第51話 治せた人
翌朝、治療所の前に人が集まっていた。
俺は、宿を出たところだった。
通り過ぎればよかった。
通り過ぎなかった。
待つための部屋の、いちばん奥。
昨日、顔色のよかった若い男が、動かなくなっていた。
白い法衣が、脈を見ている。
もう、見ているだけだ。
「……夜半に、一度」
担当の治療官が、記録を読み上げていた。
「呼吸が乱れました」
「光は」
「当てていません」
当てなかった。
作法どおりに。
俺は、入口の柱に手をついていた。
あの状態なら、光は入った。
入る器が、まだ残っていた。
押し広げすぎになる前に、一度だけ通せば、
この男は、たぶん朝を越えた。
治せた。
この世界の、いちばん当たり前の方法で。
「先生」
男の母親が、治療官の袖を掴んだ。
責めているのかと思った。
違った。
「ありがとうございました」
深く、頭を下げていた。
「最後まで、作法どおりに」
「してくださって」
治療官は、何も言えずにいた。
若い男だった。
手が、震えていた。
「……申し訳ありません」
「いいえ」
母親は、首を横に振った。
「光を当てたら、戻らなくなるところでした」
だが――
誰も、間違っていない。
母親も。
治療官も。
この部屋を作った誰かも。
全員が、善意で、手順どおりに、一人を殺した。
(……俺だ)
喉の奥が、鳴った。
昨日、俺は見た。
見て、口を開きかけて、やめた。
名乗りたくなかったからだ。
俺が黙ったのは、この男のためじゃない。
俺のためだった。
「あの」
治療官が、俺を見ていた。
「どなたですか」
人が、振り返る。
言えばいい。
一言でいい。
あれは違う、と。
言えば、この部屋は止まる。
止まれば、次の一人は死なない。
そして――
俺が、正解になる。
俺の言ったことが、次の壁書きになる。
次の誰かが、それを手順にする。
手順は、また一語ずつ形を変える。
そのとき死ぬ人間は、まだ名前も持っていない。
俺は、口を閉じた。
「通りすがりだ」
即答だった。
自分でも、驚くほど。
治療官は、少し戸惑って、それから会釈をした。
俺は、人の輪を離れた。
川沿いに出るまで、誰にも呼び止められなかった。
水は、いつもどおり流れていた。
息を吐く。
吐く方を、長く。
――長く、吐けなかった。
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