13.できる女、行方不明
「そして、奴らの目的は間違いなく……お前だ、神谷。あれが関係している」
アレックスの低い声が金属の壁に反響して重く響いた。空調の微かな唸りが、沈黙をさらに際立たせる。
神谷は言葉を失った。
胸の奥にもやもやしたものが居座っている。命を狙われる……その現実が、遠い世界の話のように思えた。怯えるべきなのか、怒るべきなのか。どの感情を選べばいいのか分からない。膝の上で握りしめた拳がやけに遠くにある様に感じ、第3者視点で自分を見ている様に感じていた。
視線を逸らし、セリカを見た。
彼女も不安を隠しきれず強く口を結んでいる。同行者が狙われ、自分も巻き込まれるかもしれない……恐怖……を、彼女も感じていた。
「だが、取り合えず安心してほしい。まず、俺の基本スタンスを伝えておく。」
アレックスはわずかに前傾し、射抜くように神谷に視線を送る。その瞳は力強く何かを決心した瞳に見えた。
「連中の目的が何であっても、俺は絶対にお前を守る。どんなに困難な状況でも俺はお前を守ることを第一に考え行動する。これは覚えておいて欲しい。」
その言葉に、神谷は息を飲んだ。
「そして、一つだけ頼みがある。お前は、どんな事があっても自分で考え、行動する事をやめ、俺の指示通り行動してくれ。この基本スタンスさえ守ってくれれば、絶対にお前を守れる。例え俺が死んでもだ。」
神谷は再び息を飲む。
守る……その響きは力強いが、同時に死の影を連想させた。アレックスの肩がわずかに緩む半面、神谷は自身の置かれた状況を徐々に実感し始め、心のモヤモヤが冷たいものに変わっていく感じがしていた。
アレックスの視線が一瞬だけ宙を泳ぎ、何かを決意したように再び神谷と目を合わせる。
「お前たち二人に事情を話したのは理由がある。クライアントに危機的状況を話さなかったために、パニックを起こし危険な状況に追い込んでしまったことが幾度かある。オルディア所属前、民間警備会社にいた時に得た教訓だ。」
決意を目に表したアレックスを、神谷は信用できると感じた。と同時に、神谷の脳裏にある定番セリフが浮かび、こんな発言をさせてしまった。
「わかった。あなたの指示通り動くことを約束する。」
神谷の声に静かだが強い決意を感じたアレックスの表情に、わずかな安堵が浮かぶ。
「だが、俺からも1つお願いがある。あなたが命を投げうって俺を守らざるを得なくなった場合、その時、余裕があれば俺に教えてほしい。」
その瞬間、神谷はアレックスの体に力が入った事が分かった。顔が紅潮し、呼吸が止まる。怒りか、呆れか……その感情を押し殺すように、彼は長い息を吐いた。
「……まあ、いいだろう。わかった……知らせるよ。俺がミスをしなければ済む話だからな……」
鷹揚に手を広げる仕草は、諦めと覚悟の入り混じったものだった。
次の瞬間、彼の指が眼鏡型ウェアブル端末に触れ、視線が細かく動く。届いたメッセージを読み取るその目は、戦場の兵士のように鋭い。
「……今、船長からメッセージが届いた。ここに来てくれるそうだ。問題が航海主任となると、船長には状況を把握し、協力してもらう必要がある。」
アレックスの声が再び現実に引き戻す。
「それと、近藤! おまえにも話しておかなければならない事がある。」
突然名前を呼ばれ、セリカはびくりと肩を震わせた。背筋を伸ばし表情を整える。
「今聞いたように、俺は神谷を守る事を第1に考え行動する。もちろんお前を見捨てたりはしない。 見捨てたりはしないが……」
セリカに真正面から向き合う様に、たたずまいを正す。
