第52話 止めなければ
その町に、三日いた。
治療所には近づかなかった。
代わりに、写しを探した。
作法には、元になった紙がある。
そう聞いたからだ。
古物を扱う店の奥で、それは出てきた。
三枚あった。
筆跡は、知らないものだった。
写しの写しなのだろう。
だが、書かれていることは、知っていた。
――呼吸に合わせて、圧を沈める。
――順を違えれば、逆流する。
ルドの書き方だった。
あの男は、正確に書く。
余計なことは、書かない。
俺の名前は、どこにもなかった。
技術の名も、なかった。
約束は、守られていた。
二枚目に、赤い字が混ざっていた。
筆跡が違う。
後から、誰かが書き足している。
――この手法は極めて危険である。
――多くの死者を出した。
――神殿の管理を離れた者のみが行い得る。
(……そうか)
これが、神殿の仕事だ。
記録は回収する。
断片は、改変する。
危険性だけを、強調する。
正解が存在しないと、示すために。
三枚目の余白に、別の誰かの字があった。
子どもみたいな、拙い字だ。
【つまり、神殿にはできない】
息が、詰まった。
俺は、紙を店主に返した。
外へ出て、そのまま町を離れた。
山際で、火を焚いた。
枝が湿っていて、なかなか熾らない。
煙ばかりが上がった。
目が沁みる。
俺は、膝を抱えて座っていた。
名乗らなかった。
教えなかった。
体系にもしなかった。
そうすれば、型にならないと思っていた。
型にならなければ、人は死なないと。
(……逆か)
教えなかった。
だから型は、俺の手を離れたところで組み上がった。
俺が見ていないところで。
俺が直せないところで。
止めたら、俺が正解になる。
ずっと、それが怖かった。
今日、分かったのは、その裏側だ。
止めなければ、
俺の影が、正解になる。
俺の言ったことの、一語違いが。
俺の書かせた紙の、赤い書き込みが。
黙っている限り、否定する者がいない。
どちらを選んでも、原因は俺だ。
湯を飲んだ。
舌を、少し焼いた。
あの母親の顔を、思い出した。
ありがとうございました、と言っていた。
最後まで、作法どおりに。
あれは、本物の感謝だった。
息子は死んだのに。
治せたのに。
昔、村の英雄に言ったことがある。
今日は、もう戦うな。
あの男は、行った。
行って、勝って、死んだ。
止まらなかったのは、あの男だ。
俺は、止めろと言った側だった。
だが――
今度は、逆だ。
世界の方が、止まっている。
止まったまま、動けなくなっている。
俺が作ったわけじゃない。
俺がいなければ、そうはならなかった。
火が、崩れた。
枝を足す気力が、湧かなかった。
息を吐く。
吐く方を、長く。
長く吐いても、何も片づかなかった。
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