↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
飢えた王国 ~麦を奪って生き延びた俺は、誰も麦を奪わなくていい国を作る~  作者: レモンティー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
73/100

第七十三話 最後の麦畑を守るため、王国中の農民が立ち上がった

洪水から一週間。

王国各地から、支援が届き始めた。

木材。

農具。

食料。

そして、人手。

北部からは、元ヴァルシア軍の兵士たちがやってきた。

南部からは、農民たちが集まった。

西部からは、職人たちが到着した。

彼らは、壊れた水路を修理した。

泥に埋まった畑を整えた。

橋を架け直した。

そして、残った麦を守った。

守る畑を決める会議で、若い農夫が立ち上がった。

「うちの畑は見捨てるのか」

誰も顔を上げなかった。

クリスが地図を広げた。

「この畑をすぐに直せないなら、冬の食料と来春の種を先に用意しないと」

「約束だけじゃ腹は膨れない」と農夫が言った。

「だから、どの倉から運ぶかまで、ここで決めよう」

ドランが輸送路を指でたどり、農夫自身に予定を確かめてもらった。

助けられない土地があることと、そこに暮らす人を見捨てることは同じではない。

エリクは作業現場を歩いていた。

そこには、見覚えのある男がいた。

「……ドランさん?」

ドランが振り向いた。

「おう、エリク」

「いつ戻ってきたんですか?」

「昨日だ」

ドランは笑った。

「水路が壊れたって聞いたからな」

遠方の村から来た男は、刃の欠けた鎌を持っていた。

戦うためではない。

刈り入れのためだった。

「うちの村も危ない。でも、ここを失えば来年はもっと危ない」

エリクはその言葉を聞き、集まった者に武器ではなく作業場所を割り振った。

守るとは、戦うことだけではない。

エリクは頷いた。

「……ありがとうございます」

ドランは首を振った。

「礼はいらん」

そして、鍬を持ち上げた。

「……俺も、今は農民だからな」

エリクは笑った。

そのとき、別の男が近づいてきた。

ハインリヒ将軍だった。

「……少年」

エリクは驚いた。

「……将軍!」

ハインリヒは頷いた。

「ヴァルシア王国から、支援を持ってきた」

エリクは息を呑んだ。

「……支援?」

「木材と農具だ」

ハインリヒは続けた。

「食料は十分ではないが、修復の手伝いならできる」

エリクは深く頭を下げた。

「……ありがとうございます」

ハインリヒは笑った。

「……礼を言うのはこちらだ」

「……え?」

農民たちは剣を持つために集まったのではなかった。

畑に残る者、見張る者、負傷者を運ぶ者を決めると、ようやく守るべきものが見えてきた。

農民が集まるほど、畑に残る家族は少なくなった。

エリクは村ごとの守備人数を数え、「全員を前線に呼ばないで」と伝えた。

最後の麦畑を守るには、遠くの畑も生きていなければならなかった。

集まった農民の中には、かつて互いの麦を奪い合った村の者もいた。

誰もすぐには隣の列へ近づかなかった。

カールは隊列を混ぜず、まず見張りの時刻を共有させた。

夜が明けるころ、二つの村の若者が同じ水桶を運んでいた。

敵を信じたのではない。

麦を守る仕事の中で、少しずつ疑いを置く場所がなくなった。

残った畑の周囲に、戦ったことのない農民が集まった。

彼らは武器の持ち方より、収穫までの日数を知っていた。

守るべき畑が少ないほど、一つを失う痛みは大きくなる。

エリクは農民たちの列を見て、彼らが守ろうとしているのは収穫だけではないと知った。

「お前が戦争を止めなければ、我々は今頃、ここで殺し合っていた」

エリクは黙った。

ハインリヒは続けた。

「……今は、同じ畑を守っている」

その言葉に、エリクは胸が熱くなった。

数か月前。

彼らは敵だった。

麦を奪い合い、殺し合っていた。

だが、今は違う。

同じ畑を守っている。

同じ水路を修理している。

同じ収穫を待っている。

最後の畑を守るために集まった人々のなかに、かつて敵だった兵士がいた。

農夫がその顔を見て叫んだ。

「こいつは去年、うちの種麦を奪った!」

兵士は逃げなかった。

「返せる麦はない。だが、今日ここで働かせてくれ」

農夫は鎌を突きつけた。

「許したわけじゃない」

「分かっている」

二人は同じ畝の端と端に立った。

倒れた麦を起こし、流れ込んだ泥をかき出した。

昼まで言葉を交わさなかった。

夕方、農夫は兵士の前に水の入った椀を置いた。

「明日も来い。まだ半分、泥に埋まってる」

兵士は椀を受け取った。

二人は黙って水を飲み、手を付けられなかった畝を見た。

その日の夕方。

エリクは高台の畑に立っていた。

そこには、まだ緑の麦が残っていた。

クリスが隣に来た。

「お兄ちゃん」

「何だ?」

「麦、まだ生きてるね」

エリクは頷いた。

「……ああ」

クリスは笑った。

「じゃあ、まだパンが食べられるね」

エリクは妹の頭を撫でた。

「……そうだな」

そのとき、遠くの畑から声が聞こえた。

「……エリク!」

農民が走ってきた。

「どうした!」

農民は息を切らしていた。

「……麦に、穂が出た!」

エリクは息を呑んだ。

「……本当か!」

農民は頷いた。

「はい!」

エリクは畑へ走った。

そこには、小さな麦の穂があった。

まだ青い。

まだ実は十分に育っていない。

だが、確かに穂が出ていた。

エリクは膝をついた。

そして、そっと麦に触れた。

「……生きてる」

その言葉が、風に消えた。

クリスが隣に座った。

「お兄ちゃん、泣いてる?」

エリクは首を振った。

「……泣いてない」

だが、頬には涙が流れていた。

母親を失った日。

村を焼かれた日。

麦一袋のために人を殺した日。

難民として逃げ続けた日。

飢えた兵士たちと戦った日。

そして、畑を守るために戦い続けた日々。

そのすべてが、頭をよぎった。

エリクは麦の穂を見つめた。

まだ収穫はできない。

まだ飢饉は終わらない。

だが、確かに未来がそこにあった。

エリクは静かに言った。

「……今度こそ、この麦を食べるんだ」

夕日が畑を照らしていた。

風に揺れる麦の穂。

それは、王国に残された最後の希望だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。