第八十二話 国王は、戦争で奪った土地を農民に返した
王都アルディア。
王宮の大広間。
国王アルベルト三世は、新しい勅令を読み上げた。
『王国農地再建令』
その内容は、王国の歴史を変えるものだった。
戦争で放棄された農地。
領主が不当に奪った農地。
翌週、王都から派遣された測量役がアルト村に到着した。
古い境界石は洪水で倒れ、証文の一部は戦火で焼けていた。
「王命があるなら、すぐに俺の土地に戻せ」
先に訴えた男に、測量役は首を振った。
「王命があるからこそ、勝手には決められません」
村の老人たちを呼び、昔の水路の位置を尋ねる。
証言が食い違うと、測量役はそのまま台帳に記した。
エリクは夕暮れまで立ち会った。
争いを消すことはできなかったが、力の強い者が一晩で境界を変えることは止められた。
帰り際、二人の農夫が同じ井戸から水を汲んでいた。
会話はない。
だが、どちらも鍬を持っていた。
明日も畑へ出るつもりなのだ。
土地の境界を示す石の前で、二人の農夫が同じ畑を指した。
「祖父の代からうちの土地だ」「戦の前に買い取った」
測量役は古い証文を読み、判読できない箇所で手を止めた。
エリクは即決を求める声を退け、隣村の証人を呼ぶよう頼んだ。
判定まで畑を放置すれば収穫を失うため、両家で仮に耕し、収穫を保管する取り決めを作った。
土地返還の布告を読み上げると、広場に拍手は起きなかった。
農民たちは互いの顔を見た。
「証文は? 来年、別の領主が取り上げたら?」
エリクは役人に、返還先と境界を記した台帳を見せるよう求めた。
「名前だけの返還にしない。争いが起きたら、ここに記録を残します」
老農夫が震える手で署名の代わりに印を押した。
取り戻したのは土地だけではない。
明日を耕す権利だった。
土地を返された農民は証文を握ったまま畑へ行った。
境界石が残っているのを見て、初めて笑った。
土地を返すだけでは、明日の収穫は生まれない。
耕す道具、種、そして争いを裁く約束が必要だった。
そして、所有者が不明になった農地。
それらを調査し、耕作する者へ利用権を与える制度だった。
国王は静かに言った。
「……農民が畑を失えば、王国は飢える」
大臣たちは黙っていた。
「農民が安心して耕せる土地を、守らなければならない」
その言葉に、エリクは深く頷いた。
だが、問題もあった。
領主たちの反発だった。
「我々の土地を奪うのか!」
「王国の秩序が崩れる!」
国王は静かに答えた。
「土地を奪うのではない」
そして続けた。
「耕されずに荒れた土地を、再び生かすのだ」
エリクは国王を見つめていた。
かつて、この国では、領主の命令一つで農民の麦が奪われた。
だが、今は違う。
少しずつ、制度が変わり始めていた。
その日。
王国各地で、農地の調査が始まった。
そして、放棄された畑へ人々が戻り始めた。
鍬を持って。
種麦を持って。
そして、希望を持って。
返還の最初の審査で、二人の男が同じ畑を指さした。
「父の代からうちの土地だ!」と農夫が叫ぶ。
「戦の間、荒地を耕したのは俺だ!」と避難民が言い返した。
役人は証文を調べたが、古い記録の半分は戦火で失われていた。
どちらかを追い出せば、また一人、畑を持たない人間が生まれる。
エリクは二人を畑へ連れていった。
石垣は崩れ、境界の杭も腐っていた。
「元の所有と、今まで耕した労働は、どちらも無かったことにはできません」
農夫が唇を震わせた。
「じゃあ、どうする」
「今年の収穫は労働をした人の取り分を認める。土地の権利は村の証言と残った記録で審査する。それまで二人とも追い出さない。納得できなければ、王都へ異議を出せるようにします」
二人とも満足した顔はしなかった。
それでも、鍬を捨てて殴り合うことはなかった。
後日、国王はこの争いの報告を読み、勅令の末尾に一行を加えた。
『土地を返すとは、争う権利を力ではなく言葉に戻すことである』
返還される土地の地図を見た農婦が、首を横に振った。
「十年前の境界なら、今ここに住む家族はどうなる」
国王は筆を置いた。
「昔の正しさを取り戻すために、今の暮らしを壊してはならん」
所有権の確認と耕作権の保護を分け、争いは村の立会人と裁判官が聞くことになった。
王命だけで土地は戻らなかった。
土地返還の席で、年老いた小作人が証書を受け取ろうとしなかった。
「字が読めん。十年前も、読めない紙に印を押して畑を取られた」
若い役人は困った顔をした。
クリスは証書を声に出して読み、隣村の者にも同じ文面を確かめてもらった。
「この紙が違っていたら、誰に言えばいい?」
「村の会議と、王都の監査役です。どちらにも控えを残します」
老人はようやく印を押した。
返すと宣言するだけでは、土地は戻らない。
老人は控えを二つに折り、畑へ戻った。
境界の杭はまだ古い位置にあり、明日、立会人と一緒に打ち直す予定だった。




