10.ナタリア・ヴェレシチュク
ある日の午後、私は上司にエレベーターホールに呼び出された。
行方不明になった情報協力者について報告書をまとめている最中だったので、この件について口頭で説明を求められると考えた。
あれこれ心の中で回答を模索しながらエレベーターホールに着くと、上司が神妙な面持ちで待っていた。
(何か深刻な事態になっているのかも……)
エレベータに乗り、上司がウェアブル端末を操作パネルにかざすと、パネルが静かに下にスライドし、隠されたフロアボタンが現れた。
そして、静かに下降し始める。
(え……こんな仕組みがあったなんて。どこに連れていかれるの?)
呼び出しも利用端末へのダイレクトメッセージという特殊な方法だったことを考えると、背中を冷たい汗が伝う感覚を覚えた。
(行方不明案件とは違う……私、何か知りすぎた?まさか消されるとかないわよね?)
情報部という部署柄、公にしたくない事実を目にすることは多い。
目的のフロアに着き、扉が開くと、足元のわずかな照明に浮かび上がる殺風景な空間が目に飛び込んできた。カーペットすらない床が立てる足音は、壁紙すら貼られていない壁に反響し、不安をあおる。
上司について歩く。
いくつかの部屋を通り過ぎ、あるドアの前でタッチパネルにウェアブル端末をかざしロックを外すと、私に先に入るよう促した。
(レディーファーストって、こういうリスクを避けたい時に不利なマナーよね……)
背後に危険を感じつつ、全身が縮こまる気持ちで部屋に入った。
その部屋も殺風景だった。壁紙もカーペットもない様子が寒々しい。
中央には楕円形の片側を切り落とした形のテーブル。切り落とした一端に置かれた椅子に上司が腰を下ろす。楕円の正面に1つ、長辺の両側に2つずつ、計5つの椅子が置かれているが、人が座ることを考慮していないデザインだ。
「これから、ある会議が始まる。今後この案件は君が主担当として動く承認を貰うから、そのつもりで。」
そう言うと、上司はテーブルに肘をつき、手のひらを顔の前で組んだ。
(……このポーズ、どこかで見たわね。アニメのワンシーン?いや、今はそんなこと考えてる場合じゃない。)
私が姿勢を整え左後ろに控えると、上司は満足したように目を細めた。
「そろそろ時間だ……」
数瞬後、照明が落ち、投影機の起動音が響く。
立体映像が椅子に降り、輪郭の曖昧な影の様な人体が椅子に腰かけた。全員顔はなく、風景テクスチャーを貼り付けた影もいる。テーブルにはイニシャルプレートがこちらに向けて表示された。
真正面の黒い影が話し始める。
「やあ、みんな久しぶりだね。この会議で5回目かな?今日は発起人として私が仕切らせてもらうよ。今回もバーチャルボディーで失礼するよ。」
拍子抜けするほど明るい声で、A.Tイニシャルの影が会議を主導する。
(……この雰囲気、表面上の軽さで緊張を隠してるわね。)
そして、他愛ない雑談──最近の輸送便の遅延や、誰かの冗談──の区切りがついたところで、A.Tがアジェンダを読み上げる。
「え~、今回の議題は4つ。ZB-03の報告、担当の選任と……」
努めて冷静を装いながら、私は焦った。
(担当の選任……私のことよね!? 自己紹介なんて準備してない! 名前、入社動機…理念への賛同?いや、面接じゃないんだから!)
「……そして、最後に今後の方針についての4つだ。まず担当の選任から始めよう。報告内容を聞た後で否認されても困るからね。」
(ええ……ちょっと、急に順番変えないでよ!)
覚悟を決めて口を開く前に、上司が発言した。
「今日の会議、彼女を主担当として参加に承認いただきたい。」
影たちが手元を見るような仕草をし、タブレットらしき端末を操作する音が聞こえる。プロフィールが公開されていたようだ。
(何か発言したほうがいいのかしら……)
しばし沈黙の後、感心するような吐息や「美人だね」「ウクライナ……」という声が漏れる。
「信用に足りる人選なんだね?」
と森林の影W.Dが言う。
「はい。わが社の企業理念に強い興味と共感を持っています。」
「4課の報告に間違いはない。それに『あの方』の推薦でしょ。」
青空の影K.Kが発言する。
(『あの方』…… 誰?私の味方? 私を知っているの?)
