17.ポイントロスト
「リカバリーしたシステムと運行データは本部でチェック済みらしい。」
アレックスは、今届いたメッセージを読みながら、誰とは言わず神谷に向かって話しかけた。
「そうすると、偽ビリーの罪状はどうなるんだろう?」
BZ-03の資料を検証していた神谷は、自分に話しかけたであろアレックスに向き直ると問いかけた。
「確定している内容だと……諜報活動禁止法違反だろう。」
フロンティアスピリッツ号は、テラノバ・インターナショナルパワーズ所有の船だ。なので、日本の法律が適用される。この時代、日本にもようやくスパイ法的な規則ができたのだが、設立直後は中華連邦から凄まじい抗議活動が行われた。
『帝国主義の復活』だとか、『敗戦国が越権だ』とか、『わが国民に適用するなら国際法違反だ』とか……
自らの活動を暴露する馬鹿な行為だと各国があきれたものだ。
連中が慌てたとおり、公安局が待ってましたとばかりの一斉摘発。その後中華連邦は、日本への渡航禁止処置だとか、軍事転用可能品の輸出入規制だとか、お決まりの経済制裁。それほど情報を盗んでいたのかと世間を驚かせた。
「乗員の皆様にお知らせします。当船は、一時間後、中間ポイントに到達します。船体反転の際は重力を失いますので、シートベルト着用の上、席を離れないようお願いいたします。」
美しいアナウンスが室内に流れた。止まっていた空気が動き出したかのように感じ、神谷は思わず窓に目をやった。しかし、超高速で航行しているにもかかわらず、外の星々は相変わらず動きを止めたままだ。神谷は眉をひそめ、隣のセリカに視線を向ける。
「これは?なんで反転するんだ?」
セリカは少し乱暴にタブレットを閉じると、左手のウェアブル端末に目をやった。スーツの袖口が微かにめくれ、ほっそりとした腕が彼女の若さを意識させる。その仕草には“できる女”の雰囲気が漂っていた。しかし、この端末もネットワークから切り離されていると分かると、小さく舌打ちして神谷に向き直った。
「うーん……どこから話始めればいいかなぁ」
彼女は一呼吸置き、指先でテーブルを叩く。どこか説明を探すようにも見えるその仕草は、手持ちの端末がどれもインターステラーネットに接続できず、インストールしている『お助けエージェント』が使えない苛立ちから来ていた。
そんな事に気づかない神谷は、(あぁ〜 またできる女が探してるな?)と苦笑をかみ殺す。
「宇宙空間では、抵抗になるものが無いので、何か物を投げたら、投げ始めた速度でずっと動き続けるんです。ここは良いですよね?」
神谷は黙ってうなずく。セリカは続けた。
「で、話が変わりますが、神谷さんはトアまで小型クルーズ船で来ましたよね? 途中、船内は無重力でしたよね?」
軽く人差し指を頬に触れ、神谷の回答を誘導するように確認する。
「つまり、トアに向かって移動を開始した時だけエンジンを使って、途中は慣性力で移動していたのです。」
彼女の声は落ち着いていたが、説明の途中で視線が小刻みに宙を泳ぐ。エージェントの再起動を試しているだけなのだが、ウェアブル端末が何をセリカに見せているのか……そんな事を考え、神谷は先読みしようとセリカの瞳に集中した。
セリカは、その視線に何かを感じ薄く頬を染めると、ややうつむき、軽く咳払いして声の調子を整えた。
「当然、自然に止まらないので、トアに着く直前、減速航行が必要です。通常のクルーズ船なら進行方向を向いたまま短時間で減速できますが……」
セリカは右手で船を、左手でアクションを表現しながら話を続ける。
「この船は2日間、常に1Gで加速し続けたので、止まるために1Gで2日間減速し続ける必要があるんです。」
神谷は軽く息を吐いた。
「なるほど、そういう事か。でも、何で向きを変えるんだ?進行方向が見えなくなるじゃないか?」
セリカは苦笑し、肩をすくめる。
「それは、強力なエンジンで加速した分を減速する場合、小型の減速エンジンだと減速に2日以上かかってしまうからです。」
「同じエンジンを前にも付ければいいんじゃないか?」
「えぇ……でも、見た目が悪いですよね……」(こんな時にどうしてエージェントが死んでるのよ!)
