第五十二話 十万の敵軍に対し、王国軍は二万人しかいなかった
王都アルディア。
緊急軍議。
国王アルベルト三世は、北部からの報告を聞いていた。
「……敵軍十万」
軍務大臣が頷いた。
「はい」
「我が軍は?」
「動員可能な兵士は、約二万人です」
国王は目を閉じた。
「……五倍か」
軍務大臣は続けた。
「しかも、我が軍も食料不足です」
軍議の机に並んだ駒は、王国側が二万、敵が十万。
五倍の差を見て、将校の一人が剣の柄を強く握った。
「正面から受ければ潰されます」
「だから、正面では受けない」
エリクは街道、井戸、畑の位置を指でたどった。
敵が進める道は限られる。
戦いを避けるための計画が、これほど多くの人の手を必要とするとは思わなかった。
国王は黙った。
そのとき、エリクが口を開いた。
「……陛下」
「何だ?」
「敵軍は、なぜ侵攻してきたのですか?」
国王は答えた。
「食料を奪うためだ」
「ならば、敵軍も飢えているんですね」
「そうだ」
エリクは考え込んだ。
「……十万の軍勢を、十日分の食料で動かしている」
二万の兵を十万にぶつける地図を、カールは一度たたんだ。
「勝つために全員を死なせる作戦は立てん」エリクは時間を稼ぐ場所と、守るべき農地の位置を指した。
軍議が終わる前、補給将校が机の端に小さな袋を置いた。
「兵一人の明日の分です」
将軍たちは地図の十万という数字を見ていたが、エリクはその袋を持ち上げた。
二万人を一日動かすだけでも、これが二万必要になる。
「敵を倒しても、畑を踏み荒らせば冬に負けます」
誰もすぐには反論できなかった。
軍議で地図を広げると、補給路は細い線にしか見えなかった。
エリクはその線に沿う井戸の数を尋ねた。
軍議の机には兵の配置図が広げられていた。
だがエリクが最初に求めたのは、矢の数ではなく、各村の残りの麦の量だった。
「二万人が守るのは城壁ではありません。次の春まで生きる人たちです」将軍の一人が不快そうに眉を寄せた。
それでもカールは頷き、撤退路と避難先を地図に書き込んだ。
勝敗より先に守るべきものを、誰もが見失いかけていた。
二万人の防衛隊が十万の敵軍を前にした。
カールは人数の差を隠さなかった。
「勝つ方法だけでなく、村人を逃がす道を決める」
エリクは地図に避難先を記し、戦う前に麦袋の移送を始めさせた。
軍務大臣は二万の兵の配置を地図に書き込み、空白の村を見て眉をひそめた。
「ここを守らないのか」
エリクは首を振った。
「村人を先に逃がします。守るのは人と種です」
土地を一歩も渡さない戦いでは、十万の敵に勝てない。
相手が進むほど食料に困る道を選ぶ。
それは勝利を急がない、長い戦いの始まりだった。
兵力の差を埋めるために畑を焼けば、勝っても飢える。
カールとエリクは地図を挟み、守るべき線を何度も引き直した。
軍務大臣は机を拳で叩いた。
「敵の腹が減るまで待つ? こちらの民も腹が減るのだぞ」
エリクは頷いた。
「だから、避難先の食料を先に計算します。持ち出せない麦は、敵に奪われる前に農民へ配ります」
「軍が守る城塞の備蓄はどうする」
「城塞の分は残します。ただし、何日分残したか公開してください」
大臣の顔が強張った。
「軍の数字を民に見せるというのか」
「秘密のままでは、村人はまた軍に麦を奪われると思います」
国王はしばらく沈黙した。
「数字を出せ。足りないなら、足りないと伝える」
誰も勝利を確信していなかった。
それでも、嘘の備蓄では戦えない。
軍務大臣が頷いた。
「その通りだ」
エリクは地図を見た。
北部国境。
広大な平原。
いくつもの河川。
そして、王都へ続く街道。
「……正面から戦ってはいけません」
軍務大臣が眉をひそめた。
「何?」
「敵軍は、食料が尽きれば動けなくなります」
国王は頷いた。
「……なるほど」
エリクは続けた。
「ですが、敵軍を飢えさせるだけでは、周辺の村が襲われます」
軍務大臣は言った。
「では、どうする?」
エリクは答えた。
「農民を避難させ、種麦を守ります」
そして、地図を指差した。
「敵軍が進む地域から、食料を移動させます」
軍務大臣は驚いた。
「……焦土作戦か?」
エリクは首を振った。
「違います」
「何?」
「畑は焼きません。家も壊しません」
エリクは続けた。
「食料と農民を、安全な場所へ移すだけです」
国王は静かに頷いた。
「……なるほど」
エリクは最後に言った。
「敵軍が飢えて動けなくなったら、交渉します」
軍務大臣は笑った。
「十万の軍勢と交渉するのか?」
エリクは頷いた。
「はい」
「何を条件に?」
エリクは答えた。
「……一緒に食料を作ることです」
大広間に沈黙が落ちた。
国王はしばらくエリクを見つめた。
そして、静かに言った。
「……お前は、本当に変わった戦い方をするな」




