第49話 名前がついた
季節が、幾つか巡った。
俺は、相変わらず歩いている。
行き先は、決めていない。
その日は、街道沿いの宿場で足を止めた。
雨が近い。
食堂の隅で、湯を一杯もらった。
隣の卓で、男が二人、話していた。
「待ちの作法、って知ってるか」
手が、止まった。
「知らん」
「北の方でやってるらしい」
「治療官が、わざと光を当てない」
「そのまま、待つ」
「……治るのか」
「治るらしい」
湯が、少し冷めた。
俺は、顔を上げなかった。
「手順があるんだそうだ」
男が、指を折り始めた。
「まず、触る」
「押す」
「それから、待つ」
三つ。
合っている。
合いすぎている。
(……どこから)
息を、整えた。
焦れば、聞き逃す。
「で、肝心なのは最後だ」
男は、声を低くした。
「戻るまで、待つ」
器を、置いた。
音が、思ったより大きかった。
俺は、そんなことは言っていない。
戻るまで、じゃない。
戻れる状態にする、だ。
似ている。
一語しか、違わない。
だが、その一語で、人が死ぬ。
「兄さん」
男の一人が、こっちを見た。
「知ってるのか、それ」
俺は、首を横に振った。
「いや」
「通りすがりだ」
男は笑って、話に戻った。
俺のことは、すぐに忘れられた。
いつも通りだ。
「しかし、よく広まったな」
「神殿が隠したがってるからだろ」
「隠すと、広まる」
「そういうもんだ」
そういうもんだ、と俺も思った。
思ってから、寒くなった。
外に出ると、雨が降り始めていた。
北へ行く道と、南へ行く道がある。
俺が向かうはずだったのは、南だ。
行く理由はない。
名乗る気もない。
止める権利も、たぶん、ない。
いつだったか、俺は思ったことがある。
名前のないものは、誰にも管理できない。
だから、名前をつけなかった。
つけなければ、制度にならない。
制度にならなければ、使い潰されない。
そう思っていた。
それでも――
気づけば、足は北を向いていた。
名前が、ついていた。
誰かが、つけた。
息を吐く。
吐く方を、長く。
雨が、本降りになった。
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