第四十六話 穀物商人アコギは、王国を飢えさせて金貨を集めた
王都の地下牢で、アコギ・ヴァレンは背筋を伸ばして座っていた。
ベルンで麦を買い占め、王都の貴族に売りつけた穀物商人。
混乱のさなかに捕らえられた男の手首には鎖がある。
だが、目には怯えがなかった。
「私が何をしたというのです?」
アコギが集めた金貨は、積めば小さな山になる。
しかしその金で失われた収穫を買い戻すことはできない。
エリクは帳簿の数字を、奪われた村の名前と結びつけて読み上げた。
向かいに立つユリウスは、押収した帳簿を机に置いた。
「軍用備蓄の不正売買。食料統制令違反。傭兵による倉庫襲撃への関与。順に聞く」
「商売を罪にするおつもりですか」
エリクは帳簿を開いた。
麦を買い入れた日付、値上げした日付、出荷を止めた日付が並んでいる。
「最初は、なぜ麦を集めたんですか」
「腐らせずに保管し、必要な土地へ運ぶためだ。倉庫も荷車も無料ではない」
「それなら、値段が上がったあと、なぜ出荷を止めたんです」
アコギは答えなかった。
「街では子供が死んでいました」
「私が殺したのではありません。買えない者がいただけです」
エリクの拳が震えた。
ユリウスが片手を上げ、問いを引き取る。
「この欄を見ろ。軍の補給印と、商会の受領印が同じ日に押されている。軍へ届くはずの麦が、なぜお前の倉庫に入った?」
「輸送途中の取引です」
「正規の売却許可はない。補給担当官の署名も偽造の疑いがある」
「証明できますか」
「担当官を呼んでいる。帳簿だけで決めつけるつもりはない」
アコギは初めて、視線を机から外した。
ユリウスは別の頁を開いた。
「襲撃前日に傭兵隊へ支払われた金は、普段の護衛費の十倍だ。隊長も、倉庫を押さえろと命じられたと証言している」
「護衛の増員です」
「では、なぜ王都の倉庫を襲った?」
沈黙が続いた。
「……倉庫を押さえれば、穀物の取引を支配できた」
アコギがようやく言った。
「火をつけるつもりはなかった。あれは計算外だ」
エリクは机に手をついた。
「一万二千袋が燃えたんです。何人が冬を越せたと思いますか」
「私を処刑しても、麦は戻らない」
「だから、残った麦を探すんです」
エリクの言葉に、アコギは目を上げた。
帳簿の末尾には、各地の倉庫名が書かれていた。
ベルン、北の山道、河港、廃鉱の近く。
数量の横に、軍の補給印が押された欄もある。
金貨を数える手と、空の椀を握る手。
どちらも同じ王国にあった。
エリクは商人一人を倒すだけでは、この隔たりは埋まらないと知った。
「この場所に、まだ麦があるんですね」
アコギは答えない。
ユリウスが言った。
「押収品は裁判の証拠だ。勝手に運べば所有権を争われる」
「でも、裁判が終わるまで待てません」
エリクは帳簿を閉じた。
「袋の印と数を立会人の前で記録して、封をした見本を残しましょう。そのうえで、腐る前に配給所へ運ぶんです」
アコギの帳簿には、麦を売った先の名が並んでいた。
エリクは金貨の総額ではなく、売られなかった村の名を探した。
「利益の記録だけでなく、届かなかった場所の記録も残してください」
ユリウスは少し考え、頷いた。
「司法官と村の代表を立ち会わせる。搬出先も一袋ごとに記録する。それなら証拠と食料の両方を守れる」
アコギは鼻で笑った。
「そんな手間をかけていたら、儲けは出ませんよ」
「儲けの話はしていません」
エリクは答えた。
「食べる人の話をしているんです」
ユリウスが兵士に命じた。
「正式な裁判まで拘束を続けろ」
アコギが連れ去られたあと、エリクは倉庫の一覧を手に取った。
「全部、調べましょう」
「どれほど見つかるかは分からんぞ」
アコギの帳簿には、麦の値上がりだけでなく、運び込まれた村の名が並んでいた。
エリクは知っている地名を見つけ、指を止めた。
そこでは子供が飢えて死んだ。
「これは利益の記録じゃない」
ユリウスは静かに答えた。
「裁判では、利益も犠牲も数字で示す必要がある」
エリクは頁を閉じず、最後まで読み続けた。
「一袋でも、待っている人がいます」
牢の外では朝の鐘が鳴っていた。
裁判はこれからだ。
しかし、麦を運ぶ仕事は今日始めなければならなかった。
アコギの帳簿には、飢えた村の名前が並んでいた。
値が上がった日には丸が付けられている。
エリクは帳簿を破り捨てたくなった。
「こいつのせいで母さんは……」
「母親を殺したのは、あの商人一人じゃない」
カールが言った。
徴税を命じた領主、倉庫を閉じた役人、護送を拒んだ兵士。
責任を分ければ薄まるわけではないが、一人を罰しても仕組みは残る。
「それでも裁かなければならない」
エリクは答えた。
彼は帳簿を証拠として封印し、アコギの私財と隠し倉庫の調査を求めた。
怒りを消すことはできない。
だが、エリクは封印の上に自分の名を書いた。
アコギを裁くなら、調べる側も責任を残さなければならない。




