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飢えた王国 ~麦を奪って生き延びた俺は、誰も麦を奪わなくていい国を作る~  作者: レモンティー


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第四十四話 十万袋の麦が燃えた夜

王都アルディアの中央穀物倉庫から、夜空へ黒煙が上がった。

「火事だ!」

鐘が鳴るより先に、配給所の列が崩れた。

人々は燃える屋根を見上げた。

あそこには、明日食べるはずの麦がある。

燃える倉庫の前で、人々は熱に近づこうとした。

麦が灰になる前に拾いたいのだ。

カールは兵を火消しと避難誘導に分けた。

炎より早く、絶望が人を動かしていた。

王都の備蓄はかつて十万袋と報告されていたが、今は配給と移送で減っている。

その一部を保管する倉庫が、炎に包まれていた。

「傭兵が裏門を破った!」

王宮兵の叫びが響いた。

アコギ商会に雇われた傭兵が倉庫を襲い、警備兵と斬り結んでいる。

誰が最初に火を放ったのかは分からなかった。

カールは剣を抜いた。

「エリク、ここから離れろ。まだ敵がいる!」

「離れたら、麦が燃えます!」

「お前が死んでも麦は増えん!」

エリクは言い返せなかった。

だが倉庫の横では、作業員たちが水桶を持って立ちすくんでいる。

ガルムが斧を握った。

「扉を開ければ、袋を出せる。だが火に空気が入るぞ」

「反対側の小扉から、まだ燃えていない区画だけを運び出そう」

カールが指示した。

「火のある棟には入るな。屋根が落ちる」

エリクは頷き、配給係と荷車を集めた。

そこへ難民の男が駆け寄った。

「俺たちも運ぶ。食べ物を守りたい」

「危険です」

「門の外で待つ方が、もっと怖かった」

エリクは一瞬迷い、答えた。

「では安全な通路で。子供は近づけないでください」

荷車が走り、麦袋が運び出された。

兵士も農民も、同じ列で袋を受け渡す。

だが煙が濃くなったとき、倉庫の奥から叫び声がした。

「助けてくれ! 脚が挟まった!」

エリクが駆け出しかけると、カールが腕を掴んだ。

「待て。助けに入るなら、縄をつけろ」

ガルムが太い縄を腰に巻いた。

「俺が行く。お前は外で引け」

「でも――」

「お前が指揮をやめたら、残った人間が迷う」

エリクは歯を食いしばり、縄の端を握った。

ガルムと二人の作業員が、煙の薄い横通路から入った。

梁がきしむ。

屋根の火が広がる。

「あと少しだ!」

奥から声がした。

次の瞬間、木材が折れる音が響いた。

エリクは縄を引いた。

カールも加わった。

煙の中から、脚を傷めた作業員が運び出される。

炎が奪ったのは麦だけではない。

そこに並んでいたはずの食事の回数、待っていた人々の明日も一緒に燃えた。

その直後、屋根の一部が崩れた。

エリクは地面に膝をついた。

「……間に合った」

「人にはな」

ガルムが煤だらけの顔で言った。

振り向けば、まだ麦が燃えていた。

夜明けまで消火は続いた。

倒れた者の手当てをする間にも、別の棟の袋が水を吸って傷んでいく。

火の粉が麦袋へ移ると、兵士が水桶を投げた。

だが消火に使う水も限られていた。

エリクは燃える倉庫と避難する人々を見比べ、まず通路を開けるよう命じた。

失った麦の数は、後で数えるしかなかった。

朝、穀物管理官が国王へ報告した。

「焼失と搬出不能を合わせ、被害は約一万二千袋。水損分は調査中です」

アルベルト三世は長く黙った。

「一万二千袋……」

ユリウスが言った。

「倉庫を守れなかった責任は調べます。しかし今は、無事な麦の配給を止めないことが先です」

「人を救うための倉庫を、人が燃やしたのか」

国王は灰の降る窓を見た。

エリクは救出した作業員のもとへ行った。

男は布を巻かれた脚を見つめていた。

「麦は……?」

「全部は守れませんでした」

「俺を助けたせいで?」

「違います。燃やした者のせいです」

エリクは答えたが、胸の重さは消えなかった。

燃える倉庫の前で、作業員が「まだ中に人がいる」と叫んだ。

カールは兵を二組に分け、一組に救助、もう一組に延焼を止める役目を与えた。

麦袋を運ぶ者たちは悔しさで泣いていた。

だが、扉の向こうで咳き込む声が聞こえたとき、エリクは迷わなかった。

「先に人を出してください」

その命令を、彼は後悔しないと決めた。

夜が明けると、人々が焼け跡に集まり始めた。

灰の中に残った麦粒を、拾うためだった。

火災の翌朝、クリスは焦げた袋の山に立った。

人々は灰を掘り、黒くなった粒を拾っていた。

彼女は避難してきた子供に自分の手袋を渡した。

「配る場所を作ろう。誰が何を受け取ったか、みんなに見えるように」兄の命令を待たず、クリスは板と炭を探しに走った。

火が消えたあと、ドランは倉庫の焼け跡を歩いた。

焼け残った袋を一つ開くと、内側の麦まで湿っていた。

「十万袋あったと書くだけでは駄目だ。何袋が食べられ、何袋が種に使え、何袋がもう駄目なのか、分けて記録する」

「今、数えるのか」とガルムが言った。

「今数えなければ、明日、もうない麦を待つ村が出る」

ガルムは返事の代わりに、焦げた袋を運び始めた。

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