第六十五話 一滴の水を巡って、二つの村が戦争を始めた
アルト村から南へ十五キロ。
小さな川の上流にベルク村、下流にノルン村があった。
二つの村は何代にもわたり同じ水を使ってきた。
だが今年は雨が降らず、川底の石が露出した。
ベルク村が堰を高くしたのは、麦が枯れ始めたからだった。
水を畑へ引き込むと、下流のノルン村では井戸まで涸れた。
水門の前で二つの村の若者が互いを睨んだ。
エリクは立会人の名前を両村から選び、測った水量を同じ板に書かせた。
争いを止めるには、約束を誰もが確かめられなければならない。
「水を返せ!」
「返せば、うちの子供が死ぬ!」
川辺に集まった男たちは鍬と斧を握った。
最初に石を投げた者が誰か、後には誰も覚えていなかった。
クリスは両村の女たちに話を聞いた。
上流では苗が枯れ、下流では飲み水まで濁っていた。
「畑に使う水と、今日飲む水を一緒に争っている」と彼女は言った。
エリクが見落としていたのは、同じ一滴でも使い道によって切迫度が違うことだった。
翌朝、エリクたちが到着したとき、死者は七人、負傷者は二十人を超えていた。
「麦を守ろうとして、人が死んだのか」
エリクは泥に沈んだ鍬を見つめた。
カールが二つの村長を呼んだ。
ベルク村長は枯れた畑を指し、ノルン村長は空の桶を掲げた。
「上流が取らなければ、下流まで水が来る」
「全部流せば、上流の麦が死ぬ」
「なら、どちらかが死ねと?」
エリクは川に降りた。
流れている水はわずかだった。
クリスが井戸の水位を記した板を置いた。
「昨日の水位も知らないのに、どちらが盗んだと決めるの?」
ベルク村長は黙った。
ノルン村長は、自分の村でも夜中に水を汲んでいたと認めた。
「まず、今どれだけ水があるのか測らせてください」
「測って腹が膨れるか!」
「測らずに約束すれば、また破ったと言い争います」
両村から二人ずつ立会人を出し、木の桶と目盛りを刻んだ棒で流量を記録した。
ベルク村の堰を短時間だけ開けてみると、ノルン村へ届いた水は想定より少なかった。
途中の川床から、土へしみ込んでいたのだ。
「下流へ届かなかった水が、全部俺たちの堰にあるわけじゃなかったのか」
ベルク村長が苦く言った。
上流にも下流にも、譲れない子供の食事があった。
水を奪う理由を聞くほど、エリクは誰かを悪者にして終わらせられなくなった。
「堰を壊すだけでは足りない。川そのものが痩せているんだ」
エリクは地面に畑の図を描いた。
「全部の畑を守る水はありません。まず飲み水を確保し、次に枯れる寸前の畑へ時間を区切って流す。水が届いた量を両村で記録しましょう」
ノルン村の母親が尋ねた。
「約束を破られたら?」
「両村の立会人が毎日水門を確認します。違反があれば翌日の取水を調整し、カールたちにも知らせます」
ベルク村の若者が叫んだ。
「それじゃ、うちの畑を捨てることになる!」
「はい。全部は救えません」
エリクは目を逸らさなかった。
「でも、水を奪い合えば、畑だけでなく人も失います」
沈黙のあと、ノルン村長が言った。
「まず三日。三日だけ試す」
ベルク村長も頷いた。
翌朝、両村から一人ずつ記録係が来た。
まだ相手を信用してはいない。
それでも二人は同じ水位板を読み、数字を照合した。
その日の夕方、両村の少年が水門に並んだ。
昨日は石を投げ合っていた二人だった。
「お前の村が先に開けろよ」
「時間が来たらな」
まだ仲良くはなれない。
それでも、互いの手に武器はなかった。
エリクは川の上流を見た。
水を分けるだけでは足りない。
もっと遠くから水を運ぶ方法を考えなければならない。
エリクは村境の地図に、遠い川から続く細い線を引いた。
まだ誰も、その線に水が流れるとは信じていなかった。