「万一、二人同時に危機的状況に陥った場合、俺は神谷を守る行動をとるからお前を守れない。盾に使う様な事はしないが、お前は自分の判断で行動しろ。」
その言葉が、彼女を絶望に突き落とす。
私は守ってもらえない!? 自分で判断しなければならない? 冷たい現実が、セリカの頬を蒼白に染める。目が細められ、食いしばった口が感情の崩壊を止められずに崩れはじめる。そして肩の震えが嗚咽に変わった。
「ふぅわあぁん……」
セリカは泣き出してしまった。
「そんな事わざわざ言わなくてもなんとなくわかってるしぃ― え~ん」
セリカの声が裏返り、涙が頬を伝う。肩が震え、赤い椅子の背もたれに小さく身を寄せる姿は、さっきまでの『できる女』の影はない。
「ちょっと今の言い方は酷いんじゃないか?」
神谷が眉をひそめる。アレックスは一瞬きょとんとし、次に困惑したように首を傾げた。
「あぁ…… いや、お前ならこの言い方の方が、現実を把握すると思ったんだが…… お前そんなキャラだったか?」
アレックスの声には本気の戸惑いが滲む。どうやら彼は、セリカの『できる女ムーブ』を完全に信じていたらしい。
「ばかぁ……え~ん」
セリカは涙を拭いながら、ややわざとらしく鼻をすする。神谷は心の中で(これは本物か?)と疑念を抱いた。
「あぁ……すまない。 おい神谷、どうすりゃいいんだ!?」
アレックスが両手を広げ、助けを求める視線を送る。その顔は、戦場で冷静な判断を下していた男とは思えないほど狼狽していた。
「知らんよ。あんたが泣かしたんだろうが! こういう時は……」
神谷は腕を組み、記憶を探る。研究室での過去が脳裏に浮かび、徹夜明けで不機嫌な助手が、差し入れの甘い洋菓子で機嫌を直していたことを思い出す。
(そういえば、あの子……何と言ったか? 有名洋菓子で機嫌を直していたな……)
作業を手伝ってもらいながら、助手の名前も覚えていない神谷もひどい奴である。
神谷は小声でアドバイスした。
「甘いものをおごったらどうだ?女の子は大概好きだぞ!」
アレックスの顔に光が差したような表情が浮かぶ。
「なあ、近藤、これで機嫌を直せ、ほら、好きなアイスを買え。幾つでも買ってやるぞ!だが、食べ過ぎるとおなか壊すから取り合えず2個までにしとけよ?」
アレックスが自販機を指差す。セリカはちらりと視線を向け、涙の隙間から冷ややかな光を覗かせた。
「保安部がアイス2個で買収しようとしてる え~ん」
再び泣き声が響く。神谷は心の中で呟く。
(こいつ、ウソ泣きか!)
「すまない、待たせた……て、何かあったのですか?」
たった今エレベーターで移動してきた船長は、この状況を目にして事態が予想以上に深刻な状況に陥ったのではないかと勘繰る。
2人はちらりと船長を見て、ばつの悪そうに口ごもるとセリカをなだめにかかる。
今度は神谷が……
「なぁ、セリカ、船長も来た事だし、な、そろそろ……」
神谷が声をやわらげ慰める。セリカは涙を拭いながら、ぽつりと呟いた。
「え~ん クレセントロール、バニラ味2個なら許す」
神谷は『なんだそれ?』と言う感じでアレックスを見る。
「あぁ~ 今流行りのロールケーキだ。」
アレックスが肩をすくめる。
「わかったわかった、無事帰ったら一緒に買いに行こう。おごってやるから。」
「うぅ…… ぐすん わかった……」
セリカは鼻をすすりながら、ようやく頷いた。
(わかったって、ウソ泣きだろ!)
もはやできる女はどこにもいなかった。
神谷は『支払いはお前だぞ』とアレックスにハンドサインを送った。
それを見たアレックスは、一瞬(ん?)と言った反応をしたがすぐに、両手を上げて降参のポーズをとるのだった。