明らかな苦し紛れの理由を口にし、再び目を泳がせるセリカ。そして、泳いだ目はアレックスに辿り着いた。彼女の“できる女”の仮面が、機械的な仕組みの話になると少しずれるのが面白い。アレックスはセリカの意図を読んで助け舟を出す。
「まぁ、確かに見た目が悪いが、要は、常にどちらか一方しか使わないエンジンを2機積むと重くなる分、建造費と加減速の効率が悪いからだな。それに、減速時は重力方向が逆になるから、キャビンの設計も考慮する必要がある。複数カメラ映像をAR加工すれば、視界の問題は解決する。」
(あぁ……)と納得する神谷。
神谷は窓の外を見やり、動かぬ星々に目を細める。
(反転の瞬間、景色はどう変わるのだろう)——そんな想像が胸をよぎった。
その頃操舵室では、約12時間前からインターステラーネットとの接続が途絶状態にあった。船内ネットワークは正常だが、インターステラーネットに一切接続できない。これほど長時間の通信障害はクルーの誰もが経験したことがなく、原因は不明のままだ。
その為、ターンシーケンスを前に、操舵室には緊張が漂っていた。
フリップ&ターンシーケンス実施に備え、自室から操舵室に戻って来た船長のフィリップ・マクドガルは、操舵室の緊張を敏感に感じ取っていた。そして、船長席に腰を下ろすと副長に進捗を尋ねる。
「ターンシーケンスに関しては問題ありません。予定通りターンに入れます。」
当然船長はその事を尋ねたのではない……と、言うよりその報告は当然だが、気になっているのはインターステラーネット接続障害の方だ。副長もその事を理解している。言葉を挟まず次の言葉を待つ。
「現在もネットワーク障害は継続中です。そのため、センターとの定期連絡は非常用ナローバンドで送信しました。この地点からだとセンターが受信するのは明日の昼頃になるかと……受信可能であることが前提ですが」
「センター側が1時間以上継続して不通は大問題になる。ちょっと考えられないな。本船の不具合ではないのか?確認してみろ。」
副長は操舵室の各担当に不調箇所の確認を指示する。特に通信担当に念入りに。
「ん? アステロイド中継ステーションも不通だ…… 2か所も同時に?…… あれっ!? 火星軌道ステーションも繋がらない!そんな筈が……」
「エコーチェックしてみろ」
通信士の呟きを聞いた副長が、たまらず通信機器の自己チェックを指示する。嫌な予感で顔が引きつる。
「問題ありません。機器の故障ではありませんが……」
事実を報告した通信士だった。自身の発言に間違いはないが、何らかの異常が船側に存在している可能性が高まり、気づきが遅れた後悔が語尾に表れていた。
(通信機は故障していない。でも通信できないと言う事は……)
副長は通信プロトコルについて考える。
超高速航行をしているフロンティアスピリッツ号はそのスピードが故、通常回線ではシームレスに通信できる距離をあっという間に飛び越える。その為、指向性高速光通信を使用し、AIが常にインターステラーネット接続ポイントへの最適経路を選択し、切断と再接続を超高頻度で繰り返しながら接続を維持している。
だが、指向性光信号を、存在する筈の通信ポイントに向かって発しているが、ある筈の通信ポイントがそこにないから繋がらない……だとすると、船の位置が想定と違う場所にある可能性が高い。
その危険性に辿り着いた副長の顔が引きつり、顔色を失った肌に大粒の汗が噴き出す。
一般船なら広大な宇宙空間では直ちに危険な状況にはならない。しかし、フロンティアスピリッツ号は、現在光速の1.0%、3000Km/sに迫る速度で航行している。草原に疎らに生えている木でも、フロンティアスピリッツ号のスピードで考えると密林だ。目隠しで密林を全速力で走っているのと同じ事。小枝にかすっただけでも肌が切れる危険性がある。今まで事故にならなかったのは奇跡に近い。
一瞬ためらった副長が大声で叫ぶ。
「ポイントロスト!」
「ポイントロスト!?」
『ポイントロスト』――それは、宇宙航海黎明期より使われ始めた言葉。『メーデー』の次に危険な状態を意味する、宇宙空間で自らの所在を確認する事が出来なくなった時に発する新たな言葉だった……
土曜日更新予定です。




