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飢えた王国 ~麦を奪って生き延びた俺は、誰も麦を奪わなくていい国を作る~  作者: レモンティー


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第六十四話 雨が降らなくなって、麦が死に始めた

南部の空は、今日も青かった。

雲一つない。

風も弱い。

旅人なら、気持ちのいい天気だと思っただろう。

だが、農民たちは空を見上げるたびに顔を曇らせていた。

「……今日も降らないのか」

アルト村の村長ハインツは、畑の土を握った。

乾いた土が、指の間からこぼれ落ちた。

麦の葉は黄色くなり始めていた。

穂をつける前の、大切な時期だった。

ここで水が足りなければ、実が育たない。

実が育たなければ、収穫できない。

そして、収穫できなければ。

また、人が死ぬ。

「……どれくらい、もつ?」

土の表面は白くひび割れ、指を差し込んでも湿り気がない。

老農夫は麦の根を掘り出し、エリクに見せた。

「葉だけを見ていても遅い。根がもう水を探せなくなっている」

空は青かった。

昔なら喜んだ晴天が、今は一日ごとに収穫を削っていく。

エリクが尋ねた。

ハインツは首を振った。

「この暑さが続けば、あと十日もすれば被害が広がる」

「十日……」

エリクは畑を見つめた。

数か月前。

この畑を守るために、何百人もの人間が死んだ。

種麦を守るために戦った。

農民を守るために戦った。

そして、ようやく麦が育ち始めた。

だが、今度は水がない。

「……井戸は?」

枯れかけた麦の葉を指で挟むと、乾いた音がした。

雨乞いを責めるつもりはなかった。

それでもエリクは、降るか分からない雨と、今動かせる水の量を分けて考えた。

ハインツは枯れかけた麦の穂を一本抜き、エリクの手に置いた。

「この畑に水を回せば、隣の畑は諦めることになる」

エリクは二つの畑を見比べた。

どちらも誰かの冬だった。

彼は農民を集め、土の深さと残る水を調べることにした。

誰を助けるかを一人で決めないためだったが、決定が遅れれば両方枯れる。

沈黙の重さだけが増した。

土を握ると粉になって指から落ちた。

農夫は空を見上げず、枯れた根を一本ずつ確かめた。

畑の端で、クリスが土をひと握りした。

指の間から乾いた粉が落ちた。

「昨日より軽いね」エリクは頷いた。

井戸の水位を測った木の印は、三日前よりさらに下がっていた。

「いつまで持つの」その問いに、彼は日数を答えられなかった。

代わりに村の者を集め、水を使った量と畑の状態を毎朝記録することにした。

希望だけで麦は育たない。

乾いた土を握ると、指の間から粉のようにこぼれた。

農夫は芽の根元を指した。

「あと数日で葉が枯れる」

エリクは雨を祈るだけでなく、使える井戸と水路の位置を調べ始めた。

枯れ始めた麦を前に、若い農夫は水桶を蹴った。

「一日運んでも、畝一本しか濡らせない」

エリクは桶を起こし、残った水を土へ戻した。

二十キロの水路を掘るには時間がかかる。

だが、何もしなければ全滅する。

彼は水路の予定地に立つ村々へ使者を出した。

工事のために失う畑のことも、隠さず伝えるよう命じた。

土のひび割れは、畑の持ち主の手にも刻まれていた。

雨を待つだけでは間に合わないと知りながら、誰も空を見上げるのをやめられなかった。

井戸の底をのぞいた農民が、縄を巻き上げた。

桶には泥が少しついているだけだった。

「昨日より、また下がった」

隣の農民が畑を指さした。

「水を麦にやるか、家畜に飲ませるか。どちらかしか選べない」

エリクは答えられなかった。

家畜を失えば、来年の耕作が遅れる。

麦を枯らせば、今年の冬を越せない。

「水路を掘るまでの間、飲み水を最優先にしましょう」

「畑は?」

「全部は守れません」

口にした途端、農民の顔が歪んだ。

エリクは自分の言葉の残酷さを知った。

エリクが尋ねた。

「村の飲み水で精いっぱいだ」

「川は?」

「水位が下がっている」

ハインツは続けた。

「このままでは、飲み水まで危ない」

そのとき、クリスが駆け寄ってきた。

「お兄ちゃん!」

「どうした?」

「畑の麦が……」

クリスは小さな麦の葉を持っていた。

先端が茶色く枯れていた。

「……これ、治る?」

エリクは葉を見つめた。

そして、静かに答えた。

「……水があれば、まだ間に合うかもしれない」

クリスは顔を上げた。

「じゃあ、水をあげようよ!」

エリクは苦笑した。

「……そうだな」

だが、問題は簡単ではなかった。

畑は広い。

村の井戸から水を運んでも、焼け石に水だった。

エリクは地図を広げた。

アルト村。

南部の農地。

そして、山から流れる大河。

村から東へ二十キロ。

そこには、まだ水が流れていた。

「……川から水を引けないだろうか」

エリクが呟いた。

カールが顔を上げた。

「……水路を作るのか?」

エリクは頷いた。

「はい」

ガルムが笑った。

「二十キロだぞ」

「分かっています」

「何人必要だ?」

エリクは答えた。

「……できるだけ多く」

カールは地図を見つめた。

「時間が足りない」

エリクは頷いた。

「……それでも、やるしかありません」

その日。

王国南部で、新たな戦いが始まった。

敵は人間ではない。

剣も槍も持っていない。

だが、放っておけば何万人もの人間を殺す。

その敵の名は、干ばつだった。

クリスは枯れた畑の前で、土を握った。

指の間から粉のようにこぼれる。

「水を全部の畑へ流せないなら、どこを残すの?」誰も答えない。

彼女は種の種類と植え付け時期を記した帳面を広げた。

「水の少ない場所に同じ作物を植え続けるのはやめよう」兄が戦を止める間に、妹は次の飢えを減らす方法を考え始めていた。

枯れた穂を握りしめた農民がエリクを責めた。

「水路ができると言ったから、種を蒔いたんだ!」

エリクは弁解しなかった。

「約束したのは俺です。完成までの食料を、村ごとに計算し直します」

希望を語るだけなら簡単だった。

待たせる時間の責任を負って初めて、希望は約束になる。

翌朝、村の代表が工事場へ来た。

「水路が通れば、うちの畑が削られる。豊作になっても、土地を失った俺たちは何を食う」

エリクは地図の上の線を見た。

そこには村の名前はあっても、畑を耕す家族の名前がなかった。

「測量をやり直します。失う土地と、代わりに使える土地を先に決めましょう」

工事が遅れると職人たちは怒った。

それでもエリクは線を引き直した。

引き直した線の先には、農夫の家が残った。

工事の開始は三日遅れたが、その家族の住む場所は失われずに済んだ。

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