
治療官は、まだ来ていなかった。
あの街では、雨の日は遅れる。
触れる前に、分かった。
これは――待てない。
だから、触った。
「そこだ」
俺は言った。
「待てないと、判断した」
ルドの筆が、動いた。
「胸に手を当てて、詰まりを探した」
「はっきりしていた」
(……いける)
そう思った瞬間が、いけなかった。
押した。
逃がした。
いつも通りのはずだった。
流れが、思ったより脆かった。
押した瞬間、崩れた。
俺が離れる前に、男の呼吸は浅くなっていた。
治療官が駆け込んできて、祝福を流した。
光は、空を切った。
誰も、俺を責めなかった。
「順番は」
ルドが、確かめた。
「違えていない」
即答だった。
「順は、いつも通りだった」
「見誤ったのは、そこじゃない」
俺は、火を見た。
「待てない身体だと、思った」
「待てる身体だった」
それだけだ。
手順は、正しかった。
正しい手順で、俺は一人殺した。
「……書く」
ルドは、そう言った。
「君が、悪く書かれる」
「そうしろ」
しばらく、筆の音だけがした。
「名前は」
いつもの問いだった。
「要らない」
俺は、言い足した。
「だが、連盟の名で出せ」
ルドが、顔を上げた。
「あんたの名でも、俺の名でもない」
「都市連盟の名で、一枚だけ出す」
「……なぜ」
「前に書いたときは、誰も欲しがらなかった」
俺は、火に枝を足した。
「あのころ、作法には名前がなかった」
「名前のないものを否定する紙には、値がつかない」
今は、違う。
作法には名前がある。
名前があるものを否定する紙には、値がつく。
人は、正しいものより、揺らぐものを写す。
神殿が、それを証明している。
危険だと書いたら、広まった。
同じ手が、使える。
俺のやり方が、人を殺したことがある。
それは、嘘ではない。
誇張でもない。
ただの、事実だ。
その事実が一枚出回れば、
あの帳面は、正解ではいられなくなる。
誰も、正解にできなくなる。
止めるのではない。
名乗るのでもない。
――正解に、しない。
俺にできるのは、それだけだ。
火が、また爆ぜた。
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