第六十話 国王は、王冠を売って麦を買うことにした
王宮の会議室で、財務大臣は帳簿を閉じた。
「通常の支出を続ければ、国庫は三か月で尽きます。外国から麦を買う資金は、ほとんどありません」
アルベルト三世は王冠に手をやった。
「宮殿の財宝を売れ」
大臣たちが一斉に顔を上げた。
「陛下、それは王家の威信に関わります!」
「威信は麦になるのか」
国王は王冠を外して机に置いた。
乾いた音が広間に響く。
「民が飢え死にしているのに、宝石を載せる頭だけ守って何になる」
しかし、財務大臣はすぐには頷かなかった。
「買い手がいなければ、宝石は麦になりません。国外へ運べば盗賊に狙われます。売却額も、急げば足元を見られるでしょう」
エリクは尋ねた。
「外国の商人は、何を受け取れば麦を売ってくれますか」
「金貨と銀貨です。宝石そのものではありません」
「なら、鑑定を公開して、複数の商人に入札させましょう。金は港での支払いに回す。宝物庫の品目と売値は記録して、あとで国民にも知らせるんです」
宰相が考え込んだ。
「王冠は国内の商人組合に売り、所有権を移して代金を先に受け取る方法もあります。保管場所を王宮とするなら、契約書にも明記します」
王冠は麦に換えられても、飢えた人々の時間までは買い戻せない。
国王はそれを承知で、いま動かせるものを差し出した。
「形だけの売却だと疑われないか」
「契約と代金を公表します。買い戻しの約束はしません」
国王は頷いた。
そのとき侍従が、王冠を戴いた先王の肖像画を見上げた。
国王も一瞬だけ視線を向けた。
幼いころ、父に「この冠は王家が民を守った証だ」と教えられたことを思い出す。
だが飢えた子に、その証を食べさせることはできない。
エリクは売却額の見積もりを求めた。
「象徴を売るだけでは麦は届きません」
買い付け先と船賃まで決めて、ようやく決断は食料になった。
「それでよい。王冠が誰のものかより、麦が誰の口に入るかだ」
王冠を売る知らせは王都の広場にも届いた。
「王様も困っているなら、私たちはどうなる」と女が呟いた。
別の男は「宝石より麦だ」と拍手した。
エリクは両方の声を聞き、購入する麦の数量と配達予定日を市民へ掲示するよう求めた。
売却額は一度きりだ。
翌年の畑が実らなければ、王冠をいくつ売っても足りない。
売却には数日を要した。
宝石の値をめぐって争いも起きた。
それでも代金は国庫に入り、西部の港から商船へ注文が送られた。
報告を受けたエリクは安堵しかけたが、ユリウスが言った。
「船が着くまでには日数がかかる。港から村へ運ぶにも時間が要る」
エリクは新しい配給表を開いた。
王冠を売ると聞いた商人は、王国が破産する前触れだと噂した。
国王はその不安を否定しなかった。
「麦を買うために売る。だが船が着くまで人を生かす仕事は別にある」
ユリウスは輸入の代金と国内の配給を別の帳簿に分けた。
象徴を手放すだけでは、港から遠い村の子供にパンは届かない。
その夜、国王は冠のなくなった頭を鏡に映した。
「王に見えぬな」
控えていた侍従は答えなかった。
翌朝、国王は港へ送る買付命令の写しに目を通した。
代金、船賃、到着予定日。
その最後に、王都から遠い三つの村の名があった。
「王冠がなくても、この命令に責任を持てるなら、それでよい」
国王は署名した。
書記が、商人組合に所有権を移した王冠を保管する箱を運んできた。
国王は箱ではなく、買付命令の船賃の欄を指さした。
「港で止めるな。遠い村に届いた知らせを、最初に持ってこい」