「良いだろう。承認しよう。メモも許可する。」
A.Tが言い、全員が同意した。
「感謝します。」上司が礼を述べる。
(……終わった。無駄に緊張したわ。)
私は、脇にじっとりと汗をかいている事に気付き、しみがついていないか心配になった。
そこからの説明は、トアのオルディアオフィスで私が話した内容とほぼ同じ。
小惑星の位置、発見の経緯、他の小惑星との違い、放射線反応、事故の内容、現状の説明……
「次が、今回の調査での識者だ。構造物の調査に専門家が必要だろう。」
「私が押したいのは神谷レイ氏です。」
K.Kが発言する。
参加者が口々に呟く。
「考古学者?」「イケメン」「学会未所属か……」
呟きが気になったのだろう、K.Kが続ける。
「学会未所属はメリットと言えます。我々の利益面から考えても情報の拡散は避けるべきで、むしろ距離を置く人選が最適です……」
長時間の沈黙…… タブレットらしき操作音だけが時々僅かに聞こえる。
そして、決断を迫るように
「ちなみに『あの方』の了解を頂いています。」
その瞬間、空気が変わる。
「なんだ早く言えよ」「選択の余地なしか」「これはルール違反だろ」
批判が飛ぶ。
K.Kは言葉に詰まってしまった様だった。
(……この人、評価を落としたわね。ルールが何か知らないけど。)
「じゃあ、神谷氏で進めよう。『あの方』の了解を頂いている様だしね。」
A.TがK.Kをあざけるように『あの方』を強調する。
「では最後の議題。これは決定の方向で進めさせてほしいのだが……ナタリア君、彼にはこの遺跡の謎を解明する方向で進めるように伝えたまえ。封印らしきものは取り除き、本来の機能を特定するようにと。」
「はい。承知しました。」
突然の名指しで慌ててしまったが、タイミングを逃さず何とか声を絞り出せた。
(危ない。失点は避けたい。選んでくれた上司のためにも。)
「提案ですが、保安部を付けてはどうだろう?人選に心当たりがある。案内役が女性の様だし。」
すべての案件がクリアされた思ったのだろう、森林の影W.Dが発言する。
(心当たりって……この人、保安部の関係者かしら?)
「あぁ、私もそれを考えてた。 今W.Dから共有された資料にも中華連邦の危険性が載ってるしね。」
A.Tが同意を示す。
(同感ね。私のエージェントが消えた理由も恐らく…)
「あいつらやり方が汚いんだ。 月の裏側で協定を超えた採掘を進めてやがる! 地球から見えないからいい気になってやがる。」
W.Dも我慢ならない事があるらしく、発言から激しい憤りを感じた。
保安部の要員追加が認められ、会議が終わった。 立体映像が消え、照明が戻ると、緊張が解け、どっと疲れが湧いた。 思わずテーブルに手をつきそうになる。
「突然すまなかったね。」
上司は背もたれに身を預け、愉快そうにこちらを見た。
「驚いただろう?あれは『あの方』の発案だ。 重要な案件を決めるとき、顔が見えると忖度が生まれる。 だから匿名で意見を言える仕組みにした。」
彼は指先でテーブルを軽く叩いた。
「もちろん、発言内容から誰か想像できることもある。 でもそこは敢えて触れない。 イニシャルも世襲制だ。 決定は全員の責任として扱い、問題が起きれば全員が解決に協力する。 そして問題発生時には責任者を特定しない。 それがこの会議のルールだ。」
(でも、その場合、身勝手な発言が先行してしまうのではないかしら?)
「この運営が成り立つのは、『あの方』が掌握しているからだよ。 だから、『あの方』の提案のような発言はルール違反になるんだ。」
上司は立ち上がりドアに向かう仕草を見せるが、気を取り直して椅子に座りなおし、独り言のように言った。
「だから、K.Kの発言は少々まずい。更迭されるかもしれないね。」
喉の奥で笑いを噛み殺しているようだった。
ナタリアは表情を変えず、心の中で静かに整理する。
(なるほど。『あの方』がいるからこの運営が成り立つのね。 いったい誰なのかしら……)
そして今、トアの展望室から神谷レイが乗ったアステロイドベルト中継ステーション行きクルーザーを見送っている。
(私の任務はここまで。3人が無事に戻る報告書を書きたいわね。)
「それにしても……『あの方』は私を知っていた。 社内の人間であれば知っていてもおかしくない。 でも、人事部でないのに一般社員で接点もない私を知っているというのは不思議だわ。 私が忘れているだけ? それに、神谷氏をも知っている。 たまたまなの?『あの方』の情報網はどうなっているのかしら……」
ナタリアはいつしか、スクリーンに映った自分に問いかけていた。
次の土曜更新予定です




