第九十三話 飢えない王国を作った少年が、国王から呼び出された
春。
王都アルディア。
エリクは国王アルベルト三世から正式な召喚を受けた。
王宮へ向かう道には、かつての配給所の壁だけが残っていた。
今はその前に市場の屋台が並び、パンの匂いがしている。
「立派な服を借りた方がいいんじゃないか」とカールが言った。
エリクは泥の残る靴を見下ろした。
「何を着るかより、どの村に麦が届いていないかを伝えたい」
王宮の階段で靴底の土を落とそうとすると、案内の役人が首を振った。
「そのままでよい、と陛下から」
大広間には国王と大臣たちが集まっていた。
エリクが膝をつくと、国王は静かに言った。
「顔を上げよ。エリク、お前には王国を救ってもらった」
「私一人の力ではありません。畑を耕した人も、荷を運んだ人も、帰る場所を失った兵士もいました」
「分かっている。だが、お前がいなければ農地防衛隊は生まれず、十万の敵軍との戦争も終わらなかっただろう」
国王は任命状を掲げた。
「王国農業総監を命ずる。各地の倉庫と農業政策を監督する役職だ」
大臣たちがざわめいた。
エリクは任命状ではなく、広間の奥に置かれた王国地図を見た。
王都から遠い村の名前は、小さすぎて読めない。
「一つ、お願いがあります」
「何だ」
「私を、農民のままでいさせてください。畑に戻り、村の人の話を聞く時間をください。畑を知らない人間にはなりたくありません」
「そのために総監の仕事を疎かにするつもりか」と財務大臣が問う。
「いいえ。だから各地に記録係を置き、私が不在でも判断できるようにしたい。私一人にしかできない仕事なら、私が倒れた日にまた村が飢えます」
国王はしばらく考え、笑った。
「ならば、畑を持つ農業総監になれ」
エリクは頭を下げた。
しかし、まだ伝えなければならないことがあった。
「もう一つあります。配給を止める命令を出すときは、理由と残量を公表する決まりをください。王が変わっても、役人が変わっても、村人が確かめられるように」
「私の権限を制限しろと言うのか」
「はい。母が飢えて死んだとき、私たちには倉庫に何があるか確かめる手段さえありませんでした」
言い終えてから、エリクは自分の声が震えていることに気づいた。
王の前で母の死を口にするつもりはなかった。
それでも、ここで黙れば、あの冬を知らない人々だけで次の冬の決まりが作られてしまう。
大広間は静まり返った。
国王は窓の外を見た。
そこから見える麦畑はまだ若い緑色だったが、遠い山村の倉庫の中までは見えない。
宰相ユリウスが一歩前へ出た。
「陛下、在庫を公表すれば、商人に輸送経路を読まれる恐れもあります。敵国が再び攻めれば、倉庫の位置は弱点になります」
エリクは地図を見た。
「軍の輸送経路まで公表する必要はありません。でも、村に届くはずの麦が届かないとき、村人が何も知らされないまま待つ仕組みは変えたいんです」
「では、何を公開する」
「村ごとの受け取り予定量、実際に受け取った量、遅れた理由です。倉庫の場所ではなく、村の食卓に届く数字を」
国王はユリウスを見た。
「それなら、国を守ることと民に説明することを両立できるか」
「運用は難しいでしょう。しかし、不可能ではありません」
「私が生きているうちに始めよう」と国王は言った。
「ただし、私が死んでも続くよう、勅命だけで終わらせるな。議会の記録に残し、次の王にも引き継がせよ」
宰相ユリウスが命令書の余白に書き加える。
『配給停止の理由、在庫、次回の配給予定を公開すること。
異議は村の書記を通じて申し立てられること』
任命式のあと、ユリウスはエリクに小さな封筒を渡した。
「地方の村から届いた嘆願書だ。総監殿の最初の仕事になる」
封を開くと、倉庫の麦が湿気で傷み、役人が報告を隠しているという訴えが書かれていた。
「任命された日に、もう問題ですか」
ユリウスは苦笑した。
「役職というのは、褒められる席じゃない。困りごとが集まる席だ」
エリクは封筒を懐に入れた。
「なら、まずその村へ行きます」
王都に屋敷も豪華な服も求めなかった。
望んだのは、いつでもアルト村の畑へ戻れることと、妹クリスと一緒にパンを食べられることだった。
王宮を出ると、靴の裏にはまだ土が残っていた。
その土を、エリクはもう落とさなかった。




