第四十話 王都の麦を配れば、王都で暴動が起きる
王都で、ひとつの噂が広まった。
『国王が地方へ麦五千袋を送る』
市場のパン屋では、配給札を握った女が店主に詰め寄った。
配給の告示を読んだ市民が、列の長さを見て顔色を変えた。
王都の備蓄を開けば救える命がある。
同時に、明日の分が消えると信じた者が暴れるかもしれない。
エリクは数字だけでなく説明する人員も求めた。
「うちの子の分が減るの?」
「俺に聞かれても分からん」
分からないことが、人々をいっそう怯えさせた。
昼までに王宮の前は群衆で埋まった。
「地方へ渡すな!」
「王都の子供を先に救え!」
王宮の窓辺で、国王はその声を聞いていた。
「五千袋の件は保留だ」
宰相が頭を下げた。
王都の民が飢えているのも事実だった。
客室に知らせが届くと、エリクは椅子から立ち上がった。
「種麦がなければ、地方は来年も飢えます」
「王都の人間だって、今夜の飯が欲しいんだ」
カールは窓の下を指した。
群衆の中には、痩せた子供を抱いた父親もいた。
エリクは王宮の配給台帳を借りた。
王都の倉庫の麦は十万袋。
だが、そのすべてが自由に使えるわけではない。
兵士の食料、傷み始めた麦、輸送中に失う分。
しかも地方へ種麦を渡せば、今すぐ食べる量が減る。
「数字を隠しているから、奪われると思われるんだ」
エリクが呟くと、カールは首を振った。
「数字を出しても、腹は膨れないぞ」
「それでも、何を減らすのか知らずに怒るよりはいい」
二人は王宮前へ出た。
護衛が止めたが、エリクは群衆の前で台帳を掲げた。
「地方へ送るのは、食べるためではなく蒔くための麦です!」
石が足元に落ちた。
「なら俺の子は今夜、何を食う!」
叫んだ男の腕には、小さな娘がいた。
エリクは答えに詰まった。
「……王都の配給を減らさない方法を探します。見つからなければ、送れません」
男は娘の頭に手を置いた。
「その間に、この子が倒れたら?」
エリクは台帳を閉じた。
「そのときは、俺がここへ来て説明します。隠れて決めません」
「そんな約束、信じられるか!」
配れば暴動が起きる。
配らなければ飢えが広がる。
どちらの恐怖も現実だからこそ、エリクは配る順序を決める責任から逃げなかった。
「信じてもらえるよう、倉庫の数と配給を公開してください。僕もそこに立ちます」
エリクは王都の配給所と門外の避難民の列を地図に書き、どちらにも今日の食料が必要だと示した。
翌朝の配給所では、昨夜の騒ぎを聞いた人々が二重に列を作っていた。
係の女は「まだ決まっていない五千袋を、もう減ったものとして数えないで」と告示板の数字を指した。
父親は娘の配給札を握り直し、列を離れずに待った。
怒りが消えたわけではない。
確かめる場所が、初めてできたのだ。
「どちらかを隠した数字なら、公開しても意味がありません」
群衆は静まらなかった。
だが、男は石を投げなかった。
その夜、国王の甥ユリウス・フォン・アルディナがエリクを訪ねた。
「王都の麦を減らさずに種麦を集める道があるかもしれない」
「どこにあるんですか」
「貴族の私有倉庫だ。だが、調べれば王都の権力者を敵に回す」
エリクは窓の外を見た。
まだ配給札を握った人々が、門の前に残っていた。
「隠された麦があるなら、調べましょう」
「君は王都の民にも責任を負うことになるぞ」
翌朝、エリクは調査の許可を求めて王の前に立った。
国王の机に並んだ二枚の配給表には、王都の区画と遠い村の名が同じ大きさで書かれていた。
数字を隠せば、そのどちらにも疑いが生まれる。
「王都に残す分も、地方へ送る分も、倉庫ごとに公表してください」
国王は即答しなかった。
王都の有力者たちが反対することを知っていたからだ。
それでもエリクは引かなかった。
会議の外では、王都の人々が今日の配給を待っている。
エリクは王の返事が出るまで、紙を引っ込めなかった。




