第八十六話 川を使って麦を運んだら、輸送量が十倍になった
王都から西へ流れる大河。
そこに、十隻の平底船が並んでいた。
船には、麦袋が積まれていた。
エリクは船を見つめていた。
「……こんなに積めるんですね」
船頭が笑った。
「荷馬車よりはな」
エリクは頷いた。
荷馬車一台で運べる麦には限界がある。
最初の試験輸送で、十隻のうち一隻が浅瀬に乗り上げた。
袋を降ろして船を軽くし、潮位ではなく川の水位を測り直す。
船頭は流れの速い曲がり角に杭を打った。
「十倍運べるって話じゃなかったのか」
カールが尋ねる。
「同じ区間を一度に運べる量なら、荷馬車十台分に近い。でも帰りの曳き船も、荷揚げも必要だ」
「川が凍れば船は止まる。増水すれば岸へ寄れない」と船頭は続けた。
「十倍という数字だけが先に歩くと、荷の届かない村が出る」エリクは船の積載量だけでなく、村へ届いた日付と実際に配れた袋数を記録するよう頼んだ。
船頭はそう答え、帳面に実際の所要日数を書いた。
翌便からは船を満載にせず、浅瀬を越えられる重さに抑えた。
港では袋を数える係と荷車へ積み替える係を分けた。
一月後、輸送記録が届いた。
ある区間では荷馬車だけのころの約十倍を運べたが、上流の村ではまだ三倍にも届かない。
エリクは成果と限界を並べて記した。
数字を誇るより、届かない村をなくす方が先だった。
船が浅瀬に乗り上げた知らせに、荷役の男たちは笑えなかった。
「川なら何でも運べるわけじゃない」
エリクは船頭に水位の記録を求め、浅い区間では小舟に積み替える案を聞いた。
十倍という数字は、条件の良い区間だけのものだ。
山村へ届く最後の道には、なお人の背が必要だった。
彼は地図の青い線の先に、細い赤い線を書き足した。
川を下る舟の速さを見て、人々は初めて輸送の可能性を知った。
だが増水の日も、凍る季節もある。
エリクは舟が動けないときの陸路を消さなかった。
川に浮かべた最初の平底船は、岸を離れてすぐに傾いた。
荷を片側に積みすぎていたのだ。
「陸より運べるからといって、何でも積めるわけじゃない」
船頭が怒鳴る。
荷を積み直し、水位の浅い場所には目印を立てた。
エリクは速さよりも、最後まで届く便を増やすことを優先した。
だが、船なら大量に積める。
しかも、川の流れを利用すれば、輸送に必要な労力も減らせる。
ただし、問題もあった。
川の水位。
平底船の船頭は、岸辺の浅瀬を棒で探りながら進んだ。
「馬車なら一日かかる道を、半日で運べる。でも川にも機嫌がある」エリクは水位の印を見つめた。
増水すれば麦は濡れ、渇水なら船底がつかえる。
輸送量が増えたからといって、すべてを川に預けるわけにはいかない。
彼は船と荷車の両方を残す計画を立てた。
川は多くの袋を運べるが、岸から遠い家には荷車が要る。
エリクは輸送量の数字の向こうに、最後の一歩を残していた。
川船が荷を運ぶと、陸路より多くの麦を一度に届けられた。
しかし船着き場から村までは、まだ荷車が必要だった。
エリクは船便の時刻と陸送の当番を一枚の表にまとめた。
船頭は水位の低い川筋を指して言った。
「十倍運べるのは水がある季節だけだ」
エリクは喜びかけた顔を引き締めた。
港を増やしても、冬に川が凍れば荷は止まる。
街道と川を組み合わせ、村ごとに別の道を残す。
輸送量の数字よりも、止まったときの備えが大切だった。
川舟に積める麦袋の数は水深で変わった。
船頭の経験が、王都の命令より役に立った。
浅瀬。
橋の残骸。
そして、盗賊。
カールが尋ねた。
「……護衛は?」
船頭は答えた。
「川沿いに兵士を配置してくれれば、かなり安全になります」
エリクは頷いた。
「……分かりました」
その日。
十隻の船が出発した。
麦袋を積み、川を下った。
途中、浅瀬で船が止まることもあった。
橋の残骸を取り除く必要もあった。
だが、輸送は成功した。
三日後。
西部の集積所へ、大量の麦が届いた。
管理官は驚いた。
「……こんなに早く?」
船頭は笑った。
「川が使えるなら、陸路だけに頼る必要はない」
その後、王国各地で水運が整備され始めた。
主要河川には、小さな港が作られた。
穀物倉庫が建てられた。
船頭たちが雇われた。
そして、麦が運ばれた。
エリクは地図を見つめていた。
赤い線は街道。
青い線は川。
その二つが、王国中を繋いでいた。
「……食料を作るだけじゃなく、届けることも大切なんですね」
カールは頷いた。
「……そうだな」
その日。
王国の食料輸送は、大きく変わり始めた。
ドランは川船と荷車の積載表を並べた。
川は大量に運べるが、浅瀬では止まり、増水すれば港を使えない。
陸路は少量でも山村へ届く。
「十倍というのは、条件がそろった区間の数字だ」彼は川沿いの集積所と、そこから枝分かれする荷車の道を描いた。
「道を一つに頼る国は、次の洪水でまた飢える」
川船の船頭は、輸送量が十倍になったという報告を聞いて顔をしかめた。
「水が浅い月には半分も積めませんよ」
ドランは数字を書き直した。
「では十倍は最良の日の数字だ。冬の計画には使えない」
成功を小さく書くことは、敗北ではなかった。
届くはずの麦を、紙の上だけで増やさないためだった。
ドランは受領印の欄を二つに分けた。
中継所で受け取った印と、村の人が実際に受け取った印。
「今まで、途中で止まっても配達済みになっていました」
若い役人が顔を伏せた。
「あなたが悪いのではなく、間違いが見つからない仕組みが悪い。でも今日からは、見つけた人が黙っていてはいけない」
クリスは山村の少年に、次の荷が来る日付を書いた札を渡した。
「遅れたら、この札を持って来て。私たちが調べるから」




