第六十八話 水路工事で百人が倒れ、農民たちは怒り始めた
水路を掘り直し始めて一か月。
現場の鍬の音は、日を追うごとに小さくなっていた。
工事を急げば麦畑を救える。
だが、工事をする人間は、毎日薄い麦粥しか口にしていなかった。
エリクが医療所を訪れると、百人近い作業員が横たわっていた。
熱でうなされる者、落石で脚を折った者、脱水で立てなくなった者。
寝台が足りず、床にも藁が敷かれていた。
倒れた工夫の名を聞いたエリクは、人数の報告書を閉じた。
工事を急がせた自分にも責任がある。
休憩と飲み水を確保するまでは、明日の作業を始めないと決めた。
「水を引く工事なのに、水が足りないのか」
エリクは唇の割れた男を見た。
医師が言った。
「飲み水まで工事に回している。休みも足りません」
男の妻が寝台の横に座っていた。
「この人は昨日、倒れたのに現場へ戻ろうとしたんです。休んだら配給が減るって」
エリクは息を呑んだ。
配給は働いた日数で決まる。
休む者ほど食べられなくなる仕組みを、自分たちは放置していた。
午後、作業場で農民が鍬を投げ捨てた。
「もうやれない! 畑を救う前に俺たちが死ぬ!」
監督が怒鳴る。
「今止めたら、麦が枯れるぞ!」
「俺たちが倒れたら、誰がその麦を刈るんだ!」
言い争いは広がった。
石を握る者まで現れた。
エリクは人々の前へ出た。
「工事を止めます」
監督が顔色を変えた。
「あと十日で通水できる見込みです。今止めれば間に合いません!」
「十日で、あと何人倒れますか」
監督は答えられなかった。
「倒れた人の配給は減らさない。休養日を作る。飲み水は工事より先に人へ回す」
農民の一人が叫んだ。
「言うだけなら簡単だ!」
倒れた者の分まで働けと言えば、次の犠牲が出る。
エリクは工事を進めることと、人を休ませることを同じ責任として引き受けた。
倒れた作業員を担架で運ぶたび、残った者の手が止まった。
エリクは作業時間を短くし、給水と休息の当番を置いた。
「早く完成させたいからこそ、明日も働ける人を残すんです」
「明日の配給台帳に、僕の名前で書きます。守れなければ、責任を取ります」
エリクは帳簿を取り寄せ、医療所にいる百人の名を記した。
作業できない日にも配給を出すと決めた分、工事の備蓄は減る。
夜、カールが帳簿を見て言った。
「これでは工期が延びる。畑を捨てる覚悟も要るぞ」
「分かっています」
エリクは窓の外を見た。
乾いた風が吹き、麦の穂が白くなり始めていた。
「でも、誰かを使い潰してできた水路なら、僕たちは何も変えていない」
倒れた工夫の妻が、現場へやってきた。
「麦のためなら、夫が死んでもいいの」
誰も答えられなかった。
エリクは作業を止め、休憩と水の配分を見直した。
水路の完成が遅れれば、別の畑が枯れるかもしれない。
それでも、働く人間を数に入れない計画を続けることはできなかった。
翌朝、工事場は静かだった。
農民たちは鍬を置き、まず水を飲んだ。
水路はまだ完成していない。
畑を救える保証もない。
それでも、その日だけは誰も倒れなかった。
倒れた百人の名前を前に、バルトは帽子を脱いだ。
「水路を完成させれば、みんな報われる」と彼は言いかけ、口をつぐんだ。
倒れた作業員の妻が尋ねた。
「夫は、今も寝床から起き上がれないのに?」
誰も答えられなかった。
エリクは工事を一日止めた。
残りの日程が厳しくなると知っていたが、負傷者を置いて工事を進めることはできなかった。
倒れた作業員の娘は、父の名が配給表にあるのを自分で確かめた。
「お父さんが戻るまで?」と尋ねると、係は答えた。
「戻れない場合も、収穫までだ」
作業時間を短くし、飲み水を確保し、村ごとに交代の人員を出す。
負傷者の家族への食料は一時の見舞いではなく、収穫までの配給表に組み込む。
「工事が終わったら忘れられると思っていました」と妻が言った。
エリクは名簿に倒れた作業員全員の名前を残した。
「名前を残すだけで終わらせません。次の工事の休憩と配給を、ここから変えます」




